あなたは、今から約41年前の京都・長岡京で起こった、恐ろしき未解決強姦殺人事件をご存じだろうか・・・
(※2020年、時点)
その恐ろしき未解決強姦殺人事件とは・・・
『長岡京ワラビ採り殺人事件・・・』
当時、京都・長岡京市内にあるスーパーで働いていた2人の主婦・・・
その2人の主婦が仕事終わり、近くの山にワラビ採りに出かけたあと、行方が解らなくなったが・・・
その2日後・・・
2人は凄惨な他殺体となって発見されたと言う恐ろしい殺人事件・・・
この事件の不可解で不気味なところはここ・・・
『殺害された主婦のうち、一人のポケットから謎のメモが発見された・・・』
殺害現場付近では過去にレイプ事件なども起こっており、事件発生当初から不審な人物の目撃証言なども多数あがっていた・・・
現場に残された物証は少なかったが、疑わしい容疑者はかなり早い段階から浮上していたこともあり、事件はすぐに解決するかに思われていた・・・
しかし結局、時効が成立してしまい、未解決事件となってしまった・・・
『長岡京ワラビ採り殺人事件』
この事件について伝えていくぞい!
事件当日、犠牲となった2人の主婦に一体、何が起こっていたと言うのか?!
当時の様子や事件発覚までの経緯、その後の目撃証言、さらに事件の真相ではないかと噂される説などについても詳しく伝えていくぞい?!
この事件について、よく分からない人は第1回目の記事から見てみておくれの~!
事件の経緯から詳しく伝えていくぞい?!
↓↓↓ 第1回目の記事はこちら ↓↓↓
これを見ているみんなも、一緒に推理して見てね!
それと!この記事に関しては当サイトオリジナル動画もあるよ!
読むのが面倒な人は動画でどうぞだよ~!
↓↓↓ この記事の動画版はこちら! ↓↓↓
※WARNING※
※『長岡京ワラビ採り殺人事件』の記事は少々、長くなってしまうので、これから数回に渡ってお送りいたします。
これは第3回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
※逆に記事を気に入り、下記のアイコンをポチっとすると、今度はうれし涙を流す著者が夢に出てくると言うオカルト好きにはたまらない不気味な体験をすることができるかも知れません。(適当)
【長岡京ワラビ採り殺人事件3】残虐なる未解決暴行強姦殺人事件【関連が噂される別の事件】
仕事終わりに近くの山へワラビ採りに行った主婦2人が、何者かによって激しい暴行の末に強姦までされてしまった・・・
そして最後には残虐な方法で殺された・・・
事件現場には様々な物証もあったが、取りわけ奇妙なのは被害者、明石英子さんのジーンズのポケットに入っていたと言う謎のメモ・・・
このメモには・・・
『オワレています たすけて下さい この男の人わるい人・・・』
と書かれていた・・・
警察は、このメモの内容から単独犯による犯行と断定したが・・・
しかし、その後に寄せられた目撃証言を見ると、複数人で行動していた不審な人物がいたとの情報が多くあった・・・
建設作業員の若者2人、被害者の主婦2人のすぐあとに山に入っていった若者2人、ヒッピー風の男とその連れの男・・・
包丁を持った中年男性、その包丁男に似た中年の男で事件の1週間前に現れた不審な男などなど・・・
近くの宅地造成現場からは、事件後に来なくなってしまった土木作業員も多数いたと言う・・・
その消えた土木作業員の誰かによる犯行なのか・・・?
それとも地元の人間によるものか・・・?
実はこの「長岡京ワラビ採り殺人事件」には関連が噂される別の事件がある・・・
それらの関連が噂される事件は、長岡京ワラビ採り殺人事件の犯行現場からもごく近い範囲で起こったものもある・・・
果たして本当に関連があるのか?!
今回はそれらの事件との関連が噂される別の事件について、伝えていくぞい?!
