タイ旅行で多くの人が訪れる観光地、ワットプラケオには何があるの?エメラルド仏って一体、なんでそんなに崇められてるの?ワットプラケオの魅力ってなに?ワットプラケオの行き方は?見どころは?料金は?営業時間は?歴史は?所要時間は?何か注意する点はある?服装で入場を断れるの?どうすれば良い?ワットプラケオの近くで休憩できるところは?ワットプラケオを見たあとは、どこを廻ろうか?
こんな疑問に答えます♪
タイ旅行と言ったらバンコク!
バンコクと言ったらタイ3大寺院巡りですよね!
今回はタイ3大寺院のひとつである
『ワットプラケオ(と王宮周辺)』
についてまとめて見たいと思います。
何も知らずにワットプラケオと王宮を見るのは損です。
タイ旅行でワットプラケオと王宮を見る前に知っておきたい知識をすべて教えます。
ワットプラケオと王宮について、かなり網羅的にまとめるので、1つの記事にすると相当、長くなってしまいます。
なのでワットプラケオと王宮については記事を3つに分けて掲載したいと思います。
この記事はワットプラケオシリーズ第3回目の記事です。
第1回目の記事内容
「ワットプラケオの基本情報」
「ワットプラケオの最寄り駅(行き方)」
「ワットプラケオ観光での服装について」
「ワットプラケオでの注意点」(重要・詐欺注意)
第2回目の記事内容
「ワットプラケオの歴史」
「ワットプラケオと王宮の見どころ」
「ワットプラケオにアンコールワットの模型がある理由」
「ワットプラケオに保存される経文に書いてあること」
「伝説に彩られたエメラルド仏・・・流浪の旅」
「ワットプラケオのご本尊エメラルド仏が崇められている理由」
「ワットプラケオにあるエメラルド仏に値段がつくとしたら(予想も含め、ざっくり算定)」
第3回目の記事内容
「ワットプラケオと王宮、その他の見どころ」
「ワットプラケオにある仏舎利(釈迦の遺骨)が、ガチで本物の可能性がある理由」
「タイから日本へもたらされた素晴らしい贈り物。結論:日本とタイの友好関係は絶対に崩してはならない」
「ワットプラケオと王宮周辺のおすすめ休憩スポット」
「ワットプラケオと王宮のあとに観光して欲しいおすすめスポットへの行き方」
自己紹介
この記事を書いている私は、タイ旅行には何度も行っており、長い時には1ヶ月近く滞在することもあります。
タイにはトータル2~3年は滞在しており、タイ旅行での不安や疑問を良く相談されます。
そんな私もタイのワットプラケオや王宮について何も知りませんでした。
とは言え、何度もタイ旅行に行っていれば、ほぼ完璧にタイのワットプラケオや王宮についてわかるようになりました。
今回は『ラーマキエンシリーズ記事』で活躍してくれたハヌマーンと息子のアスラパット、チラッと敵役のチャクラワットの息子、それとワットポーで寝てる仏様も登場してもらいます。
よろしくの~。
今日は父ちゃんと一緒にワットプラケオと王宮観光にきた~!
ワットポーに引き続いて、いろいろ教えてやるぞい♪
所要時間
この記事はほんの10分ほどで読み終わります。
読み終わった頃には、タイ旅行での定番観光スポットであるワットプラケオと王宮についてわかるようになります。
タイマニアが答えるワットプラケオと王宮の疑問16選PART3
タイ旅行の定番スポット『ワットプラケオと王宮』
どうせタイ旅行でワットプラケオと王宮を観光するなら、事前にいろいろ知っておいた方がお得です。
ワットプラケオと王宮の魅力をあますことなくお伝えします。
第3回目の今回は残りの見どころと、さらなるトリビア的な話をお伝えしてみたいと思います。
観光客が多い時は、本堂に行列ができているからエメラルド仏を見るまでに15~20分くらいはプラスして予定した方が良いかも知れないよ!
【ワットプラケオと王宮】見どころ あんど 茶番劇
ワットプラケオのエメラルド仏は凄いな~。
子ザルはホントに俗っぽいの~(汗)
本当の価値は値段じゃないぞ!
ワットプラケオのエメラルド仏はとにかく凄いの!
高いから凄いとかって問題じゃないのだぞ!
値段は重要っしょ~?(汗)
超高値!凄いじゃないか~!
てか!ワットポーの仏さまも超高値なんじゃないの?!
デッカいし、金ピカだし~?
本当の価値は値段じゃないと言っておるじゃろ!
金ピカってことは、もしかして純金製だったりするー?!
