あなたは2007年、青森県八戸市で一家全員が死亡すると言う痛ましい事件があったことをご存じだろうか・・・
『八戸一家4人殺害事件』
この事件の被害者は夫に殺された妻と、その子供3人・・・
事件の容疑者は・・・
『澤田秀人』
一見すると、特に珍しくもない無理心中事件のように思われるかも知れない・・・
しかし、この事件をひも解いていくと事件の裏に潜む恐ろしい事実が垣間見えてくる・・・
そして、多くの不可解な謎に満ちていることが解りました・・・
この澤田秀人容疑者の過去にまつわる、不可解で怪異的な出来事・・・
それによりネット上の一部では、こんな都市伝説がささやかれるようになりました・・・
「澤田秀人は、あの時、殺された女の怨念によって狂わされ、妻や子を殺したのではないか・・・」
こんな噂がまことしやかにささやかれた背景には『澤田秀人容疑者』が引き起こした、過去の恐ろしい事件があったと言うが・・・
この事件は、単なる無理心中だったのか?!
それとも、殺された女の怨念によるものか?!
まずは、この記事をお読みになり、恐ろしい事件の全貌をご確認ください・・・
普通に考えれば、何かしらの原因で父親だった澤田秀人容疑者が無理心中をはかったのだろうと思うかも知れない・・・
しかし、彼がその事件を起こす前、近所の人、知人、友人など近しい者の証言によれば・・・
「人当たりもよく、感じの良い人だった・・・」
「特に悩んでいる様子もなかった・・・」
と言った証言もあり、家族の仲も悪くはなかったと言う・・・
また周囲に澤田さん家族の悪口を言う者もおらず、表面的には幸せそのものであったと言うが・・・
しかし、その反面、澤田秀人容疑者には恐ろしい過去もあった・・・
今回は不可解な謎に満ちたミステリー・・・
『八戸一家4人殺害事件』・・・
そして、この事件の容疑者・・・
『澤田秀人』にまつわる一連の恐ろしい出来事をお伝えしていくぞい?!
※WARNING※
※『容疑者澤田秀人の怪異』の記事は少々、長くなってしまうので、全2回に分けてお送りいたします。
これは第1回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
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【容疑者澤田秀人の怪異1】八戸一家4人殺害事件で甦る女の怨念
まずは簡単に、この都市伝説的な噂の発端となった『八戸一家4人殺害事件』の概要を伝えておこうかの・・・
ちなみにこの事件については、実際に起こった事件だぞい?!
事件が発覚したのは元内閣総理大臣 宮沢喜一氏が老衰により、自宅で亡くなった日と同じ、2007年6月28日午前10時5分頃・・・
場所は海にほど近い、静かな住宅街である青森県八戸市大字上組町・・・
そこに所在するアパート「グリーンコートA」1階、101号室・・・
殺された4人は当時、同アパートに住んでいた、容疑者の家族・・・
「妻、真由美さん(46歳)」
「長男、直弥(なおや)くん(13歳)」
「次男、奨(しょう)くん(10歳)」
「三男、耀(あきら)くん(6歳)」
そして、この4人を惨殺した犯人は・・・
『澤田秀人容疑者(43歳)』
遺体の状況から青森県警捜査一課は、事故や自殺ではないと判断・・・
殺人事件と断定した・・・
その後、ゆくえが分からなくなっていた家族の父、澤田秀人容疑者が何らかの事情を知っていると見て、警察はゆくえを捜した・・・
そして、事件発覚と同日の28日16時15分頃、殺害現場から約40キロ南に位置する、岩手県一戸町内の県道脇に停めた車の中にいる澤田秀人容疑者を発見・・・
その場で警察官が職務質問をしようとしたところ、澤田秀人はなんと自殺を図り、最終的に10メートル下の崖下に車ごと転落し、死亡してしまった・・・
それにより、なぜ家族を殺したのか・・・
その動機は、いまだ不明のままとなっている・・・
ざっくりとだが、これが都市伝説的な「澤田秀人容疑者」にまつわる怪異な噂話の発端となった『八戸一家4人惨殺事件』の概要じゃな(汗)
夫婦仲も悪くなく、3人の父親でもあった澤田秀人容疑者・・・
なぜ彼が家族を殺し、最終的にみずからも命を絶ってしまったのか・・・
その謎を解明するためにも、もう少し、詳しく事件の経緯を知りたいかなぁ・・・(汗)
【容疑者澤田秀人の怪異】家族全員が死亡と言う凄惨な結果に終わった澤田さん一家・・・周囲からは無理心中をするようには見えなかったと言うが?!