【長岡京ワラビ採り殺人事件】宇治マラソン主婦行方不明事件・・・事件現場からわずか15キロ離れた場所で起こった不可解な行方不明事件・・・
まず初めはこれじゃ・・・
『宇治マラソン主婦行方不明事件』
長岡京ワラビ採り殺人事件が起こる半年ほど前の1978年11月23日の夜・・・
犠牲となった主婦2人、明石さんと水野さんが殺害された現場から15キロほど離れた京都府宇治市槙島で、主婦が行方不明となる事件が起こったそうじゃ・・・
「M・Aさん(当時38歳)」
この主婦のM・Aさんは、その日の夜、自宅付近にマラソンをしに出かけたところ、そのまま行方不明になってしまったそうじゃ・・・
その後に警察が主婦が行方不明となった現場付近を捜索すると、自宅近くの農道で血痕が見つかった・・・
その血痕は、そこから200メートルほど離れた田んぼのあぜ道まで点々と続き、そこには人を引きずったような跡と複数の足跡も残されていたと言う・・・
流れ出た血液は1リットルあまりもなっていたと言うが、その付近には主婦M・Aさんの姿はなく、その状況から何者かに連れ去られたものと推測されたようじゃ・・・
付近では交通事故の痕跡もないことから警察はその後、殺人・死体遺棄事件として捜査をしたと言うが・・・
しかし、結局、こちらの事件も未解決のままとなってしまったようじゃ・・・
長岡京ワラビ採り殺人事件の現場からもかなり近く、事件が発生した時期も近い・・・
さらにこの事件でも主婦が狙われ、刃物が使われているなど共通する点もあることから、何か関連があるのではないかと噂になったようじゃ・・・
殺害現場から15キロほどしか離れていない場所で、長岡京ワラビ採り殺人事件で犠牲となったのと同じ主婦が行方不明になったと・・・
現場には血痕が残されていたところを見ると、行方不明になった主婦も刃物で切り付けられたんじゃないかって気もするけど・・・?
もしかしたら同一犯の仕業だったのかなぁ?
同一犯の可能性か~・・・
その可能性も否定は出来ないだろうの~・・・
しかし、この事件については長岡京ワラビ採り殺人事件との関連が噂されてはいるが、イマイチ事件に関する情報が少ない・・・
なので噂通り、本当に関連があるのかは何とも言えないところではあるの~(汗)
その内、詳しく調べて見ようと思うが、記事を見ている人の中で、この「宇治マラソン主婦行方不明事件」について、何か詳しい資料などをお持ちの方がいれば、参考にしたいので、良ければ情報を寄せてくれたらありがたいぞい!
【長岡京ワラビ採り殺人事件】長岡京主婦放火殺人事件・・・事件の5年後に起こった放火殺人・・・その事件の被害者もまた主婦であったと言うが・・・
次の関連が噂される事件は、これじゃ?!