そしたら超高価だよね~?!
たぶん、普通の金属製じゃ!
金ピカなのは、上から金箔を貼っておるからじゃ!
金ピカはただの金箔~?
な~んだ、デッカいだけか~(ボソッ)
聞こえたぞ!いま、デッカいだけとか言ったろ?!
値段じゃわからんくらい、わしはとっても尊いんじゃぞ!
寝そべってるこの姿が、めちゃくちゃありがいたいんだぞ!
読者も待っておることですし、そろそろ他も見て廻りましょうぞ(汗)
子ザルめ!あとでたっぷり説教してやるからな!
よし!じゃあ、ワットプラケオと王宮の施設内マップを載せておくからの!
それぞれの見どころの位置は、番号でしめしておくからマップと照らし合わせて、場所を把握するのじゃぞ!
著者に番号もちゃんと書いとけって、言っておいたからの!
【ワットプラケオ】華麗なる神殿プラサート・プラ・テープピドーン【ロイヤルパンテオン】(Prasat Phra Dhepbiorn or The Royal Panthern)
ワットプラケオと王宮施設内マップ5番の位置です。
行者像や~い。また頼むぞ~い!
まかせてくれ~!まずはここだー!
歴代タイ国王の像が安置される華麗なる神殿!
この中には歴代の国王ラーマ1世からラーマ8世までの像が保管されている!
タイとクメールの様式が融合したスタイルが特徴的な伝統建築だ!
しばらく使われることなく、空いたままだったんじゃ~。
その後、ラーマ5世の時代になり、王宮の庭園にあった小さな金色の仏塔を持ってきて鎮座させておいたそうじゃ!
1903年に不幸にも、建物内の電線が老朽化しておったようで、そこから出火して屋根が燃えてしまったんじゃ~。
修復はラーマ6世時代におこなわれたのじゃが、どうやらこの特徴的な屋根はその頃に作られたようじゃ~。
【ワットプラケオ】タイ国民が愛してやまない至極のアドベンチャーストーリー『ラーマキエン』を圧倒的スケールで描ききった壁画の数々
ワットプラケオと王宮施設内マップ6番の位置から、ずらっと並んでいます。
って、お?子ザルよ?
どうした?
これって『ラーマーキエン』でしょ~?
そんでー!
たしかにそれはラーマキエンが描かれた壁画じゃな~。
それについてはおぬしたちの方が良く知っておるじゃろ?
ここはおぬしたちから説明するが良いぞ!
ラーマーキエンとは主人公ラーマ王子やわし(ハヌマーン)たちの冒険を描いたアドベンチャーストーリーですじゃ!
インドの大叙事詩『ラーマーヤナ』のストーリーに少し手を加えて作り上げた珠玉の物語!
このワットプラケオの壁画はラーマ1世の時代に作られ、そこから何度も修復を繰り返しているので、当時のままの状態が保たれていますじゃ!
壁画は178のセクションに分けられて、壮大なラーマキエンのストーリーが見事に描かれているんだ!
タイ旅行では、タイ伝統舞踊「コーン」鑑賞が定番だけど、その舞台の題材がラーマキエンだよ!
『ラーマキエン』ストーリー概要
インド・ヒンドゥー教の最高神のひとりであるビシュヌ神の生まれ変わりラーマ王子が主人公です。
対する敵役は、前世でハゲちょびんになっちゃった上に、ビシュヌ神にこてんぱんにやられてしまったノントゥックの生まれ変わりであるトッサカン!
ある時、トッサカンはラーマ王子の妃、シーダ姫をさらい、鬼の国ランカーへ連れ去ってしまいました。
それを知ったラーマ王子はシーダ姫を取り戻すために、弟のラック王子と共にランカー国へ冒険の旅にでます。
途中でハヌマーンたち猿の軍団を味方につけ、長きに渡る旅のすえに、ラーマ王子はついにランカー国へたどり着きました。
そして激しい戦いのすえに見事トッサカンを倒し、ラーマ王子はシーダ姫の奪還に成功します。
シーダ姫と共にアユタヤー国へ帰ってきたラーマ王子は、末永く幸せに暮らしました。
ざっくりとしたストーリーの概要はこんな感じです。
良かったら見てくれよな!
【王宮】歴代王たちの豪華な住居『ボロマピマーン宮殿』(Borom Phimam Mansion)
ワットプラケオと王宮施設内マップ9番の位置です。
まずはここじゃ!
歴代の王たちが実際に住んでいた豪華な住居・・・
柵があって、入口に門番までいるけど、なんで~?
どんな建物なの~?
