あなたは、今から約32年前の名古屋で起こった、おぞましき未解決猟奇殺人事件をご存じだろうか・・・
(※2020年、時点)
そのおぞましい猟奇殺人事件とは・・・
『名古屋妊婦切り裂き殺人事件・・・』
当時、妊娠中であった名古屋在住の20代主婦・・・
その主婦が自宅アパートで殺された挙げ句、腹を切り裂かれ胎児が取り出されたと言うおぞましい事件・・・
さらに、この事件の不可解で恐ろしいところはここ・・・
『切り裂かれ胎児が取り出されたあとの腹部には、受話器とミッキーマウスのキーホルダーが詰め込まれていた・・・』
この状況から、この事件がいかに猟奇的で異常なものかが解る・・・
この事件は当初から不審な人物の目撃証言などが多数あがっていたこともあり、事件はすぐに解決するかに思われていた・・・
しかし結局、時効が成立してしまい、未解決事件となってしまった・・・
『名古屋妊婦切り裂き殺人事件』
この事件について伝えていくぞい!
事件当日、犠牲となった20代の妊婦に一体、何が起こっていたと言うのか?!
当時の様子や事件発覚までの経緯、その後の目撃証言、さらに警察の捜査状況や、この人物が犯人ではないかと噂される、疑惑の人物についても詳しく伝えていくぞい?!
これを見ているみんなも、一緒に推理して見てね!
この記事に関しては動画もあるよ!
読むのが面倒な人は動画でどうぞだよ~!
※WARNING※
※『名古屋妊婦切り裂き殺人事件』の記事は少々、長くなってしまうので、これから数回に渡ってお送りいたします。
これは第1回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
※逆に記事を気に入り、下記のアイコンをポチっとすると、今度はうれし涙を流す著者が夢に出てくると言うオカルト好きにはたまらない不気味な体験をすることができるかも知れません。(適当)
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件1】日本屈指の未解決猟奇殺人事件【序章】
事件が起こったのは、1988年3月18日午後15時以降・・・
事件現場は愛知県名古屋市中川区富田町大字供米田三郎右衛門441番1号にあるアパートの2階の部屋・・・
(現:愛知県名古屋市中川区供米田3丁目804番地)
事件の被害者は当時、このアパートに夫と共に暮らしていた、妊娠中の主婦・・・
『守屋美津子さん(当時27歳)』
上記、画像の女性が殺されてしまった守屋美津子さん、本人じゃ・・・
画像を見ても解ると思うが、当時の彼女は若く、とても美しい女性だったそうじゃ・・・
※事件現場となったアパートの名称や号室まで判明しておりますが、アパート自体、賃貸物件としてまだ現存していることもあり、ここではあえて伏せさせていただいております。
※詳細まで知りたい方は、事故物件公示サイト『大島てる』に掲載がありましたので、ご自身でそちらを調べて見てください。
※該当所在地周辺の事故物件は、ここと他1件しかありませんでしたので、どの建物が事件現場かは簡単に解ると思います。
夫の慎一さんが19時40分頃に仕事から帰宅すると、なぜか普段は施錠されているはずの玄関ドアが開いており、部屋は暗いままだったと言う・・・
その上、普段、出迎えてくれるはずの妻の姿も見当たらない・・・
夫、慎一さんはこの状況を不審に感じたようだが、とりあえず、そのまま寝室に向かってからスーツを着替えたそうじゃ・・・
すると明かりの消えた奥の居間から、何やら赤ん坊の泣き声が聞こえたと言う・・・
その声を聞いた夫、慎一さんは・・・
「赤ん坊が生まれたのか?!」
と思い、すぐに居間の照明を点けたそうじゃ・・・
するとそこには妻の美津子さんが、血まみれになった無惨な姿で横たわっており、その足元では生まれたばかりの赤ん坊が弱々しく泣いていた?!