『長岡京主婦放火殺人事件』
この事件が起こったのは、長岡京ワラビ採り殺人事件が起こった約5年後の1984年5月15日・・・
京都府長岡京市神足(こうたり)にある旧国鉄職員Kさん宅から出火し、木造二階建て約100平方メートルのうち、1階の6帖居間の一部が焼失すると言う火災が発生した・・・
しかし、応答がなかったため、すぐに119番通報したそうじゃ・・・
火災現場となった居間からは、その家に住む主婦・・・
「K・Kさん(当時48歳)」
の遺体が発見された・・・
ここまでなら、何らかの原因で発生した住宅火災が原因で逃げ遅れた主婦K・Kさんが不幸にも火災に巻き込まれ死亡してしまったのだろうと思うかも知れない・・・
しかし、その後、そこで死亡していたK・Kさんの身体には鋭利な刃物で刺された刺し傷があることがわかった・・・
それにより警察は、これは事故ではなく、何者かによる放火殺人事件と断定し捜査を開始したようじゃ・・・
火災が発生した居間の中央に、主婦のK・Kさんはうつ伏せになって倒れていた・・・
その遺体には左耳の下に深い傷が数カ所あり、背中にも数十箇所の切り傷があったそうじゃ・・・
さらに遺体の上には、居間の押し入れにあった衣類数十点と布団数枚が高さ50~60センチに渡り、重なられていたと言う・・・
当時、殺された主婦K・Kさんの長女は、近々結婚の予定があったようだが、彼女の花嫁道具にと買った着物なども殺害現場には散らばっていたようじゃ・・・
そしてK・Kさんの上に掛けられていた布団と、その布団からはみ出していた遺体の手足や頭の一部、そして周囲の畳が燃えていた・・・
またKさん宅の1階と2階には血痕が残っていたと言う・・・
これらの状況から警察は、犯人が主婦K・Kさんを刺し殺した後、放火したものとみて捜査をおこなったようで、窃盗の可能性も考慮し、室内に物色された跡や被害品の有無などについても調べたそうじゃ・・・
死因については、どうやら遺体のキズの状況から左耳下の傷からの失血死、あるいは目にうっ血の跡があることから首を絞められたことによる窒息死であろうと推測されたようじゃ・・・
殺害現場は旧国鉄神足駅の約150メートル北西、商店街に面した古くからの住宅街で昼間は人通りが少ない場所であったと言う・・・
Kさん宅には当時、Kさん夫婦と会社員の長男(当時27歳)長女(23歳)との四人暮らしだったが、事件当時は彼女一人が家にいたようじゃ・・・
消火作業に当たった消防士の話では、Kさん宅の裏口は開いていたとのことで、ここから犯人が侵入したものと見られたようじゃ・・・
その後の警察の捜査によって、殺害現場には犯人のものと見られる長靴の足跡と、なんと被害者のものとは違う血痕も残されていたそうじゃ・・・
どうやらこの血痕は犯人のものと推測されたようだが、その血液型は・・・
『O型だった・・・』
とのことで、これは長岡京ワラビ採り殺人事件の犯人の血液型とも同じであった・・・
さらに警察はどうやらその後、同じ長岡京市内で起こった、このふたつの殺人事件について関連性があるかどうかも調べたと言う・・・
そして、そのことが表に出て来たことで後日、こんな噂がささやかれることになったようじゃ・・・
・事件後、まことしやかにささやかれた噂の内容・・・
放火殺人で殺された主婦K・Kさんは長岡京ワラビ採り殺人事件が起こった当日、実は明石英子さんと水野恵子さんの2人と共にワラビ採りに出かけていた・・・
しかしK・Kさんだけが先に1人で下山したことで殺害から免れた・・・
マスコミと警察は報道協定を結んで、主婦K・Kの安全のため彼女の存在を公表しなかった・・・
しかし後日、K・Kさんはワラビ採り殺人の真犯人に殺されてしまった・・・
もしかしたらK・Kさんは、この真犯人に関する重要なことを知っていたために殺されたのかも知れない・・・
一緒にワラビ採りに同行した人物が、被害者の主婦2人以外にもう1人いたってこと?(汗)
そのもう1人が、事件から5年後に真犯人よって殺された~?
まるで推理小説にでも出て来そうなドラマチックな展開だけど、本当のことなの~?
そもそも殺された明石さんと水野さん、そしてK・Kさんとは何か接点がったわけ~?
一緒にワラビ採りに行っていたのが本当なら、何らかの接点があったと思うけど~?