ここはの~、ラーマ5世が皇太子であるワチルンヒット王子のために建てた純粋な洋風建築の宮殿での~、実際にラーマ6世からラーマ8世が住居として使っていたのじゃ。
前国王ラーマ9世もしばらく住んでおったが、別のところにチットラダー宮殿を建てて以降はそっちに住むようになったのじゃ~。
おそらく今は各国からの要人を迎える迎賓館として使われているようじゃ~。
そうなるとセキュリティー上、一般に公開するのは難しいじゃろうな~。
要人を狙ったテロリストに爆弾でもしかけられたら、おおごとじゃからな(汗)
【王宮】厳かな慰霊の場ドゥシットマハープラーサート宮殿(Dusit Maha Prasat Hall)
ワットプラケオと王宮施設内マップ10番の位置です。
ここは厳かな葬儀の場としても使われておるようじゃ~。
なにげに王宮内では古くからある建築物・・・
ん~?葬儀ってお葬式のこと~?
ラーマ1世によって建てられたが、一度火事にあってしまって、立て替えられておる。
ここではタイ国民から、絶大な人気があり、もの凄く愛されてきた前国王であるラーマ9世プミポン国王が亡くなった際にも、国葬がおこなわれたのじゃ・・・。
その時はもう、大勢のタイ人たちが弔問に訪れておったのじゃが、その姿は本当に痛ましいものじゃった・・・。
参列の最中に泣き崩れ、その場に倒れ込んでしまう人や、涙も枯れはてたという様子で、放心状態になっていた人もいた・・・。
そう言った、お葬式とかをする厳かな場であると言うことをちゃんと認識して、観光する時は行儀良くしておるのじゃぞ!
わかったか!子ザル!
マズいマズい・・・。
お葬式とか行くとしんみりした雰囲気で逆に可笑しくなってきちゃうんだよね(ぷぷぷ)
想像したら・・・(ぷぷぷ・・・)
もー!じゃあ、さっさと次に行くぞ!
【王宮】美しき魅惑の宮殿『チャクリー・マハ・プラサート宮殿』(Chakri Maha Prasat Hall)
ワットプラケオと王宮施設内マップ8番の位置です。
タイ風と洋風のスタイルが融合した折衷様式の美しい宮殿!
たしかに豪華で美しい宮殿だね~!
そうじゃろ~?
この宮殿はの~、ラーマ5世の時代、1868年から建築が始まり1877年に完成した!
おもに王室の住居として使われたようじゃの~。
設計はイギリスの建築家ジョン・クルーニッシュによっておこなわれておる!
もともとの設計では屋根は3つの洋風ドームだったようじゃが、当時の前摂政から、そこは伝統的なタイ様式のものにした方が良いのでは?と言う意見を採用し、このようなタイ式と西洋式の折衷建築になったようじゃな~。
バッキンガム宮殿や台湾の中正記念堂の交代式が有名だが、タイの王宮にも近衛兵交代式はあるんだぜ~!
タイ王宮の近衛兵交代式はこんな感じだ!
キチッとした中にも、タイらしいユルさも感じられて、なかなか味のある交代式だぜ!
【ワットプラケオ】ワットプラケオを知ることができる博物館
ワットプラケオと王宮施設内マップ7番の位置です。
ここは割と観光客はスルーしがちでの~。
たしかにパネル展示だけでパッとはせんのじゃが、ワットプラケオで立ち入ることができない場所を写真で見ることもできるから、さらっと寄ってみるのも良いと思うぞい!
外観はこんな感じじゃな~。
【ワットプラケオ】ほとんどの観光客に写真だけ1枚撮られて、ことごとくスルーされちゃう入口で片膝立ててるイケイケ像
ワットプラケオの入口の位置なのですぐにわかります。
仏のだんなー!!!
どうしたんじゃ?!
行者像?!
オレは?オレの説明はしなくて良いってのかい~?!
紹介してもらうのを、ずっと待ってたんだぜ~?!
普通の行者像じゃろ?
長い付き合いだってのに、オレのことずっと普通の行者像だと思ってたのかよ~?!(泣)
オレにもちゃんと名前があるんだぜ~?
ただ入口で片膝立てて、イケイケなだけじゃないんだぜ~?
オレの名前はよ~・・・
それにしたって、知られてなさ過ぎるじゃね~かよ~(泣)
入口すぐにあるせいか、オレのことをほとんどの観光客はスルーしやがるんだよ~(泣)
たまに1枚、写真撮られて終わりだぜ~?