この光景を見た夫の慎一さんは、1階の住民に電話を借りて、すぐに119番通報・・・
救急車を手配した・・・
その後、到着した救急車で妻の美津子さんと、生まれたばかりの赤ん坊は病院に運ばれた・・・
しかし妻の美津子さんは結局、病院で死亡が確認された・・・
この事件発生を受けて、愛知県警捜査一課・中川警察署は・・・
「極めて悪質・残忍な殺人事件」
と断定して中川警察署に特別捜査本部を設置・・・
捜査を開始した・・・
事件を管轄する愛知県警はその後、事件解決のために延べ約4万人の捜査員を動員し、必死の捜査をおこなった・・・
しかし結局、事件発生から15年後の2003年3月18日、公訴時効を迎えてしまい未解決事件となってしまった・・・
これが『名古屋妊婦切り裂き殺人事件』のざっくりとした概要じゃな・・・
血まみれで横たわる妻・・・
その足下には弱々しく泣く、生まれたばかりの赤ん坊・・・
何とも恐ろしげな感じだね・・・
相当、酷そうだけど殺害現場はどんな様子だったのかな?
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件】殺害現場の様子・・・凄惨な光景が広がっていた・・・
それでは殺害現場の状況を伝えていこう・・・
夫の慎一さんが帰宅したあと、最初は部屋も暗く、室内の状況が解らなかったと言う・・・
その後、赤ん坊の泣き声を聞き、慌てて電気を点けたところ、居間にあるコタツの脇辺りに妻の美津子さんが血まみれで倒れていた・・・
部屋の間取りや守屋美津子さんが倒れていた場所などの位置関係は、下記の現場見取り図を見た方が解りやすいだろう・・・
そして、その足下には生まれたばかりの赤ん坊が、そのままの状態で置かれていた・・・
血まみれで横たわる美津子さんの状態は、凄惨極まりないものでまず腹を真っ二つに切り裂かれていた・・・
そして、なんと恐ろしいことにその腹の中には・・・
『ミッキーマウスの人形が付いたキーホルダーとプッシュホン式の電話の受話器が詰め込まれていた・・・』
このミッキーマウスのキーホルダーは普段、守屋さん一家が乗る車の鍵が付いており、この日は夫のS一さんも車に乗ることはなかったため、自宅に置かれていたままだったと言う・・・
また受話器については日頃、守屋さん宅の居間に設置して使用していたもので、事件発生時には鋭利な刃物でコードが切断されていたようじゃ・・・
発見時の守屋美津子さんの服装は、青いマタニティードレスにピンク色のジャンパー、黒いパンティーストッキング姿・・・
首にはコンセントに刺さったままのコタツの電源コードが巻かれ、手は後ろ手に縛られた状態で仰向けに横たわっていたと言う・・・
ちなみに当初、このコタツの電源コードが凶器と思われたが、首に残された傷と巻かれていたコードの形状が違っていたことから、どうやら別のヒモ状のものが凶器であったようじゃ・・・
つまり犯人は、何か別のヒモ状のもので絞め殺したあとに、わざわざコタツの電源コードを首に巻いたと言うわけじゃな(汗)
ちなみに守屋美津子さん殺害の際に使用された凶器は、見つかっていないようじゃ・・・
腹部の傷は下から上へ鋭利な刃物で縦一文字に約38センチもの長さに切り裂かれ、傷の深さは2.8センチにも達していたと言う・・・
事件の翌日3月19日に愛知県警捜査一課・中川署が設置した特捜本部は、愛知県警本部にて名古屋大学の『勝又義直教授』の執刀で遺体の司法解剖をおこなったようだが、その結果、次のことが判明したそうじゃ・・・
・司法解剖によって、判明した事実
死因:首を絞められたことによる窒息死で首には一重の索状痕があった・・・
出血の量から腹を裂かれたのは絞殺されたあと、と推測された・・・
また衣類には刃物で切断された跡がなかったことから特捜本部は・・・
「犯人はマタニティドレスをたくし上げた上で下着・妊婦帯をずり提げて腹を裂いた・・・」
と推測した。
産道(膣)は閉じていたことから・・・
「胎児は腹部の切り傷から飛び出たか犯人が取り出した・・・」
と推測された。
死亡推定時刻:当初は遺体の状況から犯行当日の14時30分~19時30分の間とされた。
(のちの捜査によって、15時~16時までの1時間の間と言うところまで絞り込まれた。)