一部、ネット上では長岡京ワラビ採り殺人事件の被害者の主婦2人と放火殺人事件で殺された主婦K・Kさんとは、同じスーパー「いずみや 長岡店」の同僚だったとの説明もあるが・・・
1984年5月16日の毎日新聞の記事には、放火殺人事件の被害者K・Kさんは別の工場でのパートをしていたと報じられていたことから、その情報は誤りであるとも指摘されている・・・
その後、放火殺人事件に関して開かれた警察の記者会見でも、特に長岡京ワラビ採り殺人事件と被害者の主婦K・Kさんとの関係もまったく言及されていなかったと言う・・・
またマスコミ関係者からも、噂にあるような報道協定があったと言う証言も一切、出ていない・・・
これらのことから、実はこの噂についてはただの都市伝説だろうと言われているようじゃ(汗)
そもそも長岡京ワラビ採り殺人事件での、被害者に関する目撃証言の中には明石さんと水野さんの他に、もう1人同行していた人物がいたと言う話もなかった・・・
さらに長岡京ワラビ採り殺人事件の被害者2人と、その後の放火殺人事件での被害者に接点があったと言う話はすべて噂レベルであり、特に根拠も示されていなかった・・・
それらのことから、おそらく特に最初の殺人事件の被害者、明石さんと水野さん、そしてのちの殺人事件の被害者K・Kさんとは、これと言って繋がりはなかったのではないかと思うぞい(汗)
とは言え、双方の殺人事件において、その殺害現場があまりに近いことや包丁が凶器となっている点、また犯人の血液型がO型の可能性がある点など、共通する点も多いことから、同一犯だった可能性については残る気もするがの~(汗)
ちなみに、この「長岡京主婦放火殺人事件」についても結局、犯人は捕まらないまま時効を迎え、未解決事件となってしまったようじゃ・・・
ただの都市伝説レベルの噂か~(汗)
妙に内容が具体的だから、信憑性があるのかと思っちゃったよ~(汗)
まあ、かなり有名な事件だし、いろんな人がその後に憶測を語ることも多かっただろうしね~・・・
それらが、さも事実であるかのように広まってしまったってことなのかも知れないねぇ(汗)
【長岡京ワラビ採り殺人事件】勝田清孝事件・・・同時期に実在した凶悪なシリアルキラー・・・その凶行は京都でもおこなわれていたと言うが・・・
そうかも知れないの~(汗)
最初はただの憶測だったものが、時間が経つにつれて広まる中で、まるで真実であるかのようにすり替わっていった・・・
その発信元が、雑誌や新聞など少しでも権威がある媒体であれば、なおさら憶測が真実にすり替わりやすいような気もするしの(汗)
それでは次にいくぞい?!
次の関連が噂される事件はこれじゃ?!
『勝田清孝事件・・・』
この勝田清孝事件とは「長岡京ワラビ採り殺人事件」が起こったのと同時期に実在していた『勝田清孝』と言う連続殺人犯が引き起こした、一連の殺人事件を総称した事件のようじゃ・・・
この事件に関しては、関連があると言うよりもそのものズバリ・・・
「この事件の犯人である勝田清孝が長岡京ワラビ採り殺人事件の真犯人ではないか・・・?」
との噂がなされているようじゃ・・・
この勝田清孝は1972年~1983年の約10年間のあいだに、東海地方・近畿地方で8人を相次いで殺害した連続殺人犯として、死刑になった人物じゃ・・・
ちなみに彼は10年間に約300件に及ぶ窃盗・強盗殺人を起こしたとされ、自供した殺人だけでも22件にものぼったそうじゃ・・・
しかし、その内14件は確証がなかったとの理由から立件されなかったと言う・・・
彼が起こした殺人については、以下に掲載しておくぞい?!