切ないじゃね~かよ~!(涙)
かわいそ~だな~。
名前すら覚えてあげてなかったとか、ホントひどいやつだな~、仏~!
だってほら、昔から行者像って呼んでたしさ~?!
そんなん、あらたまって紹介されたりとかしないじゃん?!
だからひどいやつじゃないって~?!(汗)
名前くらい知っててくれてると思ってたぜ・・・(涙)
え?!なに?!ネット上だけの友達とか、そのレベルの扱いなわけ~?
仏、ひど~い!
じゃもう、ごめんって~!
えっと行者像じゃなくて、ち~うぉっ?
あーもう!名前も覚えづらいよ!
もう~じゃ~!タイ漢方薬の父像でいいや!
はい!じゃあ行者像あらため、タイ漢方薬の父像くん!
自己紹介お願いします!
俺の名前はチーウォック・コマラパト!
タイ医学の守護者であり、ブッダの医者をしてたんだ!
今はなぜだかタイ漢方薬の父って言われてるぜ!
実はオレが座ってるこの台座は昔、信者が漢方薬を挽くための砥石として使ってたものなんだ!
ワットプラケオにオレの像が作られたのは、ラーマ3世の時代だ!
オレってば、割と古くからワットプラケオにいるのに、ウィキペディアにすらひと言も説明がないんだぜ?!
旅行のサイトやガイドブックはいっぱいあるのにな~・・・
オレのことは全然!書かれてないんだよ~?!(涙)
完全網羅してると言われてる『地球の歩き方』にすら載ってないんだぜ~?!
切なすぎると思わないか~?(涙)
じゃ~もうね!愚痴が止まらなくなっちゃいそうだから、この辺でね!
じゃあ!みなさん!これを機会にタイ漢方薬の父像くんを覚えてあげてやるのじゃぞ!
タイ旅行でワットプラケオに来たら、このタイ漢方薬の父像くんをよろしくの!
【ワットプラケオ】金色に輝く仏塔に納められた仏舎利(釈迦の遺骨)が、ガチで本物の可能性がある理由
ワットプラケオと王宮施設内マップ2番の位置です。
じゃあ、今度こそ金色に輝く仏塔について説明するぞ~!
この仏塔には!なんと?!仏舎利と呼ばれる釈迦の遺骨が納められているのじゃ!
その名も~!!!
今、なんて言った?
仏舎利?シャカの遺骨?
えっ?それ本気で言ってる?
なにがじゃ、子ザル?!
本気で言ってるもなにも!ここにはな!
わしが人間だった頃の身体のな!
遺骨が納められているんじゃ!
なにを言ってるのかな~?
じゃあまず、仏さまは、いつ亡くなったの?
年代はいつ頃なの?
まあわしも正確にはわからんのじゃが、おおよそ紀元前300~600年頃じゃないかとされておる!
だから今から2300~2600年前くらいと言うことじゃな!
じゃあこの仏塔が作られたのは、いつなわけ?
これは1855年にラーマ4世によって、建てられたものじゃぞ!
円形のベースの上に、セイロン(スリランカ)風の鐘の形をした独特のデザインがなされておる!
もともとは白い状態だったが、ラーマ5世の時代になって、今のように外観が金色のタイルモザイク柄にされたんじゃ~!
まあこれでわかったね?
お釈迦様が亡くなった時代と、この仏塔が建てられた時代は全然あわないよね?
と言うことは、ここに釈迦の遺骨があるわけないじゃないか!
仏ー!適当なこと言ったらダメじゃないかー!
ガチなんだって!
ガチでわしが人間だった頃の遺骨が納められてるんだって~!(汗)
いくらなんでも、それは無理があるっしょ~?
じゃあ、とりあえず聞いてやるから!
どういうことか説明してみてよ?
ほれほれ!早く説明してみろ~!
よ~し!説明してやろうじゃ~ないか~!
まずはわし(釈迦)が入滅した(亡くなった)ところから順番に説明していくからの!
その後、しばらくはマッラ族がわし(釈迦)の遺骨を持っていたのじゃが、当時、わしの信者であった8つの大きな国の種族や王たちがマッラ族に「我々にも遺骨の分配をしろ~!」と迫った!
そうしたら、争いが起こってしまっての~(汗)
結局、バラモンと言うインド階級の最高位の者に「ケンカしないで仲良く分けなさい!」と言われて、遺骨は8つに分けられ、さらに灰と遺骨が入っていた容器を合わせて10に分けられたんじゃ!