それでは、さらに詳しく「八戸一家4人殺害事件」について伝えていこうと思うが・・・
その前に、凄惨な結果に終わった澤田さん一家について、簡単に伝えておこうかの・・・
事件当時、澤田秀人容疑者は地元八戸市で大型船を港内にけん引するタグボートの航海士として働いていた・・・
航海士と言う仕事は少々、危険をともなうこともあり、澤田秀人容疑者の年収は1000万円ほどあったそうじゃ・・・
また妻の真由美さんも、同じく八戸市内にある畑中歯科と言う歯科医院で20年以上前から歯科衛生士として働いており、真由美さんの給料だけでも十分にやって行けるくらいの収入はあったと言う・・・
つまり、澤田さん一家はこの時、経済的にはかなり裕福であったと言うことじゃな・・・
夫婦2人は揃って子煩悩だったようで、容疑者の澤田秀人は子どもたちの通う小学校のPTA副会長を務めていたと言う・・・
町内の行事にも家族そろって参加する姿もたびたび見られていたようじゃ・・・
澤田さん一家を知る近所の住民は口を揃えて、家族仲の良さを強調し、今回の惨劇を目の当たりにして茫然としたと言う・・・
事件直後、近隣の者からは・・・
「お父さんは優しくて、お母さんは明るく、見本にしたいような仲睦まじい家族だったのに・・・」
「澤田さんのような家族って憧れるよねって、友人ともよく話していたのですが・・・」
と、こんな証言を事件後に取材した週刊誌の記者に語っていたようじゃ・・・
また澤田さん一家を良く知る知人からは・・・
「秀人さんは控えめで温和・・・。子どもを叱る時も優しく諭すように語りかけていた・・・。」
「真由美さんも、家族写真をいつもバッグに入れて持ち歩いていて、知人に見せては自慢していた・・・。」
「長男の直弥君は中学の卓球部に所属していて、二男の奨君の夢は『世界一の料理人』だった・・・。」
「三男の耀君はいつも明るく友達に『おはよう』と声をかけていた・・・」
表面上、この澤田さん一家は、まさに絵に描いたような幸せな家族であったようじゃ・・・
ちなみに子供たちがグレていたなんて話もなく、イジメを受けていたなんて事実もなかったそうじゃ・・・
子供たちについては、3人とも本当に素直で良い子だったと言う・・・
もちろん夫婦仲も円満・・・
家族に悩みらしい悩みは、まったく見られなかったわけじゃな(汗)
妻と子供3人を殺した澤田秀人容疑者・・・
子煩悩だったと言うことは、子育てに嫌気が指していたなんてことはなさそうだね・・・
夫婦共働きで収入も十分にあり、むしろ裕福な家庭であったことから、経済的に追い詰められていたとは考えにくい・・・
家族関係で悩みを抱えていた様子もない・・・
この時点では無理心中をする理由が、まったく見当たらないわけか・・・
にも関わらず、澤田秀人容疑者は一家全員、愛する妻から子供たちまでも殺害してしまった・・・
またまた、この事件も謎だらけで不可解だねぇ(汗)
それじゃあ、次は事件当日の様子を教えてよ!
【容疑者澤田秀人の怪異】突然の凶行?!あの日、幸せな家族に何があったのか?!