・勝田清孝事件・・・最悪のシリアルキラーが犯した殺人の数々・・・
1972年9月13日・・・
京都府山科区で空き巣に入ったが、その部屋に住んでいる女性(ホステス 当時24歳)がちょうど帰宅してきて、見つかってしまった・・・
そこで開き直った勝田は「金を出せ!」と脅した・・・
恐怖した女性は「お金はありません。私の身体でよければあげますから・・・」と答えたので、すぐに犯した・・・
終わった後、顔を見られていることと、自分が逃げようとした時に大声を出したので、パンストで首を絞め殺害・・・
逃げる歳に財布から千円を奪った・・・
この時、勝田は24歳・・・
消防士をしていたが、金に困っていたため仕事が休みの時には長距離トラックのアルバイトをするようになったと言う・・・
彼はこの長距離トラックで荷物を運んだ先の地域でも、空き巣を働くようになった・・・
3年後の1975年7月6日・・・
大阪府吹田市で空き巣に入れそうな家を探している時、クラブ経営者の女性(当時35歳)が、たまたま勝田清孝の近くに車を停めて降りてきた・・・
ハンドバッグを持っていたので、これをひったくろうとして手をかけたが失敗・・・
その後、この女性ともみ合いになったので、ロープで首を絞めて殺害した・・・
遺体はこの女性の車に乗せて農業用の池に捨て、車の方は火をつけて燃やした・・・
翌年の1976年3月5日・・・
勝田清孝が名古屋市中区を車で走っていた時、若い女性(ホステス 当時27歳)が運転する外車を見つけた・・・
そのまま車で後をつけ、女性が自宅らしき所へ車を停めて降りてきたところへ駆けより、ハンドバッグをひったくろうとしたが失敗・・・
その際、女性に騒がれたので絞殺した・・・
遺体をその女性の車に乗せて自分で運転し、田んぼに遺棄・・・・
遺体のむき出しの下半身にすすきの穂を差し込んで立ち去った・・・
この時には現金約12万円を奪っている・・・
車は15kmほど離れた所に放置して、そのまま逃走した・・・
1977年6月30日・・・
名古屋市南区で空き巣に入れる家を探していたところ、たまたま一人の女性(マージャン店のパート従業員、当時28歳)が、外出しようとしているところを発見・・・
女性が鍵をかけずに、ドアから立ち去ったのを見た勝田はすぐにこの家に忍び込み、家具の中から4万円を見つけ盗む・・・
逃げようとしたところ、この女性が帰って来てしまいバッタリと出くわした・・・
女性が大声を上げたために家の中に引っ張り込み、家の中にあったヒモ状のもので首を絞めて殺害・・・
1977年8月12日・・・
名古屋市昭和区で勝田清孝は次のターゲットにしようと思っていたマンションの下見に訪れた・・・
3階の通路をうろついているとすぐ前のドアが開き、一人の女性(美容師の女性、当時33歳)が顔を出した・・・
「あんた誰?何してんの?」
と女性に声を掛けられ、この時に不審がられてヤバイと感じた勝田清孝は女性に襲いかかり、部屋の中へと押し入り、パンストで女性の首を絞めて殺害・・・
遺体はベッドと壁の隙間に隠し、45万円相当のダイヤの指輪を奪って逃走した・・・
1977年12月13日・・・
午後5時過ぎ・・・
勝田清孝29歳のとき、神戸市中央区のビルの北側通路で兵庫労働金庫神戸東支店職員の男性(当時25歳)めがけて散弾銃を発射・・・
左肩から肺にかけて散弾30数発が入り、撃たれた男性は2日後に出血多量で死亡・・・
このとき、勝田清孝は現金約410万円が入ったカバンを奪っている・・・
猟銃は同年11月20日、奈良県天理市の銃砲店の前に駐車している車から盗んだものだった・・・
そして、この時の犯行に使ったトラックは同年12月9日、名古屋市内の青果会社の駐車場から盗んだものだった・・・
1980年2月15日・・・
