タイ旅行で多くの人が訪れる観光地、ワットポーやワットプラケオに描かれている壁画は『ラーマキエン』という物語が題材になっている。元ネタはインドの『ラーマーヤナ』だけどなんで古代核戦争を暗示してることになるの?ラーマーヤナ初め、インドの古い書物には古代核戦争や超古代文明の描写があるってホント?!古代核戦争って一体、どういうこと?!
こんな疑問に答えます♪
記事の内容
・ラーマキエンの元となったお話『ラーマーヤナ』にも暗示されていると言われる、古代核戦争勃発説の概要
・古代核戦争肯定論者の主張と論拠
・古代核戦争否定論者の主張と論拠
このブログでは、これまでにタイで有名な物語『ラーマキエン』について、多くの記事を掲載して来ました。
※ラーマキエンの過去記事が気になる方はこちらをどうぞ♪
それらの記事を作成するにあたり当然、オンライン・オフラインに限らず、いろいろとリサーチしていったわけですが・・・
実はその課程で、ちょいちょい目にする、ある言葉がありました。
その言葉とは・・・
古代核戦争!
なんともかぐわしいこの言葉に、タイと同じくらい都市伝説が好きな私は、とても見て見ぬふりができませんでした・・・。
正直、ブログのテーマとあんまり関係ないし、どうしようか迷いましたが・・・
と言う欲望を抑えられませんでした。(汗)
そこで!今回はタイの『ラーマキエン』についてリサーチ中に見つけてしまった古代核戦争をテーマに記事にして見たいと思います。
なお、このシリーズは3部作の予定で記事にまとめて見たいと思います。
※この記事はシリーズ3部作の第2回目の記事です。
※シリーズ第1回目の記事をご覧になっていない方はこちらからどうぞ♪
自己紹介
この記事を書いている私は、タイ旅行には何度も行っており、長い時には1ヶ月近く滞在することもあります。
タイにはトータル2~3年は滞在しており、タイ旅行での不安や疑問を良く相談されます。
また、これはもう私の性分なんだと思いますが、個人的に気になったことは徹底して深掘りしないと気が済まないたちです。
今回はかなりイレギュラーな記事ですが相当、深掘りしてまとめていくので、都市伝説好きな方は楽しんでいただけると思います。
所要時間
この記事はほんの5分ほどで読み終わります。
読み終わった頃には、ラーマキエンの元になったお話『ラーマーヤナ』にからむ古代核戦争について、肯定論者・否定論者がどんな主張や論拠をしているのかわかるようになります。
古代核戦争勃発?!肯定・否定の両主張を解説!2【ラーマーヤナ】
古代核戦争説シリーズ記事第1回目では、古代核戦争肯定論者たちの下記の主張を解説して来ました。
・古い文献『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』『リグヴィーダ』それぞれの文献には、古代核戦争や古代超文明が存在していたことを示す記述がある。
・人類史における空白の10万年間には、古代超文明があり、最終的に古代核戦争へと繋がり、文明は滅亡した。
実は人類はこの空白期間の間に破壊と再生を繰り返し、現在にいたっている。
ここまででも、古代核戦争肯定論者の主張はだいぶわかっていただけたと思います。
古代核戦争シリーズ第2回目の今回は、さらに続く肯定論者の主張を解説していきます。
【古代核戦争肯定論者の主張】過去の遺跡から古代核戦争が起こった痕跡が見つかった?!