それでは、時系列に事件当日の様子を伝えていこうかの・・・
2007年6月27日水曜日・・・
その日、澤田秀人容疑者は有給休暇を取って、仕事を休んでおり、同僚と共に釣りに出かけたそうじゃ・・・
妻の真由美さんも、休みでその日は給料日だったこともあり、銀行へいって家賃の振り込みをし、その後、慌ただしく家事をこなしていたという・・・
3人の子供たちは午後15時頃に学校から帰宅・・・
ちょうど同じ頃、澤田秀人容疑者も同僚に送られて、自宅へ帰宅した・・・
その後、夕方18時頃、澤田さん家族はそろって夕食を済ませた・・・
のちの司法解剖の結果から分かったことだが、この夕食が終わったあとの約2~3時間後に澤田さん一家の妻、真由美さんと、子供たち3人は殺害されていたようじゃ・・・
長男、直弥くんと次男、奨くんは、共に子供部屋で死亡・・・
妻、真由美さんと三男、耀くんは寝室で死んでいるのを発見された・・・
直弥くん、真由美さん、耀くんの死因は首を絞められたことによる窒息死だったが、次男の奨くんだけは首を切られたことによる失血死だったそうじゃ・・・
事件から約2週間後に伝えられた、地元紙「東奥日報」の記事によれば、台所から押収した包丁に、血のついた澤田秀人容疑者の手形が見つかったとのこと・・・
さらにのちに警察によっておこなわれたDNA鑑定の結果から包丁についていた血液は、首の傷が致命傷となった二男、奨くんのものであることが分かり、この包丁が奨くんを刺した凶器である可能性が高いことが判明した・・・
4人の死亡推定時刻は事件発覚の前日27日の20時半頃・・・
絞殺されていた3人については、ほとんど抵抗したあとが見られなかったことから、就寝中に首を絞められたのだろうと言われている・・・
次男の奨くんだけは、手に抵抗した際についたと思われる防御創が見られた・・・
このことから犯行時は起きており、逃げだすか抵抗しようとしていたのだろうとされている・・・
4人とも、ほとんど同じタイミングで殺されてしまったようじゃな・・・
だが、実はこの時点で不可解な点がひとつあった・・・
それは・・・
「台所にあった凶器と見られる包丁は、普段、澤田さん一家が使っているものではなかった・・・」
つまり、奨くんを刺し殺した包丁は事件の前後に新しく持ち込まれたものだったというわけじゃな・・・
一体、どういった経緯で持ち込まれたものなのかは不明だが、一般的には澤田秀人容疑者がどこかで手に入れたものだろうと推測されているぞい(汗)
4人が殺されたのは、事件が発覚する前日27日20時半頃・・・
澤田秀人容疑者は夕食後に突然、犯行におよんだと・・・
次男の奨くんを刺した包丁は、あとから持ち込まれたものだったと言うことは、澤田秀人容疑者は計画的に家族を殺そうとしていたのかな?
それじゃあ、その後の澤田秀人容疑者の足どりを教えてよ!
【容疑者澤田秀人の怪異】事件後、逃走していた澤田秀人容疑者・・・途中で新たな犯行を重ね、そして・・・
その後、家族4人を殺害した澤田秀人容疑者は、どうやら逃走しようとしていたようじゃ・・・
4人が死亡した27日20時半頃から約6時間後の翌日28日、午前2時頃・・・
八戸市城下3丁目にあるパチンコ店「パーラーポパイ」で強盗未遂事件が発生した・・・
この強盗未遂事件で目撃された灰色系のステーションワゴンが、澤田秀人容疑者が所有するトヨタのビスタ・アルデオと一致したこと・・・
そして事件現場にあった遺留品のペットボトルから次男、奨くんの指紋が検出されたこと・・・
このことから警察はこの強盗未遂事件も、澤田秀人容疑者が引き起こした可能性が高いと判断した・・・
つまり、澤田秀人容疑者は家族を殺害したあと、車で逃走し、途中にあったパチンコ店で強盗をしようとしたと言うことのようじゃな(汗)
結局、この事件は脅されていたパチンコ店の店長がすきを見て、逃げ出すことに成功・・・
そのため澤田秀人容疑者は何も捕らずに逃走し、事件は未遂に終わったそうじゃ・・・
何とも不可解な感じだけど、なんで澤田秀人容疑者はそんなことしたのかな?
