世界の航空史上でも、まれに見る最悪の事故と言われた・・・
『日本航空123便墜落事故』
あなたは、この事故にまつわる恐ろしい都市伝説を知っているだろうか・・・
日本人ならば誰でも、一度は耳にしたことのある、この事故の原因・・・
それは最終的に航空機の後部圧力隔壁を接続している金属の疲労によって引き起こされたと結論づけられた・・・
しかし、それは表向きだけの話で実際には別の原因があったのでは?!とまことしやかに噂されています・・・
はたして?!それは真実なのか?!
それとも、ただの都市伝説なのか?!
まずはこの記事をお読みいただき、世界の航空史上でもまれに見る最悪の事故である『日航機墜落事故』がどのようなもので、この事故の裏に潜む闇として噂されている、恐ろしい都市伝説の全貌をご確認ください・・・
『日本航空123便墜落事故』
にまつわる、ある恐ろしい都市伝説についてお伝えしていくぞい(汗)
最初に言っておくが、この都市伝説がもしも本当だとしたら、かなり胸くそ悪い話だから、ちょっとだけ覚悟しておいておくれの(汗)
正直、これは信じたくないような話じゃからな(汗)
話す前から、そう言うこといっちゃう~?
わかったよ(汗)
じゃあ、覚悟して聞くことにするよ(汗)
一体、どんな都市伝説なのさ(汗)
※WARNING※
※『日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説』の記事は少々、長くなってしまうのでこれから全5回に分けてお送りいたします。
これは第1回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
※逆に記事を気に入り、下記のアイコンをポチっとすると、今度はうれし涙を流す著者が夢に出てくると言うオカルト好きにはたまらない不気味な体験をすることができるかも知れません。(適当)
※なお、ややショッキングな画像も一部、含まれていますのでご注意ください。
動画で見たい方は下記の記事をどうぞ~!
↓↓↓ 【日航機墜落事故の闇1】動画版はこちら! ↓↓↓
【日航機墜落事故の闇1】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【序章】
「この都市伝説には真実が隠されているのでは?!」
と思えてきてしまっての~(汗)
しかも、この都市伝説は日本でもかなり多くの人が信じていたりもする(汗)
もちろん、この都市伝説がすべてが正しいと言うわけではないだろうし、肯定派と同じくらい否定派もいる(汗)
しかし、この事故に関しては明らかに不審な点も多く、何らかの隠蔽があったことは確かだとも言われている・・・
また否定派の中においても・・・
「噂がすべて真実とは思えないが、何らかの隠蔽はあるだろう」
と言っている者も見受けられるのじゃ(汗)
隠蔽って・・・(汗)
また陰謀めいた話になってるけど、具体的にはどんな隠蔽があったって言うのさ?(汗)
実はこの『日航機墜落事故』が起こった原因は、単純に後部圧力隔壁の接続部金属疲労が原因の破損ではなく・・・
『訓練中の自衛隊によるミスによって破損しまったのではないか?!』
さらに・・・
『その後、事故の証拠隠滅を図ったのではないか?!』
と言われているのじゃ(汗)
もしも、これが本当のことだとするなら、相当、胸くそ悪い恐ろしい話だがそんな噂がまことしやかに語られているぞい(汗)
自衛隊機による撃墜?!
まさかあの自衛隊がそんなことしたって言うのか~?!
仏ー!いい加減なこと言ってたら、許さないぞ?!
だから、この都市伝説を扱うかどうか迷ったんだって~!(汗)
著者はどちらかと言うと愛国的な思考の持ち主だし、自衛隊の方々には尊敬の気持ちすらあったりするんだよ~?(汗)
知り合いに自衛官だった人もいるしの~(汗)
だから別に自衛隊を貶めたいとか、そう言う意図はまったくないってことだけは解って欲しいのじゃ~(汗)
誤解しないでおくれ~(汗)
だけど、この日航機墜落事故に関してはホントに不可解な点が多いんじゃよ~(汗)
そこにズバリ切り込んでいるのが今回、ご紹介したい都市伝説なわけで、これがかつてないほど、真実味を感じられると言うことなのじゃ(汗)
だから記事にしてみたいと思ったわけなんじゃ~(汗)
しょうがね~な~!
じゃあ、どう言うことか説明してもらおうじゃないか?!
僕はね~?!ちょっとイライラしちゃってるからね~?!