人類史上において、現在認識されている中で、初めて核での爆発実験、いわゆる原爆実験がおこなわれたのはアメリカの砂漠です。
正確にはアメリカのニューメキシコ州、ホワイトサンズミサイル研究所でおこなわれた核実験です。
この核実験のあとには、地表の砂に含まれるシリコンが高温にによって融解し、黄緑色のガラス化して地表を覆ったと言われます。
同じようなガラス質の地層は1932年にリビアの砂漠でも発見されているとのことです。
さらに1957年あたりにイスラエルでも地下5メートルほどの地層で同じガラス質の物質が見つかっているそうです。
・古代核戦争が起こったのでなければ、古代の遺跡からガラス質の地層が出てきたことの説明が出来ない。
・これほどの高温を発生させるものは、火山活動によるものや、巨大な隕石の直撃の他には核爆発以外にはない。
古代核戦争肯定論者たちの主張の中で、ひとつの大きな根拠のとして語られることに「古い遺跡から古代核戦争および、古代超文明の存在をにおわせる痕跡が出て来た!」とする意見があります。
これは原爆実験のあとに残された痕跡と遺跡から発見された遺物などの状況が酷似していることからなされている主張です。
その遺跡と言うのは、おもにパキスタンの『インダス川』周辺、インドの『ラージャスターン州』周辺で見つかった遺跡をさしています。
その中でも特に多く語られるのが、『モヘンジョダロ』と言う遺跡です。
まずはモヘンジョダロ遺跡についての古代核戦争肯定論者たちの主張を見ていきましょう。
【古代核戦争肯定論者の主張】モヘンジョダロ遺跡から古代核戦争の痕跡?!
モヘンジョダロ遺跡は現在のパキスタン、インダス川流域にあります。
場所はこちらです。
ちょうど右側辺りを流れる川がインダス川です。
昔はモヘンジョダロ周辺の地域を『死者が眠る街』として、現地人は誰も寄りつかなったようです。
これははるか昔に多くの死をもたらす出来事があったからだと思われます。
かなりいわくつきの場所だったようですね。
それが20世紀初頭1920年代に発見されて以降、修復が進み、現在のような状態に復元されました。
発見当時は遺丘が連なるばかりで、こんな立派な都市が埋もれているとは学者ですら予想もしなかったほど、見る影もなく荒れ果てた廃墟でした。
そんな荒れ果てた遺跡の修復が進むにつれて、調査にあたった考古学者たちは驚きを隠せなかったそうです。
たとえばイギリスの考古学者ジョン・マーシャルはモヘンジョダロ遺跡をこんな風に評しています。
「まるでもっと何千年も以前の誰も知らない文明社会から(都市の造り方を)教えられたかのようだ」
この言葉はモヘンジョダロ遺跡が現代の都市と比べても、そん色ないほどの機能を有していたからこそ発せられたものと思われます。
具体的には下記のような都市機能が根拠になっています。
・モヘンジョダロ遺跡は整然とした都市計画がなされており、道路は直角に交差し、碁盤の目のように細分化された街区を形作っている。
・この都市には水道、汚水の排水システムや個人用の浴室、公衆浴場なども存在している。
・また水量の季節的変動を考慮して貯水池を十分に整備できるほどに水利工学は進歩していた。
・建築資材に関しても、使用されたレンガなどの資材はほとんど狂いなく一定の統一規格で作成されている。
・工学的な技術は相当、高度なものであったと予想される。
・文化面においても、学校、倉庫、会議場など平和的な施設が多く、非常に民主的な文化が根付いた都市でした。
・これはこの地に確固たる社会構造、しっかりとした中央集権的な政治制度が存在していたことを意味している。
モヘンジョダロ遺跡は、とても優れた都市だったと言うことですね。
【古代核戦争肯定論者の主張】死の丘から発見された不可解な遺物?!