そんなところで、強盗するヒマがあるなら、さっさと逃げ出すんじゃないかと思うけど?(汗)
なんとも言えないところではあるが、一般的に澤田秀人容疑者は、これにより逃走資金を得ようとしたのではないかと言われているぞい(汗)
この時点では、まだ事件は発覚していなかったから、普通に銀行にでも行ってお金を引き出すことも出来たわけだが・・・
家族を殺害してしまったことで動揺していたのか、あるいは、すでに事件が発覚していると思ったのか(汗)
何を考えていたのかは、謎じゃな(汗)
ちなみにクレジットカードや銀行のキャッシュカードなどは、この時、澤田秀人容疑者は普通に所持していた見たいじゃぞい?!(汗)
そうか~(汗)
まあ、とりあえず、澤田秀人容疑者が逃げだそうとしていたことはたしかなようだね(汗)
じゃあ、その後、事件はどうなったの?
八戸市のパチンコ店で強盗未遂事件が起こったあとの、28日午前11時頃・・・
澤田秀人容疑者が仕事を無断欠勤していたことで、職場から連絡を受けたと言う親類が、殺害現場となった澤田さん家族の自宅アパートへ様子を見にいったそうじゃ・・・
そこで澤田さん一家4人が殺害されているのを発見した・・・
その後、その親類は警察に通報・・・
ここで事件が発覚したわけじゃな(汗)
現場の様子から、警察は殺人事件と断定・・・
ゆくえが解らなくなっていた、澤田秀人容疑者が何かしらの事情を知っているものと判断し、緊急手配した・・・
そして、そこから約5時間後の28日、16時15分頃、殺害現場のアパートから約40キロ南の岩手県一戸町内を通る、県道脇に停めた車の中に澤田秀人容疑者いるところを岩手県警の捜査員が発見した・・・
その捜査員は、まず職務質問と言う形で車に乗っている容疑者に近づき、澤田秀人、本人かを確かめるため、免許証の提示を求めたようじゃ・・・
それを受け、澤田秀人容疑者は最初、素直に免許証を出す素振りを見せていたが・・・
そこで突然、車をバックさせて捜査車両に衝突させた?!
さらに自分の首を刃物で切り裂いた?!
それを見た捜査員は窓を壊して、止めようとしたが、澤田秀人容疑者はそれを振り切って、車ごとその先にあった約10メートルの崖下に飛び出し転落した?!
そして、その後、まもなく澤田秀人容疑者の死亡が確認された・・・
直接の死因は首を切ったことによる出血死だったようじゃ・・・
それから事件は、容疑者死亡のまま最終的に澤田秀人容疑者による無理心中事件として処理されたと言うわけだが・・・
しかし、ここで大きな謎が残った・・・
それは・・・
「なぜ澤田秀人容疑者は、幸せだった家族を道連れに無理心中などしてしまったのか・・・」
と言うことじゃな(汗)
一説にはガンで余命宣告を受けており、あとわずかしか生きられないことを悲嘆したのではとも言われているが・・・
ガンで余命宣告されていたという事実は確認されてはいないようじゃ(汗)
経済的にも裕福で、夫婦や家族の仲も円満・・・
職場での人間関係に悩んでいたようなこともなく、近隣でトラブルを抱えていたなんて事実もない・・・
一体、澤田秀人容疑者が、なぜこのような事件を引き起こしてしまったのか、いまだに謎のままじゃ(汗)
本人が死亡してしまったことで、真相は謎のままになってしまったわけか~(汗)
幸せだった家族をひとり残らず、道連れにして、最後には自分も自殺してしまったくらいだから、何かしら原因となる出来事があったのはたしかだろうけど、それが何かはわからないと(汗)
澤田秀人容疑者の自殺を許してしまったのは、痛かったね(汗)
まあ、こうして不可解な謎を残しながらも、この事件はたんなる無理心中事件として、幕を閉じるかに見えた・・・
しかし、この事件はここで終わることはなかった?!
なんとその後、澤田秀人容疑者の過去にまつわる恐ろしい事実が発覚したのじゃ?!
そのことにより、再度、この事件はクローズアップされることになったようだぞい?!
澤田秀人容疑者の過去にまつわる恐ろしい事実~?!
一体、何があったって言うのさ?!
【容疑者澤田秀人の怪異】放火?!殺人?!澤田秀人容疑者の恐ろしい過去とは?!
実はの~・・・
この澤田秀人容疑者は・・・
過去に壮絶な少年犯罪を犯していたのじゃ?!