この意味ちゃんとわかってるよな~?仏ー?!
怖いな~、もう~(汗)
それじゃ~、まずはこの事故の概要からざっくりと説明していくからの(汗)
【日航機墜落事故の闇】航空史上まれに見る最悪の事故?!日本航空123便に起こった悲劇とは・・・?!
この事故が起こったのは、1985年8月12日 18時56分30秒じゃ・・・
事故が起こってしまった航空機は、羽田発・関西伊丹空港行きの日本航空123便であった・・・
ここからはJAL123便と言っていくからの(汗)
このJAL123便に使われていた機体は、米ボーイング社製造の・・・
『ボーイング747SR-46型機』
1974年1月に製造された機体じゃ!
事故を起こしたのは米ボーイング社製の機体と言うのは覚えておくのじゃぞ!
この都市伝説では割と重要なポイントだからの!
この日、JAL123便に搭乗していた人数は乗客乗員合わせて『524名』・・・
操縦席にいたのは・・・
高濱 雅己 機長(総飛行時間12423時間41分)
佐々木 祐 副操縦士(総飛行時間3963時間34分)
福田 博 航空機関士(総飛行時間9831時間03分)
この3名じゃ!
つまり当時、JAL123便を操縦していたのはベテラン揃いのパイロットたちだったってことか・・・
この3人は当時、日本航空きっての精鋭だったと言われているぞい(汗)
当日、JAL123便は定刻より4分遅れて滑走路に入り、18時12分に羽田空港を離陸した・・・
離陸した直後のJAL123便は問題なく飛行を続けていたが・・・
しかし、その12分後の18時24分頃、相模湾上空を巡航高度の24000フィート (7200メートル) に向けて上昇中、23900フィートを通過した辺りで緊急事態が発生した?!
突然の衝撃音とともにJAL123便は機体のバランスを崩し、なんと操縦不能に陥ってしまったそうじゃ?!
のちにこの事故の調査委員会が発表したところによれば、この時、JAL123便の垂直尾翼は垂直安定板の下半分のみを残して破損してしまったそうじゃ?!
垂直尾翼と言うのは、下記画像の部分のことじゃぞ!
乗員乗客合わせて524名のうち、生存者は・・・
『吉崎博子さんと、その娘、美紀子さん・・・』
『川上慶子さん』
『落合由美さん』
この4名だけだったそうじゃ・・・
この都市伝説では、この墜落までの飛行ルートもあとから関係してくるから、きっちり見ておいておくれの(汗)
【日航機墜落事故の闇】日本航空123便が墜落するまでの経路とは?!
ざっくりとだが、上の図が墜落したJAL123便の飛行経路じゃ!
緑のラインが実際の飛行経路じゃぞい!
上の図を見ながら、確認してみての!
18時12分、羽田空港を飛び立ったJAL123便は、東京湾上空を抜けて、伊豆方面に向かい相模湾上空を飛行していった・・・
18時24分異常発生、突然の衝撃音とともにJAL123便は、相模湾上空でコントロールを失った・・・
その後、JAL123便はダッチロール、フゴイド運動と呼ばれる不安定な飛行状態に陥ってしまった・・・
ダッチロールとは、航空機の機首が左右に揺れてしまう状態のことを言うようです。
フゴイド運動とは、航空機の機首が上下に揺れ、速度も大きく変化してしまう状態のことを言うようです。
つまり、この時のJAL123便は上下左右に揺れながら、早くなったり遅くなったりと非常に不安定な飛行状態であったと言うことのようです。
この時、米軍の横田基地飛行場では、すでにJAL123便の異常事態を察知しており、緊急での着陸受け入れ体制が整っていたと言われている・・・
そして、そのことはJAL123便にも無線連絡がなされていたそうじゃ・・・
この時に上手く横田基地飛行場へ緊急着陸を試みることが出来ていたら、これほどの被害にはならなかったかも知れない・・・
だが、この時、無情にも風の影響によってJAL123便は横田基地とは反対の方向へ流されてしまったのではと公式には言われている・・・
そして、18時56分、最終的にJAL123便は群馬県多野郡上野村付近にある御巣鷹山の尾根へ墜落してしまった・・・
これがJAL123便が羽田空港を飛び立ったあとの飛行経路とざっくりとした、その後の状況じゃな・・・
とくに横田基地飛行場へ最接近した際、もしも風向きが逆だったら・・・
そこで上手く緊急着陸出来ていたら、助かった可能性もあったってことだよね・・・
上手く横田基地飛行場へ緊急着陸を試みることが出来ていたら、ここまで酷い結果にはならなかったかも知れんが・・・
だが実はこの都市伝説では、横田基地飛行場へ向かえなかった理由は、一般的に言われている風の影響とは違う説がささやかれていたりする(汗)
その辺も含めて、ここから本題に入っていくぞい(汗)
【日航機墜落事故の闇】JAL123便墜落事故における疑惑の出どころとは・・・?!