「妻(義娘)は普通の人には想像できないような恐ろしい状態で息絶えていた・・・」
と言う証言が出ているようじゃ・・・
また、事件当日に現場に急行した愛知県警察機動捜査隊の警察官からは・・・
「あんな現場は今までに見たことがない・・・」
と言い合いながら現場から戻ってきたと言う話もある・・・
凄惨な殺人事件現場を見慣れているはずの警察官が、このようなことを言うということは、殺された守屋美津子さんは、よほど凄まじい状態となっていたのだろう・・・
なんだか聞いてるだけで背筋が寒くなって来るよ(汗)
締め殺したあとに腹を切り裂き、胎児を取り出した・・・
その後、ミッキーマウスのキーホルダーと受話器を切り裂いた腹の中に入れて、コタツの電源コードを首に巻いたと・・・
犯人はかなり頭のおかしい猟奇的な人物だったようだね(汗)
何となくだけど、この犯人って・・・
『ネクロフィリア(死体愛好)』
のような性質を持っていたような気もするけど、どうなんだろ?(汗)
たしかに一説には、そのような性質を持った人物が犯人だったのではとも言われているが・・・
しかし、一般的なネクロフィリアは殺害後に屍姦(死者との性行為)をするケースが多いようだが、今回、殺された守屋美津子さんの遺体には、強姦や屍姦の痕跡はなかったようじゃ・・・
つまり犯人は殺害後、先に伝えたような猟奇的な行動を起こしたのみで、その後、屍姦などはしていないと言うわけじゃな(汗)
このことから、一般的なネクロフィリア的性質を持った人物とは、少し行動が違っているとも言われている・・・
まあとは言え、このような猟奇的な行動自体、広い意味でネクロフィリアの一種ではとも思えるがの(汗)
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件】事件発覚までの経緯・・・昼までは無事だったが・・・
事件現場となったアパートは2階建てで、部屋数は合計4室・・・
事件のあった3年前の1985年に建てられており、守屋さん夫婦は新築当初から、このアパートに住んでいたようじゃ・・・
最寄り駅は近鉄名古屋線「戸田駅」となり、アパートは駅の北東約500メートルに位置していた・・・
事件当時、アパートの1階の部屋には人が住んでいたが、事件現場となった守屋さん宅の隣の部屋は空き部屋となっていたそうじゃ・・・
殺された守屋美津子さんは事件当時、夫の慎一さんと共に第一子誕生を心待ちにし、平凡だが希望に満ちた生活を送っていたと言う・・・
事件当日の朝、妻の美津子さんは夫の慎一さんが会社に出勤するのを普段通りに見送ったようじゃ・・・
また事件が起こる5日前の1988年3月13日は妊娠している赤ん坊の出産予定日だったそうだが、どうやら少々、出産が遅れていたと言う・・・
そんな事情もあり、当時、夫の慎一さんは妻の体調を気遣って、仕事の合間に会社からちょくちょく自宅に電話をかけるようにしていたそうじゃ・・・
その日も夫、慎一さんは正午12時頃に会社から一度、妻に電話したようだが、その際は特に異常はなかったと言う・・・
だが、会社を出る直前の18時50分頃に再び電話をかけた際には、なぜか電話に出なかったそうじゃ・・・
いつもはせいぜい3コールほどで、妻の美津子さんは電話に出ていたようだが、この時は10コール以上鳴らしても電話に出ることはなかった・・・
このことに夫、慎一さんは少々、不安を覚えたそうだが・・・
「自分が家に帰る頃には妻も帰っているだろう・・・」
と考え、とりあえず家路を急いだと言う・・・
その後、夫、慎一さんは19時40分頃に帰宅・・・
そこからはすでに伝えた通り、赤ん坊の泣き声が聞こえ、居間で無残な姿で倒れている妻の美津子さんを発見した・・・
この光景を見た夫、慎一さんは慌てて、救急車を呼ぼうとしたが、居間にある電話の線が切られ、受話器も消えていた・・・
慌てた彼は、すぐに1階の住民のところへ行き・・・
「電話が引きちぎられて、赤ん坊が出ているから電話を貸してほしい・・・」
と血相を変えて頼み込み、電話を借りたそうじゃ・・・
この時、電話を貸した住民はのちのメディアの取材に対し・・・