その壮絶な少年犯罪とは・・・
『少年犯罪 八戸OL刺殺事件』
さらに、この事件の2年前には3軒の家を全焼させてしまったと言う放火騒ぎまで引き起こしていたそうなのじゃ?!
澤田秀人容疑者には、そんな過去があったって言うの?!
それは一体、どんな事件なのさ?!
まず放火事件の方だが、事件が起こったのは1973年・・・
現場は当時、八戸市内にあった東映映画館の裏にあった民家3軒・・・
当時、小学生だった澤田秀人容疑者は、その民家に住んでいた友達のところに遊びにいったと言う・・・
その後、どう言う経緯なのか、小学生だった澤田秀人は、その家の障子に火を付けた?!
その火はみるみるうちに燃え広がり、最終的には民家3軒を全焼させてしまった・・・
かなり酷い火事ではあったが、犠牲者が出なかったこともあり、その時は子供のちょっとした火遊びだったのだろうと言うことで、事件化はせず、不幸な事故として処理されたようじゃ・・・
しかし、その2年後の1975年・・・
小学5年生になった澤田秀人容疑者は、恐ろしい殺人事件を引き起こした?!
その事件の様子は、当時の地元紙『デーリー東北新聞』により、詳細に報じられていた・・・
少々、長くなってしまうので、記事に書かれていた内容を少し引用しながら、事件の概要を伝えていくぞい?!
『少年犯罪、八戸OL刺殺事件』
1975年12月21日、昼すぎ頃・・・
八戸市小中野町のアパートで、一人暮らしの女性がステンレス製の包丁で全身メッタ切りにされ、病院に運ばれる途中に死亡するという事件が発生した・・・
目撃者の証言から事件を管轄する青森県警八戸署では、女性のあとから飛び出していった小学生が犯人と見て捜査を開始・・・
・事件当日の様子
1975年12月21日、午後1時23分頃、八戸市小中野町新堀にある角アパートに住む、会社事務員をしていたOL沢口ツヤ子さん(29歳)が・・・
「早く病院に連れていってください」
と叫びながら、血ダルマになって自宅から飛び出してきた・・・
同アパートの無職、佐藤トメさん(63歳)と隣のアパートの無職、工藤シゲさん(40歳)がそれを見つけた・・・
このため工藤さんは沢口さんを抱え、近所の河村医院に運ぼうとした・・・
しかし、約80メートル歩いたところにある、理髪業中村光利さん(37歳)の店の前で力尽き倒れた・・・
沢口さんは首の右側に3箇所・・・
背中の右側に一箇所・・・
さらに手などにも数カ所の刃物による傷を負っていたと言うが・・・
その光景を見ていた、理髪業、中村さんの妻、未夜子さん(37歳)が近所の医者を連れてきたが、その時、沢口さんはすでに出血多量で死んでいた・・・
沢口さんが自宅から飛び出してくるのを見つけた佐藤さんは、事件後に・・・
「助けて、という叫び声がしたので外に出て見たら、沢口さんが血ダルマになり、前かがみになって立っていた・・・」
「そのすぐあとに顔見知りの小学生が、沢口さん方から走って出ていった。その際、刃物を捨てていった」
と証言した・・・
同じ現場にいた工藤さんも・・・
「家の中で掃除をしていたら、助けてという声がしたので外に出てみたら、沢口さんが病院にといってかき根を飛び越えてきた・・・」
との証言をした・・・
これらの証言により、通報を受けた八戸署では、佐藤さんが見たという小学生が犯人と見て捜査を始めた・・・
しかし、事件発生直後、その小学生の行方はまったく解らなかった・・・
警察の調べにより、その後、逃げ出した小学生は同じ小中野町に両親らと住んでおり、事件のあったその日、角アパートの2階に住む伯母(37歳)のところに遊びに来ていた、澤田秀人容疑者(当時、小学5年生)であることが判明した・・・
小学生だった澤田秀人容疑者は、その日、妹と2人で伯母の部屋に遊びにきて昼食を食べたあと、トイレに行くと言って部屋を出たという・・・
そして、凄惨な刺殺は事件が起こった・・・
犯行に使われたのは骨通し包丁2本・・・
刃渡り15~16センチで、どちらにも血がべっとりと付いていた・・・