まず、この都市伝説的に語られている話が、どこから出たものなのか出どころを調べてみたのだが、どうやら大枠は下記の書籍を書いた人物の調査結果がもとになっているようじゃ!
しかし、すぐにそれは自分の思い違いだと言うことに気づいた(汗)
調べて見るとなんと、この2人は日航機墜落事故の関係者だったことがわかったぞい(汗)
上の『524人の命乞い 日航123便乗客乗員怪死の謎』の著者『小田周二』さんと言う方は、この事故で次男 小田浩二さん(当時15歳)、長女 小田陽子さん(当時12歳)と親戚の3名、中上岑子さん(当時37歳)中上義哉さん(当時12歳)中上佳代子さん(当時10歳)を亡くしているそうじゃ・・・
つまり、この事故の被害者遺族と言うことじゃな・・・
下の『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』の著者『青山透子』さんと言う方は、元日本航空国際線客室乗務員で彼女が国内線時代には事故機のクルーと同じグループで乗務しており、この事故で尊敬していた先輩たちを亡くしてしまったそうじゃ・・・
その後、彼女は東京大学大学院博士課程を修了し、博士号を取得してこの事故の真相究明に挑んだそうじゃ・・・
この2人の著者は、どちらも大切な人を亡くしたこともあり、事故後はかなり本気でこの事故にまつわる不可解な疑惑の解明に取り組んでいるようじゃぞい(汗)
この記事を書いている著者も、実際に本を読んでみたところ、なんと事故当時のことを実名を明かした上で語っている人たちの証言を載せているのじゃ(汗)
そう言ったこともあって、この都市伝説には真実味があるのではないかと思ったわけじゃな(汗)
匿名希望じゃない人たちが、堂々と実名で証言してるわけか(汗)
それはたしかに信憑性が高いのかも(汗)
【日航機墜落事故の闇】乗客乗員は3度殺された?!残された者たちが持つ疑惑とは?!1つ目の疑惑・・・
「垂直尾翼が破損してしまった本当の原因は、後部圧力隔壁の接続部金属疲労ではないのではないか?!」
そして、本当の原因は・・・
「事故当日に相模湾海上で訓練中だった自衛隊艦船から放たれた無人標的機が誤ってJAL123便の垂直尾翼にぶつかってしまったのではないか?!」
と言うことじゃ(汗)
ちょっと疑問なんだけど、垂直尾翼ってそんなに大事なの?!
翼自体は無傷だったんだよね?
それなら何とか飛べたんじゃない?
垂直尾翼は大事じゃぞ?!
下の画像は航空機の垂直尾翼のざっくりとした図じゃ!
垂直尾翼によって、安定性が保たれ、さらに方向舵によるコントロールをもつかさどる重要な部分じゃ(汗)
この図の中に格子状の網掛け部分があるのが解ると思うが、その部分が墜落現場である御巣鷹山中から発見された部分じゃ・・・
つまりJAL123便は相模湾上空で最初の爆発音と共に発生した異常事態の際には、その格子の網掛け部分以外は方向舵も垂直尾翼のほとんども吹き飛んでしまっていたことが解る・・・
そんな状態であったと言うことは、差し詰めJAL123便は糸の切れた凧のような感じで、まったくコントロールが効かなかっただろう・・・
事実、JAL123便は、異常事態発生後、上下左右にフラフラと不安定に飛び続けたようだしの~・・・
そのことからも垂直尾翼がなくなれば、たとえ左右の翼が無事でも航空機にとっては致命的と言えるのじゃな(汗)
こうなってしまえば、あとは左右の翼についたエンジン出力の強弱だけで不時着するまで堪えるしかなくなるわけじゃ(汗)
まあ垂直尾翼が大事なのは解ったよ(汗)
それじゃあ、その垂直尾翼部分が吹き飛んだ原因が自衛隊艦船だった疑惑を生んだ、根拠ってなにさ?!