「仏教大好きじゃ~!この辺、支配したし、もう敵対勢力はいない!お釈迦様の遺骨をさらに細かくして、支配している国の寺院に分けろー!」
と命令したんじゃ~。
そして遺骨を84000と言う膨大な数に分けて、支配国や周辺国の各寺院に分配し、仏塔を建てて崇めたわけじゃ!
つまり細かく分けて、インドやその周辺国に釈迦の遺骨を分けて、崇めてたってこと?
そしてここがポイントなんじゃが、インドマウリヤ朝アショーカ王はインドのみならず、南のセイロン(今のスリランカ)にも、仏教を普及させようとした!
そこで出家して僧侶になっていた息子のマヒンダ王子をセイロンに派遣し、仏教の普及活動をおこなわせたのじゃ!
この時、仏典と共に仏舎利(釈迦の遺骨)もセイロンへ大量に運ばれ、インド同様に仏塔が建てられ、崇められることになった!
だいたい、紀元前200~250年頃の話じゃ!
これがのちにタイやビルマ(今のミャンマー)などへ伝わった、上座部仏教じゃ!
インドで流行った仏教が、大量の仏典や仏舎利と共にセイロンに渡り、その内、タイやビルマに広がっていったと言うわけね~。
それで?それがどうしてワットプラケオにある仏舎利がガチってことになるわけ?
その後、さらに時代は流れて、16世紀・・・。
ポルトガルやオランダ、イギリスなどの国々がやってきて、なんとセイロンは植民地化されてしまったのじゃ~。
それと同時にカッパ頭のキリスト教宣教師がやって来ての~・・・
「仏教なんかダメダメ~!キリスト教を信仰しなさ~い!」
と言って、仏教をどんどんはじっこに追いやったんじゃ~。
その結果、セイロンの仏教は衰退し、18世紀頃には、ほとんど壊滅状態になってしまっての~・・・
かつての仏教寺院や仏塔も荒れ放題でただの古い遺跡と化してしまったのじゃ~。
つまり16世紀になって、セイロンは西洋の国に植民地化され、同時に仏教も18世紀頃にはほとんど壊滅状態になってしまったというわけね~。
それで?どうなったわけ?
一度は衰退した仏教であったが、18世紀の半ば頃より、ビルマやタイ(シャム)から逆輸入される形でセイロンに仏教を復活させろ!と言う動きが起こったのじゃ!
現在、スリランカには、シャム派・アマラプラ派・ラーマンニャ派と言う3つの宗派があるが、どの宗派もビルマとタイに由来する仏教宗派となっておる!
ここでポイントとなる点は、セイロンの仏教はタイとビルマ主導で復興したと言うこと!
つまりセイロン仏教は18世紀半ばから19世紀辺りまでは、タイやビルマの影響力が強かったと言うことじゃな!
まずはここまでの流れとポイントを覚えておくのじゃぞ!
次はタイの状況を説明するぞい!
ここからが本題じゃ!
ワットプラケオにある仏塔が建てられたのはラーマ4世が統治していた時代(1851~1868年)じゃ!
この時代のタイも西洋列強の植民地政策の脅威にさらされておった・・・。
なんとか独立はたもっていたものの、一歩間違えば、イギリスやフランスの植民地となってしまいかねなかった時代だった・・・。
実はこの頃には、タイの仏教もだいぶ腐敗していたと言われていての~。
人々の気持ちも仏教から離れつつあったのかも知れないのじゃ~。
この状況にラーマ4世も危機感を持っていたはずだと思うんじゃな~。
植民地化の脅威にさらされ、さらにタイの宗教や文化も西洋に飲み込まれてしまいかねない!
そこで何とか、仏教と言うものを立て直し、国をひとつにまとめ上げようとしたと言うことじゃな!
実際、ラーマ4世は王になる前から、その辺の危機意識を持っていたようで、堕落した仏教を立て直そうと、革新的な『ラマユットニカーイ派』と言う戒律(厳しいルール)を重んじる仏教宗派を立ち上げておる!
おそらく国をまとめるための宗教改革の一環として必要なことだったと思われる・・・。
このワットプラケオの追加施設のひとつに仏舎利が納められている仏塔建造が含まれている!
つまり西洋列強の脅威にさらされて、同時にタイの仏教や文化も飲み込まれかねない状況にあったと?
それに対抗して仏教を中心に国をまとめるため、革新的な仏教宗派を立ち上げたり、ワットプラケオの改修や施設追加をおこなったと言うわけね?
まあそこまでは分かったけど、それで仏塔に納められてるシャカの遺骨がガチな理由にはならないんじゃね?