そんなモヘンジョダロ遺跡からはとても不可解な遺物が発見されています。
死の丘と呼ばれる場所から、地面に溶鉱炉跡のように融解した石が集中して無数に見つかっています。
またこの周辺から発見された土器の破片を調べたところ、驚くべき発見がなされました。
ある土器には火ぶくれして気泡が沸き立つ様子がそのまま残されていました。
その他の土器も溶けてしまった痕跡があり、中には急激な高熱によって、ガラス化した黒石なども発見されました。
下記が高熱によって、変形してしまったと言う発見された遺物です。
これらの土器や石がこのような状態になるには、少なくとも1500℃以上の高温が必要なようです。
それも短時間の内に熱せられなければ、なかなかこうはならないそうです。
通常、ここまでの高温を作り出すには、精巧に作られた窯に大量の空気を送り込み、長い時間を掛けて徐々に熱していく必要があります。
また土器の制作過程でも熱が加えられますが、溶け出したり、気泡が発生したりしたものを詳細に調査した結果、再加熱がされていた痕跡があったとのことです。
つまり土器の制作過程以外に、強い熱が加わった痕跡があったと言うことです。
これらの痕跡を見て、古代核戦争肯定論者たちは「古代核戦争があった証拠だ!」と言う主張がなされています。
1978年には、古代史研究家のD・W・ダヴェンポートとE・ヴィンセンティが1000℃の高熱で溶けた土器、レンガ、ガラス化した黒い石などを採取し、核戦争のあった証拠と主張しています。
【古代核戦争肯定論者の主張】突然の死?!遺跡で見つかった奇妙な遺骨?!
モヘンジョダロでは、死の丘の他にも、奇妙な遺骨が発見されています。
発見された遺骨は46体残っているようで、それはどれも突然、死が降りかかって来たとしか思えない様子とのことです。
具体的には下記のような感じです。
・井戸の部屋にいた4人のうち2体は、その場から這い出すようにして階段の上に折り重なって亡くなっていた。
・家屋から見つかった遺体は、なぜかひと塊になって、うつ伏せや仰向けになり、手足をあちこちに伸ばして、折り重なって亡くなっていた。
・両腕を曲げ自分を守るために顔を覆っている様子で亡くなっていた。
・身をよじって死んだことが明らかで、苦悶の最後を遂げた様子の亡くなり方をしていた。
・仮にどこかの民族の強襲を受けて、亡くなったのであれば当然、外傷が残っているはずだが、外傷が確認出来た遺骨は46体のうち頭部に少し損傷がある程度の2体だけであった。
※このことから、何者かに襲われて死んだわけではないことがわかった。
・46体のうち44体がショック死を起こして亡くなっていることがわかった。
・インド考古学者グーハの報告によれば、「私は9つの白骨の、グループのいくつかに、高温加熱の証拠を見つけた。」
「この高温加熱のあとは、これらの人々が人間による強襲で殺されたと考えることを困難にする」
・遺体の中には、通常の10倍もの放射能が観測された遺体もあった。
古代核戦争肯定論者たちは、この死をもたらした原因が核攻撃にあったのではないかとの主張をしています。
自然界において、これほどの高熱を発生させる現象は火山活動による災害ではないかとの見方もありますが、この周辺には活火山はおろか死火山すらないようです。
このことから火山活動による災害死の可能性は低いようです。
【古代核戦争肯定論者の主張】インド ラージャスータン州の遺跡で核攻撃による大量殺戮の痕跡?!
インド北部のラージャスターン州では、1990年代初めに「高度な照射」にさらされたあとが見つかったとの主張もありました。
発見されたきっかけは新しく宅地開発をしようとしたところ、土地が陥没したことのようです。
そしてその土地からは危険なレベルの放射線が検出された古代都市が発見されたようです。
調査をおこなった科学者によると、この付近一帯はおよそ8000年~12000年前に核攻撃にさらされ、都市のほとんどが破壊された上に、50万人ほどの大量殺戮があったとの主張がされています。
ただこちらについては、正確な遺跡の位置情報はどこにも掲載されておらず、詳細は不明な点が多いです。
正直、ラージャスターン州は古い旧跡、遺跡の類いも多く、正確な場所は特定出来ませんでした。
新たな宅地開発が発見のきっかけとのことから、おそらく1990年代頃には、ある程度の人口が密集している地域であったのだろうと思われます。
さらにそこから遺跡が多くあるとの情報から推測するに、おそらくインドラージャスターン州の都市、ジャイプルの周辺ではないかと思われます。
※あくまで推察です。
【古代核戦争肯定論者の主張】謎の形状をしたシヴァ・リンガム?!古代超文明が持つテクノロジーの記憶か?!