そこが一番、重要だよね?!
【日航機墜落事故の闇】1つ目の疑惑にいたった衝撃の事実とは?!あの日、相模湾海上でなにが起こっていたのか?!
まずこの結論にいたった理由として、いくつかの事実があったと言われている・・・
その事実とは、まずひとつ目が・・・
「日航機が墜落した1985年8月12日には自衛隊の護衛艦まつゆきがミサイル訓練をしている」
そして、2つ目が・・・
「その訓練ではファイヤビー、チャカツーと言われる無人標的機が使われ、それはオレンジ色に塗装された円筒のロケット形の小型ジェット機だった」
と言うことがあげられている・・・
ファイヤビーとチャカツーの実物は下記画像のものだが、たしかにオレンジ色をしているの(汗)
・ファイヤビー
・チャカツー
たしかにオレンジ色をしているけど、これが実際に事故当日、使われていたとする根拠はあるの?
これだけじゃ、良く解らないけど?(汗)
ここから少々、きな臭い話になるのだが、実は相模湾上空でJAL123便に異常事態が発生した時のボイスレコーダーにどうにも不可解な音声が残されているのじゃ・・・
その音声では異常発生直後、非常事態を知らせる緊急救難信号「スコーク77」が発動されている・・・
そして、そのあとに高濱機長の声と思われる音声で・・・
「オレンジエア」
と言う言葉が残されているのじゃ?!
この部分について、のちの事故調査委員会では、なぜか「オールエンジン」と発言していたと説明があったが、実際の音声を聴いてみると、どう見てもオレンジエアと言っているようにしか聞こえないのじゃ(汗)
実際にこの音声をアップしている動画があったので、まずは聞いて見て欲しい!
ちょうど、16~17秒辺りに問題の「オレンジエア」と言っている箇所があるぞい(汗)
わしにはどう聞いても、オールエンジンと言っているようには聞こえないのじゃがな~?(汗)
何といっているように聞こえるかの?(汗)
た、たしかにオレンジエアって言ってるようにしか聞こえないね(汗)
ネット上に広くささやかれているこの都市伝説では、この部分がどうにも不可解だと言われている・・・
なぜ事故調査委員会は、「オレンジエア」としか聞こえないものを「オールエンジン」だと説明したのか?
実はこの音声部分はあとから、流出してしまう形で表に出て来たと言われているが、そうなるともしかしたら最初から隠蔽する意思があったのかも知れないの・・・
そして、これは隠蔽の事実があることにいらだちを覚えた内部告発者によって、リークされたものなのかも知れないぞい(汗)
ここで上であげた本当の事故原因の根拠に繋がるわけだが、このJAL123便に乗っていた高濱機長は実は元海上自衛隊員であったことが確認されている・・・
そんな彼は、もしかしたら、この物体の正体がわかったのではないかとも言われている・・・
一説には、このオレンジエアと言うのは、海上自衛隊内で使われる上記のファイヤビーやチャカツーと言ったリモートコントロール式の無人標的機を示す隠語だったのではないかとも言われている・・・
あるいは単純にオレンジ色のエアークラフト(飛行機)をさす言葉として発したのかも知れない・・・
いずれにしろ、オレンジエア = 自衛隊の無人標的機と考えれば、この事故の原因は事故調査委員会が発表したものではなく、本当は自衛隊の無人標的機が誤ってぶつかってしまったためと言う可能性が出てくることになるわけじゃな(汗)
これはかなり不可解で疑惑が深まる感じもするね(汗)
じゃあ、ほかにもなにか証拠みたいなものってあるの?(汗)
【日航機墜落事故の闇】謎の飛翔体が近づく?!公開された疑惑の写真と実名を出して語る生き証人の衝撃の発言とは?!
実はこのほかにも、まだ疑惑の根拠はあるぞい(汗)
上記の写真は事故現場から回収されたと言うネガフィルムに写っていたものだが、そこには何らかの飛翔体が写っている?!