31歳の時、名古屋市瑞穂区で、瀬戸信金瑞穂通支店職員(当時43歳)を散弾銃で脅して、小切手3通、収入印紙21枚、額面総計26万6100円が入った鞄などを奪った・・・
1980年7月31日・・・
午前0時過ぎ、名古屋市名東区のスーパー「中部松坂屋ストア」(現・松坂屋ストア)の駐車場で帰宅しようと車の運転席にいた夜間店長の男性(当時35歳)に散弾銃を突きつけ、「静かにして言うことを聞けば何もしない」などと脅迫・・・
男性を事務所に連行し、金庫を開けさせ、総額576万円余りの現金と商品券を奪った・・・
その後、男性に盗難車のカローラを運転させ、中区にある車庫に止めたところで、男性が銃を奪おうとするなど抵抗したため、散弾銃を胸にめがけて一発発射・・・
出血多量で死亡させた・・・
散弾は前年の12月8日に名古屋市内の車のトランクから、散弾銃は12月29日に名古屋市内の猟銃愛好家の自宅から盗んだものだった・・・
1980年11月8日・・・
32歳のとき、勝田清孝は車上狙いで逮捕され、懲役10ヶ月・執行猶予3年の判決を受けた・・・
当時、消防士として働いていた彼はこの時、懲戒免職になった・・・
その後、勝田清孝は妻と子ども2人とともに京都府城陽市のマンションに転居し、彼はトラック運転手になった。
1981年2月・・・
愛知県小牧市の「ホーエー家電小牧店」で店員を脅し、107万円を強奪した。
1982年2月・・・
勝田清孝33歳の時、京都市や山科区でスナックを経営する女性(当時32歳)と知り合い、9月に同区内に密会のためのマンションを借りた・・・
部屋代は月5万2000円、家具に200万円かけたと言う・・・
この頃には妻に愛想をつかされ別居状態となった・・・
1982年10月27日・・・
午後9時ごろ、勝田清孝34歳の時、名古屋市千種区で警察に「近くに盗難車っぽい黒い車があるから調べてくれ」という内容の電話をした・・・
午後9時25分ごろにも「早く来てください。不審者もいる」という電話をした・・・
愛知県警千種署の田代北派出所で勤務中だった男性巡査(当時33歳)がやがて徒歩で現場に現れた・・・
だが、そこには誰もいなかったので、男性巡査は近くに停めてあったクラウン・スーパーサルーンのナンバーを控えて戻ろうとした・・・
その時、突然クラウンに乗っていた勝田清孝が男性巡査をはね飛ばした・・・
さらに勝田清孝は「どうした」と声をかけて、鉄棒で数回殴って全治4ヶ月の重傷を負わせ、腰につけたサックからニューナンブ38口径の拳銃を奪い逃走した・・・
1982年10月31日・・・
午前2時50分ごろ、静岡県浜松市鹿谷町(現:浜松市中区鹿谷町)の「トウア名残店」にヘルメット、サングラス、タオルで覆面し、右手に拳銃を持って侵入・・・
同店の店員3人に対して「騒ぐな。名古屋で拳銃が強奪された事件を知っているだろう。この拳銃がそうだ。金を出せ」と言って脅した・・・
だが店員がスキを見て、店外に脱出したため勝田清孝はあわてて店外へ脱出した。
1982年 10月31日・・・
同日午後8時過ぎ、千葉市へ帰宅途中であった溶接工の男性(27歳)は、大津サービスエリアの上り線駐車場に車を停車させていた・・・
そこへ勝田清孝が助手席に乗り込み、「名古屋まで乗せて行ってくれ」と強引に頼んだ・・・
走り出してすぐ勝田清孝のジャンパーのポケットから拳銃が足元にこぼれ落ちた・・・
勝田は拾い上げて「逃げると撃つぞ」と脅して、瀬田西インターチェンジから国道1号線に出て名古屋方面に向かわせた・・・
午後9時30分ごろ、滋賀県草津市の路上で、男性は車を急停車させ、勝田の右手につかみかかり、拳銃を奪おうとした・・・
しかし勝田はこれをふりほどき、神山を何かで縛ろうとして後部座席に移動しようとした・・・
その時、男性は再び勝田の手をつかんで、拳銃を取り上げようとした・・・
怒った勝田清孝は男性の胸に拳銃を発砲・・・