古代核戦争肯定論者には、遺跡の他にシヴァ・リンガムと言う、現在では信仰の対象として扱われているものが古代超文明が持つテクノロジーの記憶だ!ひいては古代に核技術があった可能性を肯定するものだ!との主張があります。
下記は現物のシヴァ・リンガムではありませんが、それを模したシヴァのエネルギーが宿るとされている宗教的なアイテムです。
これはアマゾンや楽天などのサイトで売られている物の画像です。
実際のシヴァ・リンガムも同じような形状ですが、大きさはもっと巨大です。
インド、ムンバイの東アウランガーバード郊外のエローラ石窟寺院群のカイラーサ寺院の遺跡ですが、ここは紀元前1000~600年代頃に造られたとされています。
目的はシヴァ神に捧げるための3階建ての寺院として造られたと言われています。
石山をくりぬいて造られており、主流な考古学では18年掛けて40万トンの岩が切り出されて完成されたとなっています。
しかしこのカイラーサ寺院・・・。
実は『マハーバーラタ』にも記述があり、岩を空気に変える機械を使って建造されたと書かれているようです。
普通に考えれば、岩が空気に変わることはないので、おそらく高熱を発生させて、岩を気化させて加工する機械あるいは施設か?とも思えます。
そしてこの寺院にはシヴァ・リンガムと呼ばれるシヴァ神のエネルギーを模した石像があります。
これが上記のシヴァ・リンガムの元になったものです。
実はリンガムはインドの各地に点在しており、形状は鍵穴状に削られたところに柱のようなものを差し込む形になっています。
これを横から見ると、まるで原子炉格納容器の外観にそっくりではないか!と言う主張も古代核戦争肯定論者の一部から出ています。
この現存するシヴァ・リンガムはもちろん原発のような能力は有していません。
しかし見方を変えれば当時の人々が神のエネルギーを崇めるために造られたものと見ることもできます。
つまり長い年月の間に、古代超文明が持っていた核技術によって作られたエネルギーを、シヴァ神が持つエネルギーとして信仰の対象となっていったのではないかと言うことです。
下記の画像は実際の原子力発電所で使われる原子炉格納容器の画像です。
そしてこちらが崇拝の対象となっているシヴァ・リンガムです。
こうして見比べて見ると、たしかに上の突起の部分が形状的には現代の原子炉格納容器に似ている気もします。
古代核戦争肯定論者たちの主張としては・・・
・古代にもエネルギーとしても核利用がなされていたのではないか?
・現在の原発、あるいは似たような能力を有した施設があったのではないか?
・それを目撃した古代人たちが、その価値と共に、口伝として言い伝えられており、それが時代と共に徐々に正確な記憶が薄れ、変質されて伝わった結果、現在もような信仰のされ方になったのではないか?
・もしもそうであるならば、これは古代超文明が持っていた、現代の科学に匹敵するテクノロジーの記憶ではないか?!
古代核戦争肯定論者の主張は、どうやらこういうことのようです。
謎はかなり深まります。
このシヴァ・リンガムが本当に原子炉格納庫のようなものを模しているかどうかはわかりませんが、一見しただけでも機械的な何かを模したのでは?とも感じます。
ちなみに現在のシヴァ・リンガムの扱いは、その形状から子宝に恵まれる御利益があるとされており、不妊を解消するための、聖なるアイテムとされています。
単に卵形の石をシヴァ・リンガムのご利益があるアイテムとして、用いられることもあります。
現在は宗教的には核技術うんぬんに関わるものとはされていないようです。
あくまで古代核戦争肯定論者たちの主張のようですね。
【古代核戦争肯定論者の主張】核開発に関わる科学者が古代核戦争を連想させる発言をしている?!