「ああ、赤ちゃんが生まれたのかと思っただけで、まさか奥さんが殺されているとは思わなかった・・・」
と証言したそうじゃ・・・
そして電話を借りた慎一さんは19時43分に名古屋市消防局消防指令センターへ・・・
「救急車をすぐ回してほしい・・・」
と119番通報したようじゃ・・・
この通報を受け、地区を管轄する中川消防署富田出張所から、すぐに救急隊員3名が派遣された・・・
この時の通報内容から、どうやら赤ちゃんが生まれていると言うことで、隊員のうち1人が臍帯(へその緒)を切断するために鉗子・ハサミを持って男性宅に駆け付けたそうじゃ・・・
だが、この時すでにヘソの緒は切られていたと言う・・・
その後の警察の捜査によると、このヘソの緒を切ったのは犯人ではないかと推察されているようじゃ・・・
そして駆け付けた救急隊員は、すぐに美津子さんと赤ん坊に救命処置を施し、救急車に乗せて事件現場から約8キロほど離れた・・・
『名古屋掖済会病院(なごやえきさいかいびょういん)』
に緊急搬送したそうじゃ・・・
一応、守屋美津子さんも、赤ん坊と共に病院へ搬送されたわけか・・・
お腹を切り裂かれていたわけだから、この時点ですでに絶命していたんじゃないかと思うけど・・・
赤ん坊の方はどうだったのかな?
発見時には弱々しくはあるけど、泣いていたってことは、とりあえず生きていたようだけど?
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件】病院に搬送された守屋美津子さんと赤ん坊・・・生死はいかに?!
子ザルの言うように、おそらく発見された時点で母親の守屋美津子さんの方はすでに絶命していたのではないかと思うが・・・
その後、病院で改めて、死亡が確認された・・・
そして、赤ん坊の方も病院へ搬送された時には、かなり危険な状態だったと言う・・・
生まれたままの裸の状態で、外界の寒さにさらされたことにより、低体温症の症状が現れており・・・
病院搬送時には体温が約30度にまで低下していたそうじゃ・・・
さらに犯人が母親の腹を裂いた際に、どうやらお腹の赤ん坊も刃物で傷つけていたようで、赤ん坊の身体には『左脚の膝裏・左大腿部裏・股間』の計3か所に外傷があったと言う・・・
その外傷により、赤ん坊には貧血、そしてチアノーゼの症状も出ていたようじゃ・・・
しかし発見が比較的、早かったことや赤ん坊の祖父などからの輸血により、血液が十分に確保出来たこと・・・
そして搬送先の病院医師団が「保育器で体を温める」など、的確な事後処置をおこないながら、1時間にもおよぶ懸命な手術がおこなわれたことにより、赤ん坊の方は一命を取り留めたそうじゃ・・・
この奇跡的な救命に関し、のちに名古屋大学医学部の「友田豊教授」は新聞の取材に対し・・・
「母親は臍帯(ヘソの緒)による血液の繋がりが切れてから死亡したのだろう。赤ん坊の生存は早期発見など様々な好条件が偶然重なったことによる珍しい例だと思う」
と、このような証言をしていたそうじゃ・・・
その後、奇跡的に助かった赤ん坊は事件発生翌日の1988年3月19日にはミルクを飲み始め、出生から15日後の1988年4月2日午後には入院先である名古屋掖済会病院を退院したと言う・・・
赤ん坊の退院直前には夫の慎一さんと、病院主治医の稲垣義彰医師が記者会見し・・・
「男児の名前は公表しないが、生まれる前から『男の子だ』と分かっていたため、生前の妻と2人で相談してあらかじめ決めていた名前を付ける」
と明かしていたそうじゃ・・・
さらにその会見の席で・・・
「自分もこの子を母親(犠牲になった妻)の分も含めてできるだけのことをし、普通の親と同じように育ててあげたい」
と言う表明もしたと言う・・・
特捜本部が設置された県警中川署には・・・
「元気になったらぜひ養子に欲しい」
と言う申し出の電話もあったそうじゃ・・・
さらに「早く良くなって」などの激励の電話も10本近くもあったと言う・・・
こうして赤ん坊の方は無事助かり、現在も元気に暮らしているようじゃ・・・
まさに不幸中のさいわいと言った感じじゃな(汗)
母親の方は残念だったけど、赤ん坊が助かって良かったねぇ・・・
出産予定日を過ぎても母親の胎内にいたことで十分、成長できていたことも功を奏したのかな?