包丁の1本はアパートの共同炊事場に置いてあったもので、真ん中あたりから大きく折れ曲がっていた・・・
もう一本は玄関から約2メートル離れた水道のそばで発見された・・・
これは沢口さん宅の居間においてあった包丁であることを、後日、沢口さんの母親が確認したと言う・・・
小学生だった澤田秀人容疑者は犯行後の午後3時半頃、友人のところに電話をかけた・・・
その際、小学生の澤田秀人は泣きじゃくるばかりで話の内容は解らなかったと言う・・・
このため八戸署では署員50名のほか、防犯指導員や先生、PTA関係者ら、約100人を動員し、小中野地区を中心に、物置小屋、神社、仏閣、駐車中の車両、船舶などを重点的に探し、小学生、澤田秀人の行方を追った・・・
そして、翌日22日の午前中、お腹が空いたと言って、小学生、澤田秀人は事件のあった現場に戻って来たと言う・・・
その際、犯行がバレるのを恐れた小学生、澤田秀人は・・・
「知らない人に殴られ気絶していた」
と言い逃れようとし、ナイロンひもを使い自分で両手を縛っていた・・・
【容疑者澤田秀人の怪異】小学生だった澤田秀人容疑者・・・なぜ彼は凄惨な殺人事件を犯したのか?!
その後に父親の立ち会いの下でおこなわれた取り調べから、この凄惨な殺人事件の詳細が分かってきた・・・
改めて説明するよりも、事件後に八戸署から出された、申述書の内容を見た方がわかりやすいから、それを引用しておこうかの・・・
何が起こっていたのかが、良くわかると思うぞい?!
・事件の経緯と動機説明
12月21日午前10時半頃、伯母さんの母(祖母)に弁当を届けるため、妹と二人で伯母のいる新堀のアパートに行った。
3人で小中野町の病院(祖母の入院先)に行き、また、伯母の部屋に戻った。
伯母は風呂に行ってくるからと出かけたので、妹と二人で戸棚のインスタントラーメンを作って食べた。
テレビは「ロッテ歌のアルバム」でした。
午後1時15分頃、妹に「ちょっと小便をしてくる」と言って外の便所で用をたした。
そして、道路に出たら伯母さんの階下の部屋に住んでいる女の人(殺された沢口ツヤ子さん)が向い側の店に入って行くのを見た。
また、父が自転車でアパートに来るのを見た。
そして、階段の下の(沢口さん宅の)玄関を見たら戸が開いていたので、中に入ってみようと思った。
その部屋には伯母さんに連れられて2回ぐらい入ったことがあり、だいたい部屋の中の様子は知っていた。
伯母さんの所から履いてきたサンダルを玄関で脱ぎ、台所から障子を開けて中に入った。
真ん中にテーブルがあり、のっている新聞紙の下からお札がチラっと見えたので、私は誰もいないし盗もうと決めた。
お札を手にとってみたら一万円札が4~5枚あり、盗むつもりでいたら部屋の女の人が玄関から入ってきて、私を見ていきなり「ドロボウ」と叫んで部屋に入ろうとした。
なので、逃げようと台所の方に走ったが女の人に玄関で捕まった。
それでも、逃げようとして後ろ側に回り両足を力いっぱい引っ張ったら、女の人は前のめりにパタンと倒れ気を失ったようだった。
私は怖くなり、後ずさりして部屋に入ったら、テーブルに突き当たり倒れた。
散らばっている1万円札を片付けようとしていたら、女の人が気が付き「お水ちょうだい」と言ったので、かわいそうになり台所に行きコップで水を飲ませた。
そしたら、女の人が立ち上がり私に迫ってきた。
ここで捕まっては大変だと思い、最初はクリーム色の柄のついた包丁を取り、右手に逆さに持ち、振り回した。
女の人は私の腰にしがみつき離れようとしなかったので、背中や首のあたりを3、4回ぐらい刺したと思う。
その時は逃げることを考え、無我夢中だったので、何回ぐらい刺したのか覚えていない。
相手の手をようやく振り払い、奥の部屋から逃げようとしたが、逃げ場がないので包丁を捨てて台所に行ったら、女の人が血を流しながらまた立ち向かってきた。
そこで、今度は茶色の柄の包丁を流しから取ってつかみかかろうとする女の人の顔などを切りつけた。