今、ネットで調べたら、仏舎利って、キレイな石やダイヤモンドとか宝石を、南無南無して仏舎利の代わりにしたりすることもあるみたいだけど~?
ここにあるのも、そんな感じなんじゃね?
ここから一気に核心(かくしん)に迫るぞ!
まずこの仏塔のデザインを見よ!
鐘の形をしているセイロン式の仏塔じゃろ?
これはつまり、ここに納められている仏舎利(シャカの遺骨)がセイロン(スリランカ)から持ち込まれたことを意味していると言うことじゃ!
そして、なぜラーマ4世の時代には、仏塔が金色ではなく白いまま据え置かれたのか分かるか?
良く分からないよ~?(汗)
じゃあ教えてしんぜよ~!
それはラーマ4世の時代には、本当の意味で仏塔は完成していなかった可能性があると言うことじゃ!
つまりラーマ4世の時代には、ガチ仏舎利をここに納めるつもりだったけど、まだ見つかっていなかったかも知れないと言うこと!
セイロンで探しても、見つからなかったと言うことじゃな!
しかしその後、ラーマ5世の時代になって、これが本物のガチ仏舎利だ~!と言うものが見つかった!
そこで改めて、外側を金色に輝かせ、ガチ仏舎利を納めて完成させたと言うことじゃ!
セイロンで探してたって言うけど、他国なのに、そんなに自由に探せたりしたの~?
それについては、すでに伝えたじゃろ~?
この当時はセイロンの仏教界において、タイの影響力は強かったはずじゃ!
荒れ果てた仏塔遺跡の中から、ガチ仏舎利を探すのに、当時はそれほど抵抗されることもなかっただろうし、むしろ協力すらしてもらっていたかも知れん。
その中から、長い時間を掛けて、ガチ仏舎利を探しだし持って来ることも可能だったと思うぞ!
でも、そんなに時間掛けてまで、なんでガチ仏舎利が必要だったわけ?
宝石かなんかで代用して、仏舎利に見立てても良かったんじゃない?
ラーマ4世が立ち上げた「タマユートニカーイ派」と言う宗派は、腐敗した仏教をただすため、パーリ仏典と言う原点的な教えに戻ることを主張している!
原点に戻ると言うことは、当然、その中心には釈迦の存在は不可欠であり、その象徴的中心を作るため、是が非でもガチ仏舎利が必要だったと言うことじゃ!
いくら南無南無したとは言え、ただの宝石を釈迦の遺骨だ~!仏舎利だ~!と言われても、なかなか信仰しようとは思わんじゃろ?
だから、これは「本物の釈迦の遺骨であるぞ!」と言う象徴が必要だったと思うんじゃ!
だからこそ、長い時間を掛けて、セイロンでガチ仏舎利を探し続けたのではないかと思うわけじゃ!
じゃあそこまでは良いとして、そこに納められている釈迦の遺骨を見た人はいるの?
少なくとも、ただのキレイな石や宝石じゃないってことを確認した人はいる~?
まあワットプラケオの仏塔の中身を最近、確認した人はいない見たいじゃが、ほとんど同時期にラーマ5世によって、セイロンから持ち込まれた仏舎利を見たと言う人はいたぞい!
旅行系のジャーナリストで執筆活動もしている、バーバラ・ワイベルと言う女性が、自身が運営する「ホール・イン・ザ・ドーナツ・カルチャー・トラベル」と言うサイトに【仏の遺物の謎】と言う記事を書いているのじゃが、その中で彼女はこんなことを言っている。
・タイでの仏の遺物のほとんどは、石やガラス、ダイヤモンドなどに似ている。
・(自分が見た中で)ゆいいつ、バンコクのワット・サケットとワット・プラシー・マハタートの仏の遺物はたしかに骨のように見えた。
ちなみにワットサケットの仏塔もセイロン式で金色に輝いているぞい!
どうじゃ~?子ザル~?
ワットプラケオの金色の仏塔に納められている仏舎利(釈迦の遺骨)が、ガチで本物だってことがわかったじゃろ~?
じゃあ、とりあえずガチで本物の可能性があるってことにしとくよ!
そのちょっと引っかかる表現は?
可能性があるじゃと?!
もー!これは可能性じゃなくてガチなの!
見せてもらうわけにもいかないから、確認できないけどね!
DNA鑑定とかしたわけじゃないっしょ~?
可能性があるのはわかったけどね~。
まあいいじゃない!痛み分けだよ!ここは!
※あくまでガチ仏舎利の可能性があると言うことですが、これ以上、確認のしようがないので確実なことはわかりませんでした。(汗)
なので・・・
信じるか信じないかは、あなた次第です!!!