後部座席に男性を乗せたまま、勝田は名古屋市内の深夜スーパーを狙うため、国道41号線を名古屋に向けて走った・・・
神山は「水をくれ」「冷たいものをくれ」と言っていたので、まだ生きていたことに驚き、病院を探すが、見つからず、まもなく静かになったので、死亡したと判断した・・・
この時、勝田は神山から現金4万円を盗んでいる・・・
名古屋での強盗を諦め、小牧インターチェンジから高速道路に入った。
翌11月1日午前2時ごろ、勝田は養老サービスエリア下り線、駐車場に着くと車から降り、血の付いた手袋をエリア内のゴミカゴに捨てた。
この時、ガソリンスタンド従業員の男性(当時43歳)に一部始終を見られてしまったと思い、スタンドの売上げ金を奪おうとして、隠し持っていた短銃を男性に突きつけ「名古屋の短銃事件を知っているやろ。売上げ金を出せ」と脅かした。
男性が逃げようと後ずさりしたとたん、勝田は弾丸を胸に命中させ、全治2ヶ月の重傷を負わせた。
勝田は売上げ金を諦め逃げる途中、ジャンパーなどを脱ぎ捨て京都方面に向かうトラックに乗せてもらい、大津サービスエリアに駐車しておいた自分のクラウン・スーパーサルーンで家に戻った。
1983年1月31日・・・
名古屋市昭和区の第一勧業銀行で従業員の給料102万円を下しに来た会社社長が社用車に乗り込もうとすると、突然助手席に勝田清孝が押し入り拳銃を突きつけた。
ところが時間稼ぎをしているうちに駐車場に新たな客が入ってきて、勝田清孝の注意がそれた瞬間を見計らって社長は反撃・・・
うっかり銃を落としてしまった勝田は逃げようとするも、その場で取り押さえられ、ついに逮捕される・・・
その後の自白によって、迷宮入りしていた数々の殺人事件の全容が明かされるも、すでに証拠が散逸していることもあって、勝田清孝の犯行で立件されたのは8件のみにとどまった。
勝田清孝は22名を殺害したと自供したが、死体が発見されなかった例も多くある14件の殺人については、そのまま迷宮入りとなった・・・
勝田清孝事件と長岡京ワラビ採り殺人事件の共通点・・・
そして、長岡京ワラビ採り殺人事件・・・
これらの事件を比べて見ると、たしかに状況的に共通した点も多く、また勝田清孝が、この長岡京ワラビ採り殺人事件の真犯人なのではないかと思えて来る部分もある・・・
ここから連続殺人犯、勝田清孝が疑惑を持たれるに至った点について、説明していくぞい?!
まず事件が起こった長岡京ワラビ採り殺人事件が起こった場所は・・・
『京都府内・・・』
勝田清孝の犯行は近畿・東海地方などかなり広い範囲に広がっていたが、その中には京都も含まれている・・・
当時、彼は本業の消防士のほか、副業で長距離トラックの運転手をしていたようだが、その移動先でも犯行をおこなったと自供しており、最初の殺人は京都府内での犯行だった・・・
そして、長岡京ワラビ採り殺人事件の被害者のひとり明石英子さんの死因は・・・
『絞殺による窒息死だった・・・』
勝田清孝が引き起こした殺人事件は拳銃や散弾銃などの銃器をもちいたものもあったが、それ以外は、ほぼすべて絞殺であった・・・
また勝田清孝に殺害された女性の中には、殺される前に強姦された者もいた・・・
極めつけは長岡京ワラビ採り殺人事件が起こる1週間ほど前に現れたと言う不審な男だが、その後に警察が公表したその男の似顔絵と勝田清孝の顔が似ていると言う意見もあるようじゃ・・・
実際に見比べて見ようかの・・・
・連続殺人犯『勝田清孝』
・不審な男の似顔絵・・・
当時、勝田清孝は消防士と言う職業柄かなり腕力もあったはず・・・
長岡京ワラビ採り殺人事件の被害者2人の身体には合計数十発にもおよぶ暴行のあとがあった・・・
これだけの暴行をおこなうには、かなり腕力がなければ難しいとも思うが・・・
消防士と言う職業の勝田清孝ならば、可能だったのではないかとも思える・・・