逃げようとしたら玄関でつまずいて倒れた。
その時、手に持っていた包丁が曲がってしまった。
すると、女の人が「助けて」と叫んで玄関から表に出て行ったので、私もすぐ後ろから表に出て、2回目に使った包丁を道路の方へ投げて逃げた。
私はその人を最初から殺す気持ちはなく、ただ逃げるため夢中で包丁を振り回したので、突き刺さったと思います。
・逃走経路説明
2分ぐらい走った場所にある倉庫は時々遊びに行って知っていた。
服に血がついていたので、誰かに見つかるとバレると思い、血のついた紺色セーター、ミカン色のシャツ、ジーパンを脱ぎ、枕にして休みました。
そして、22日、雪も降ってきたし寒くなったので、伯母の家に行こうとしたが、ただ帰ると女の人を私が刺したことがバレるので、倉庫の下にあったナイロンのヒモで自分の両手を縛り・・・
「だれかにたたかれ意識不明になった」
と言えばみんなが信用してくれると思い、ウソをついて午前11時40分頃、出かけて行ったところを警察の人に発見されたのです。
伯母さんの階下の女の人の名前が沢口ツヤ子さんであることは今、初めて知りました。
大変悪いことをしました。
反省しています。
どうか許してください。
引用:1975年、地元新聞「東奥日報」掲載、『八戸OL刺殺事件』少年の申述書の要旨より
小学5年生の子供とは思えない感じだね(汗)
最初から盗みを働くつもりで、家に侵入・・・
その後、その家の女性に発見されてしまったが・・・
捕まるのが嫌で逃げだそうとした際に、包丁を振り回し、女性を刺し殺してしまったと(汗)
さらに犯行を隠すため、嘘をついて言い逃れまでしようとしたわけか・・・(汗)
小学生の浅知恵で、その嘘はすぐバレてしまったわけだけど、何だかこの頃から将来が危ぶまれる感じじゃないのよ(汗)
一体、どんな家庭環境で育ったのか気になるね(汗)
それでは簡単に、これまでの彼の生い立ちと、小学5年生にして、このような凄惨な事件を引き起こしてしまった澤田秀人容疑者のその後を、伝えていこうかの~・・・
とりあえず、今回は長くなってしまったから、一旦、ここで切るぞい?!
次回はその辺りから、詳しく伝えていくからの~!
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【容疑者澤田秀人の怪異1】八戸一家4人殺害事件・・・甦る怨念:あとがき
『澤田秀人容疑者の怪異』の記事は楽しんでもらえたかの?
良かったら、コメント欄に記事の感想を寄せてくれたら嬉しいぞい!
でも、アンチコメントは無しでお願いしますじゃぞ(汗)
ちょっと、更新遅くないか~い?
なんか新キャラ出して、お茶を濁す感じの記事が上がってたみたいだけども(汗)
本業の方も立て込んで来て、正直、著者は現在いつ、ぶっ倒れてもおかしくないくらいのオーバーワーク状態なのじゃ(汗)
その上、誰が読んでるのかも解らない状態で、やる気もそがれるし(汗)
肉体的にも精神的にも、だいぶ疲れているのじゃ(汗)
世間のブロガーと呼ばれる人たちの、ほとんどがそんな状態だと思うが、良く続くものだと感心するわい(汗)
自分でやってみるまでは気づかなかったが、あれは相当な労力じゃぞ(汗)
甘えるんじゃない!
もしかしたら更新を待ってる人もいるかも知れないじゃないか?!
それを信じて頑張るんだ!
それじゃ~、次回は容疑者『澤田秀人』の生い立ちや、小学生で刺殺事件を起こしてしまったあとの彼についてからスタートしていくよ!
そして・・・『容疑者澤田秀人の怪異』記事の肝である・・・
八戸一家4人殺害は怨念の仕業だったのではないか?!
と言った都市伝説についても、じっくりと考察していくよ~・・・(汗)
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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