タイから日本へもたらされた素晴らしい贈り物。結論:日本とタイの友好関係は絶対に崩してはならない
クソ~・・・中を見るわけにもいかんから、これ以上は反論できん!
む~!なんかくやしいの~?!
ワットプラケオの仏舎利がガチで本物の可能性が高いってとこまではいったのに~?!
じゃあこれはどうじゃ?!
ワットプラケオの仏舎利がガチかどうかは、これ以上確認できんが、実は近年になってから、インドでガチ仏舎利(釈迦の遺骨)が発見されたんじゃ!
その遺骨がタイにあるのだ!
どうじゃ子ザル?!
興味あるじゃろ~?
これは西洋人もガチで釈迦の遺骨だと認めているのだぞ~?
ホント~?
どういうことさ~?
1898年、ラーマ5世の時代のことじゃ!
インドのネパール国境に近いイギリス領インド・ピプラーワーというところで、イギリスの駐在官ウイリアム・ペッペと言う人物が、遺跡の発掘作業中に人骨を納めたつぼを発見したのじゃ!
その壺には紀元前3世紀頃の古代文字が刻みこまれており、それを解読したところ
「この世尊なる仏陀の舎利ビンは釈迦族が兄弟姉妹妻子とともに信の心をもって安置したてまつるものである」
と記されてあった!
これは原始仏教の仏典に書いてあることと一致したからさあ~大変だ!
その記述とはこうじゃ!
「釈迦が亡くなったあとに、遺体を火葬して、遺骨を8つに分けて崇めた。」
「その中に釈迦族の人々もその一部を得て、カピラヴァツ(=インド・ピプラーワー)に安置した。」
こう書いてあったことが事実だったと証明するものだったのじゃ!
一部の学者にいたっては釈迦への信仰は、ただの太陽神話のひとつに違いないとまで言われていたほどじゃ~。
そんな認識だったものが、この発掘によって一気に変わり、「やっぱ釈迦っていたんだー!」ってことになったわけじゃ!
これは19世紀の東洋古代史上の大発見と言われているぞ~!
しかし釈迦の遺骨の方は、インドを統治していたイギリス政府から、仏教国であるタイへ引き渡されたのじゃ!
そして当時のタイ国王ラーマ5世は、大変に喜び、なんと独り占めすることなく、周辺の仏教国であるビルマ(今のミャンマー)やセイロン(今のスリランカ)に分け与えられたのじゃ!
その時に日本のタイ国弁理公使稲垣満次郎と言う人物が「国王さま!日本も仏教徒がとっても多いんです!だから日本にも分けてください!」と言って、分けてもらったのじゃ!
このことを知っている日本人は少ないが、これは凄いことなんじゃぞ~!
タイは日本との友情を大切にし、こんな素晴らしい贈り物をしてくれたと言うわけじゃ~。
念のため、場所を教えておくぞい!
名称:覚王山日泰寺
住所: 愛知県名古屋市千種区法王町1-1
電話番号:052-751-2121
サイト:http://www.nittaiji.jp/index.html
参考サイト:外務省日泰寺ページ
・マップ
Googleマップ:日泰寺
タイは日本にこんな素敵な贈り物をしておるんじゃぞ~?
日本とタイの友好関係は決して、崩してはならないの!
おまけ:日本は仏教徒だらけな理由 あんど 茶番劇
でもちょっとだけ、引っかかるな~・・・。
こんないい話に水をさす気か?!
日本って、そんな仏教徒多くなくね?
仏教信仰してる人いないじゃん?
なのに仏教徒が多いってのは、ちょっとな~?
日本は仏教徒だらけじゃろ~?
子ザルだってお布施とかしとるじゃろ~?
正月とか寺に行って、行列に並んで、南無南無してお布施ポンポン投げてるじゃろ~?
お布施してんじゃ~ん!
それに誰か亡くなったら、僧侶よんで南無南無してもらうじゃ~ん!
それもう仏教徒以外のなにものでもないって~!
それは昔からなんか、そう言うことになってるからであって、別に仏教徒だからってわけじゃないっしょ~?
最近は正月にお寺行かない若者も増えてるし、寺じゃなくて、神社行く人もいるでしょう~?
だから仏教徒じゃないの!
じゃあこれはどうじゃ!
日本語は仏教に由来する言葉だらけなんじゃぞ!
たとえば「退屈」とか「大丈夫」とか「挨拶」とか、もう数え上げたらキリがないほど、日本語は仏教用語だらけじゃぞ!