連続殺人犯、勝田清孝が犯行を起こしていたのは、おもに1972年~1982年までのあいだで、その間に長岡京ワラビ採り殺人事件も起こっており、時期的にも一致している・・・
それらのことから、この連続殺人犯『勝田清孝』が長岡京ワラビ採り殺人事件の真犯人ではないかと噂されているわけじゃな(汗)
たしかに共通点も多いし、言われて見れば似顔絵の男にも似てる気もするし・・・(汗)
地域や時期的なものも一致しているようだし・・・
これはもう、この勝田清孝が犯人だったんじゃないのかなぁ?(汗)
【長岡京ワラビ採り殺人事件】連続殺人犯『勝田清孝』・・・事件の真犯人とも思える共通点もあるが、しかし・・・
たしかにこれだけ聞けば、事件の真犯人は、この勝田清孝だったのではないかとも思えて来る・・・
しかし、彼を真犯人とするには少々、矛盾した点もあると思うぞい?!(汗)
まず、この勝田清孝の犯行動機はおもに金銭を目的としており、ほとんどの事件が強盗殺人だったと言う点・・・
最初の京都府内で引き起こした殺人の際は、1000円と言う少額の金額でさえも彼は奪っている・・・
しかし、長岡京ワラビ採り殺人事件の場合は、被害者の財布はそのまま残されていた・・・
そして、勝田清孝が殺害した女性の中には、強姦されていた者がいたことはたしかだが、その数はわずか1名のみで、ほとんどは強姦などはせずに殺害している・・・
さらに長岡京ワラビ採り殺人事件が起こった1979年だが、のちの勝田清孝の自供によれば、その時期は消防士の全国競技大会への出場や本職の消防士として責任ある地位についていたこと、また愛人の存在を知った妻が自殺未遂を起こし、窃盗を働くどころではなかったと言う・・・
実際に勝田清孝の犯行は、1977年の年末から1980年の初め頃まではピタリとおさまっている・・・
その間に長岡京ワラビ採り殺人事件だけを起こしたとするのも、何かおかしい気もする・・・
そうなると、やはりこの勝田清孝が長岡京ワラビ採り殺人事件の真犯人とするのも少々、無理がある気がするぞい(汗)
長岡京ワラビ採り殺人事件と勝田清孝の犯行には共通する点もあるにはあるけど、同時に矛盾した点もあり真犯人とするには無理があると言うことか~・・・
長岡京ワラビ採り殺人事件と、勝田清孝事件・・・
関連もありそうで、かなり怪しくはあるけど今一歩な感じなわけなんだね(汗)
そうじゃあ一体、犯人は何者なのか・・・?
何か真相に繋がるような説があったりのかなぁ?
事件の真相にどこまで近づけているのかは解らないが、この長岡京ワラビ採り殺人事件には事件の真相ではないかと噂される、いくつかの説があるぞい?!
ここから、その辺の噂されている事件の真相説についても、伝えていこうと思うが・・・
今回は一旦、ここで切らせてもらい、それについてはまた次回、伝えていこうと思うぞい?!
↓↓↓ 続きはこちら! ↓↓↓
【長岡京ワラビ採り殺人事件3】残虐なる未解決暴行強姦殺人事件【関連が噂される別の事件編】:あとがき
この『長岡京ワラビ採り殺人事件』ではいくつかの関連が噂される別の事件があったわけだが・・・
どれもイマイチ本当に関連があるのかが解らないの~(汗)
実際に長岡京ワラビ採り殺人事件との関連があるのかの確証も少ないみたいだしね(汗)
だが、これから話、事件の真相として噂される説の中にはかなり有力そうなものもあったりするぞい?!
次回はその辺の噂される真相説について、じっくり伝えていくからの!
次回も引き続き『長岡京ワラビ採り殺人事件』について記事にしていくよ!
事件の真相として噂される説とは如何なるものか?!
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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