赤ん坊の方は生まれたばかりではあったが、いつ生まれてもおかしくない状態にまでお腹の中で成長していた・・・
それにより生まれてすぐ自発呼吸が出来たこともあって、助かったのかも知れないの~・・・
何にしても、助かって本当に良かったと思うぞい!
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件】被害者の足どり・・・あの日、彼女の身に何が・・・
夫、慎一さんを見送ったあと妻の美津子さんは、おそらく午前中は家に居たものと見られている・・・
そして、生前の守屋美津子さんを最後に見た人物は友人の・・・
「愛知県海部郡蟹江町在住の30歳代女性」
であったようじゃ・・・
この友人女性は手土産のイチゴを持参して、3歳の娘とともに乗用車で守屋さん宅を訪問・・・
事件当日の13時50分頃~15時頃まで守屋さん宅で、殺された美津子さんと談笑していたそうじゃ・・・
その後、友人女性が帰宅する際には守屋美津子さんはアパートの駐車場まで見送ったと言う・・・
その際、玄関を施錠していなかったようじゃ・・・
のちの警察の捜査によると、おそらく、この直後に守屋美津子さんは殺されてしまったのではないかと推測されている見たいじゃな・・・
ちょっと、その辺が解らないんだけど、警察はなんで、その直後に殺されたと思ったのかな?
たしか死亡推定時刻は15時~16時までの間まで絞られたってことだったけど、当初は14時30分~19時30分の間と、かなり広かったよね?
それがなんで、そこまで死亡推定時刻を絞ることが出来たの?
そう警察が判断したのには、いくつかの根拠があるようじゃぞい(汗)
まず、殺された守屋美津子さんと、訪問した知人女性とが談笑していたのは、事件当日の15時頃までだった・・・
このことから、守屋美津子さんが殺されたのは当日15時以降と言うことがわかる・・・
さらに遺体発見時には室内に電灯がついていなかった・・・
これにより、おそらく守屋美津子さんが殺害されたのは・・・
「事件当日15時以降から、夕方暗くなるまで」
と推測されたようじゃ・・・
さらに事件当日16時頃、郵便局員が守屋さん宅宛の郵便ハガキを配達するために被害者宅に立ち寄り、ハガキを郵便受けに入れたと言うが・・・
殺された守屋美津子さんは、かなり几帳面な性格だったようで生前、郵便受けに郵便物が溜まらないようにすぐに取り出していたようじゃ・・・
しかし、事件当日に配達された郵便物はそのまま郵便受けに残っていた・・・
これに加え、殺された守屋美津子さんは使った食器をすぐに洗う習慣があったようだが・・・
犯行現場には事件発生時に訪問した友人と、茶を飲んだ際に使った湯飲み茶碗やイチゴを入れていた皿などが電気コタツの上に放置されていた・・・
つまりこのことから、守屋美津子さんはそれらの食器を洗う暇もなく、何者かに殺されてしまったと判断できると言うわけじゃ・・・
そして郵便物が郵便受けから取り出されていないことから、少なくとも16時までには殺されてしまったのだろうと推察したわけじゃな・・・
そう言うことか(汗)
となると事件当日、守屋美津子さんが殺された時間は、15時~16時までの間と言うのはたしかなようだね・・・
それじゃあ事件現場には、ほかに何か犯人に繋がりそうな手がかりは残されていなかったのか?
もう少し、守屋美津子さんが殺害されていた現場の様子を教えてよ!
【名古屋妊婦切り裂き殺人事件】殺害現場に残された痕跡・・・いくつかの手がかりは残されていたと言うが・・・
それではここから、殺害現場の様子について伝えていくぞい?!