古代核戦争肯定論者たちの主張には、核開発に関わった科学者たちが、古代核戦争を連想させる発言をしている!との意見も見られました。
その科学者とは、どうやら相対性理論で有名な『アインシュタイン』と人類初の原爆実験を成功させ、原爆の父として知られる『オッペンハイマー博士』のことをさすようです。
具体的に古代核戦争を連想させる発言とは下記のことのようです。
・ロチェスター大学の講義で「あなたの原爆実験が本当に世界初なのでしょうか?」と訪ねられたオッペンハイマーはこう答えました。
「ああ、近現代においては初めてだろう」
古代核戦争肯定論者の主張としては、この原爆の父と言われたオッペンハイマー博士の発言が古代核戦争を連想させると言うことのようです。
・アインシュタインは「第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」というインタビューを受け、こう答えました。
「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石とこん棒でしょう」
こう答えたそうです。
これは実際にトルーマン大統領に宛てた書簡の中で述べられている一節でもあり、どうやらたしかなようです。
古代核戦争肯定論者の主張としては、この発言が古代核戦争を連想させるのだ!との主張のようです。
これだけを聞くと、一体、どの辺が古代核戦争?と思われるかも知れません。
ですが、これらの発言を深読みすれば・・・
『核のような強力な力は、人類を破滅に導くのに十分な威力を持っている。』
『古代から核と言う力を持つたびに愚かな人類は、長い年月を掛けて築き上げた文明を一気に破滅に追い込んだ。』
『だからこそ人類はこれまでの間に、何度も破壊と再生を繰り返しているのだ。』
と、これが古代核戦争肯定論者の言いたいことではないかと思われます。
かなり強引な主張のように感じるかも知れません。
ですが、言い方を変えれば核兵器と言う恐ろしい力を持てば、高度な文明を持っていたとしても、一気に原始的な状態にまで破滅してしまうとも言えます。
これまで挙げてきた数々の論拠と共にこの発言を鑑みるに肯定論者たちの主張をまとめると
『人類は核を持った段階で遅かれ早かれ破滅的な争いを起こし、破壊と再生の歴史を繰り返していたとしても不思議はない』
と、こう言うことなのだと思います。
そう考えると、モヘンジョダロのような高度に発達した都市機能や技術、文化を持つ文明があったとしては不思議ではないと言うことだと思います。
つまり破滅した古代超文明の記憶を可能な限り引き継いで作り上げた結果、現代でも通じるほどの文明レベルを備えていたのだろうと言うことです。
とは言え、破滅的な状態でイチから作り上げるわけですから、古代超文明をそのまま引き継げるわけでもなく、文明レベルとしては、未熟にならざる負えなかったと言うことなのでしょう。
つじつまが合っているような合っていないようなと言う感じですが、これが古代核戦争肯定論者の主張なのだと思います。
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古代核戦争勃発?!肯定・否定の両主張を解説!2【ラーマーヤナ】:まとめ
いかがでしたでしょうか?
古代核戦争シリーズの第2回目は、肯定論者たちの残りの主張を解説して見ました。
要点をまとめると・・・
・過去の遺跡からガラス化した石や超高温で融解した土器などの遺物が出て来た。
・モヘンジョダロ遺跡からは、突然の死が訪れたとしか思えない多くの遺体が発掘された。
・インドのラージャスターン州から出た遺跡からは、危険なレベルの放射能が検出されたエリアが発見された。
・そのエリアはおよそ8000年~12000年前に核攻撃にさらされ都市のほとんどが壊滅し、50万人もの大量虐殺がおこなわれた。
・今日残るシヴァ・リンガムと言う宗教的崇拝の対象となるものの形状は、明らかに機械的な何かをさし、それが現代の原子炉格納容器に似ている。
・このことから古代に核技術があったとしても不思議ではないと言える。
・核開発に関わる科学者から、古代核戦争を彷彿とさせる発言があった。
これらのことを鑑みるに、古代核戦争が起こっていたとしても不思議ではない!と言うことなのでしょう。
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