若い子がたまに「超~○○~!」なんてあたまに「超」をつけておるが、これも仏教用語なんじゃぞ!
どうじゃ~?!仏教徒じゃないなら、仏教に由来した言葉抜きで会話してみろ~!
もう仏教に由来する言葉を抜いたら、会話が成立しなくなるレベルじゃぞ~!
どうじゃ~?!
そんなん、むちゃくちゃじゃないかー!
仏のインチキへりくつだ!!!
インチキインチキへりくつへりくつ!
インチキインチキへりくつへりくつ!
またこのパターンか!
やめんか~!子ザル~!
仏のインチキインチキへりくつへりくつ!
インチキインチキへりくつへりくつ!
やっぱり今日もおしおきじゃー!
近代兵器なんか登場させやがって~・・・(汗)
また力でねじ伏せられた~(汗)
とりあえず、どこかで休憩するかの(汗)
【ワットプラケオと王宮】おすすめ休憩スポット
子ザルも反省したようじゃし、また美味しいご飯をごちそうしてやるぞい!
どこどこ~?!
早く行こー!
でもな!この店は冷房ガンガン効いてて、超~涼しいぞ~!
店の名前は『ロイヤル・タイ・ネイビー77』じゃ!
店の詳細は下記を見ておくれ~。
名称:ロイヤル・タイ・ネイビー77(Royal Thai Navy 77)
営業時間:基本無休 11:00~22:00
住所:198 Maha Rat Rd, Phra Borom Maha Ratchawang, Phra Nakhon, Bangkok 10200 タイ
電話:+66 2 222 4295
・所在地マップ
Googleマップ:Royal Thai Navy77
ワットプラケオと王宮のあとに観光して欲しいおすすめスポットへの行き方
とりあえず定番のワットポーとワットアルンへの行き方じゃ!
それから、ワットポーのところでも伝えたが、時間があれば『シリラート死体博物館』にも行ってみて欲しいぞい!
そっちの行き方は下記ワットポーの記事を参照すると良いぞよ!
ここはタイの中野ブロードウェーとも呼ばれるエリアにある・・・
その中でもキング・オブ・オタクの聖地と名高いお店・・・
『メガプラザ(MEGA PLAZA)』じゃ~!!!
まずはワットプラケオと王宮エリアからワットポー、ワットアルンへの行き方を説明したあとに、お伝えしていくぞい!
ワットプラケオと王宮エリアからワットポーへの行き方
ルートは下記の地図を参照するのじゃ!
所在地マップ
Googleマップ:ワットポー
ワットプラケオと王宮エリアからワットアルンへの行き方
まずワットポー方面に歩いていって、ターティアン船着き場から渡し船でワットアルンへ渡るのじゃ!
それが一番、簡単な方法じゃぞ!
ルートは下記の地図を参照するのじゃぞ!
所在地マップ
Googleマップ:ワットアルン
ワットプラケオから『メガプラザ』への行き方
フィギュア!ゲーム!プラモ!ミニ四駆!などなど、ありとあらゆるオモチャがこれでもか!ってくらい並んでおる!
この付近はホントにタイの中野ブロードウェイ!オタクの聖地!と言った感じのエリアじゃ!
そっち系の趣味があるなら、行って損はないと思うぞい!
ここは結構、日本人も行っているようで、ツイッターに画像があったから、どんなもんか興味のある人は見てみると良いぞよ~!
メガプラザほんと楽しい所だったな
あとはアクセスさえ良ければ完璧やな pic.twitter.com/xW4tBdy0tP— 🐎🐅ガタニ🦅🐇 (@gataniGA) September 11, 2019
🇹🇭メガプラザ良いなぁ…あっしも同行したかったなヾ(:3ノシヾ)ノ pic.twitter.com/iq8flQxUOL
— コレカウ130@キレるとヤバそう (@korekau130) July 5, 2017
まず、ワットプラケオから徒歩で地下鉄MRTブルーラインサナムチャイ駅まで行く!
そこで電車に乗って1駅目のサムヨット駅で降りる!
あとはそこから徒歩5分くらいでタイバンコクのオタクの聖地!『メガプラザ』に到着じゃ!
Googleマップ:メガプラザ
お店の詳細
名称:メガプラザ
営業時間:基本無休 9:30~19:30
住所:900 Maha Chai Rd, Wang Burapha Phirom, Phra Nakhon, Bangkok 10200 タイ
電話:+66 2 623 7888
タイマニアが答えるワットプラケオと王宮の疑問16選PART3:あとがき
どうじゃったかの?
ワットアルンシリーズを開始するから、また絶対見に来てくれよな!