すでに伝えたように、事件発生時の現場には直前までいた友人女性と、お茶を飲む際に使った食器がコタツの上にそのまま放置されていた・・・
配達された郵便物も、郵便受けから取り出されていなかった・・・
それに加え、洗濯物もそのままベランダに干したままだったそうじゃ・・・
殺された守屋美津子さんは、几帳面な性格から洗濯物も乾いたらすぐ取り込んでいたと言う・・・
そして重要な点として・・・
「犯行現場から殺された守屋美津子さんの財布が消えていた・・・」
「タンスにも荒らされた形跡があった・・・」
と言う事実もあったようで、警察は窃盗目的の強盗の線も視野に入れ、捜査していたようじゃ・・・
さらに・・・
「凶器が発見されない」
「犯人の遺留物も見当たらない」
「指紋が丁寧に拭き取られていた」
と言う事実もあったようで犯人は犯行後、かなり冷静・確実に証拠隠滅を図ったことが推測されたようじゃ・・・
当初、警察は殺害現場が荒れておらず、争った形跡もないことから、近しい者の怨恨による犯行と見ていたようだが、犯行後の犯人の指紋を丁寧に拭き取るなどの冷静な行動から・・・
「外部犯、それもプロの犯行・・・」
との推測もなされ、その線でも捜査がおこなわれたと言う・・・
また、殺害現場のアパートのドアノブから血液反応が出なかったことから、どうやら犯人は守屋美津子さん殺害後・・・
「台所で血液を洗い流して逃走した可能性が高い・・・」
と言われており、ここからも犯人は殺害後、かなり冷静な行動をしていたことが解る・・・
そして重要な物的証拠として、殺害現場には・・・
「犯人のもと思われる25センチの靴の足跡が残されていた・・・」
いわゆる『ゲソ痕』と言われるものだが、のちの捜査でこのゲソ痕の靴は・・・
「韓国・台湾で製造された大手靴メーカーの模造品」
と判明したそうじゃ・・・
のちにこの靴の流通経路を調べたようだが、かなりの数が生産されていたこともあり、警察は犯人を特定することは出来なかった見たいだかな(汗)
凶器はおろか、遺留品すら見つからず、指紋までも丁寧に拭き取っていたとは・・・
もしかしたら、ある程度、計画した上での犯行だったのかな・・・
それじゃあ、何か事件当日に争ったような物音や不審な人物の目撃証言とかはなかったのかな?
事件現場の隣は空き部屋だったようだけど、アパート1階には住民が居たんだよね?
何か異変に気付くようなことはなかったのかな?
実はの~・・・
事件があった直前に、不審な人物の目撃情報があったようじゃ・・・
いかにも怪しげな男が、これまた、いかにも怪しげな行動を取っていたようじゃ(汗)
今度はその辺について、伝えて行こうと思うが・・・
今回は少々、長くなってしまったから一旦、ここで切らせてもらって、その辺については次回、伝えていくぞい?!
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【名古屋妊婦切り裂き殺人事件1】日本屈指の未解決猟奇殺人事件【序章】:あとがき
この『名古屋妊婦切り裂き殺人事件』はかなり謎だらけの事件だが・・・
現時点でもっとも不可解なのは・・・
「一体、何が目的だったのか・・・」
と言う点だと思うぞい?!(汗)
財布が消えていたことや、タンスを漁った形跡があることから、窃盗目的の可能性もあるけど・・・
じゃあ、なんで殺害後に妊婦の腹を切り裂いて、そこに受話器やミッキーマウスのキーホルダーを入れるなんて猟奇的なことをしたのか・・・
強い恨みによる犯行・・・いわゆる怨恨の可能性もありそうだけど・・・
もしも怨恨による犯行なら、そうと思われないようにわざと財布を取っていった可能性もあるよね・・・
でも殺害後の冷静な行動から、外部のプロ的犯行とも言われてるんだよね・・・
何だか謎が残る感じだね(汗)
とりあえず、もう少し詳しい情報を教えてよ!
まずは不審な人物の目撃情報からね!
わかっておる!
次回はその辺の情報についてから、じっくり説明していくからの!
次回も引き続き『名古屋妊婦切り裂き殺人事件』について記事にしていくよ!
事件直前に目撃された不審な人物とはいかなるものか?!
さらに事件後にも猟奇的な雰囲気を漂わせる不審な男が目撃されていた?!
これらの目撃情報について、詳しく伝えていくよ!
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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