まるでUFO写真のように見えるが、この写真の出どころは事故当時、JAL123便の右側最後部ドア近くの座席に座っていた乗客のひとりが写していたもののようで、事故後にその遺族が公開した写真だそうじゃ・・・
この写真は複数枚連続して写しているようで、おそらく異常事態発生時の衝撃音の直後に窓から慌てて外の様子を写したのだろうと言われている・・・
そして、これを右側後部の座席から写したとすると、ちょうど当時のJAL123便と護衛艦まつゆきとの位置関係とも合致してくる(汗)
このことからも、自衛隊の無人標的機が衝突してしまったとする疑惑に拍車がかかるわけじゃな(汗)
そして、さらにこの疑惑の信憑性を裏付けるような証言があるのじゃ・・・
これは静岡県藤枝市に住んでいたと言う『小林美保子』さんと言う方の証言だが、彼女は事故当時、上空を飛んでいるJAL123便を目撃したと言う・・・
その小林美保子さんの証言は、以下のものじゃ・・・
これは上記で紹介した青山透子さんの著書『日航123便墜落の新事実 目撃証言から真相に迫る』にも掲載されているぞい(汗)
・事故当時のJAL123便の目撃者「小林美保子」さんの証言
「それはですね。機体の左下のお腹です。
飛行機の後ろの少し上がり気味の部分、お尻の手前くらいでしょうか。
貨物室のドアがあるような場所、そこが真っ赤に抜けたように見えたんです。
一瞬、火事かなと思ったけど、煙が出ている様子ない。
ちょうど、垂直尾翼の辺りがグレー色でギザギザのシッポみたいだったので、それが煙に見えたけど・・・
煙ならたなびくけど、それは動かなかった。
今思うと、ちぎれたしっぽのギザギザが煙のように見えたんですね。
そのお腹の部分、つまり飛行機の左側のお腹の部分、4~5メートルくらいになるのかな?
貨物室ドア2枚分くらいの長さでしょうか。
円筒形で真っ赤。
だ円っぽい形でした。
濃いオレンジ、赤という色です。
夕日を浴びて赤いという感じでもない。
夕日は機体の背を照らしていたので、逆にお腹は薄暗く見えました。
円筒形のべったりとした赤色がお腹に張り付いているイメージ。」
引用:青山透子著『日航123便の新事実 目撃証言から真相に迫る』より
つまりオレンジ色の無人標的機がJAL123便の垂直尾翼に衝突したあと、さらにその破片が航空機後部のお腹部分に突き刺さったのではないかと推察され、ますます疑惑が深まることになったわけじゃな(汗)
ちなみにそれを裏付けるかのような写真も残っている・・・
下記の写真はJAL123便の墜落までに飛んだ飛行経路にも近い、奥多摩に在住していた山崎啓一氏と言う人物が撮ったじゃ・・・
垂直尾翼がほとんど写っていないことから、写真自体の信憑性も高いのではないかと思うの(汗)
ホントにだんだん疑惑が深まってきちゃって、ちょっと怖くなってきたよ(汗)
【日航機墜落事故の闇】自衛官の自殺が多発?!彼らは本当に自殺だったのか?!それとも事実隠蔽のため消されてしまったのか?!
実はこの事故のあとから、自衛隊員の不可解な自殺が増加したと言われている・・・
この事故の前の1981年頃と比べて、この日航機墜落事故の翌年1986年の自衛隊員の自殺者数が73パーセントも増加しているのじゃ(汗)
その数、年間で90名・・・
最初に不可解な自殺者が出たのは1986年7月で、この時は2人の航空自衛隊員だったそうじゃ・・・
さらに同じ年の9月12日と14日に航空自衛隊員が2人自殺したという・・・
恐ろしいことに、ここから不可解な謎の自衛隊員の自殺者数増加が始まったようじゃ(汗)
そして、この1986年9月12日に自殺したという自衛隊員は友人に2枚の写真を預けたそうじゃ・・・
ちなみにその2枚の写真は日航機墜落事故後にリークされているぞい?!
ちょっと衝撃的な写真なので閲覧注意だが、下の写真はその友人がリークしたという1986年7月に起こった最初の自衛隊員自殺者2人の写真じゃ・・・
このことから、これは自殺に見せかけた暗殺だったのではないかと言われている?!(汗)
もしも彼らが自殺ではなかったとするならば、一体、何のために消されてしまったのか?!
ネット上では、もしかしたら彼らは・・・
「JAL123便墜落事故の真相を内部告発しようとしたために殺されたのでは?!」
とも言われている・・・
そして2枚目の写真だが・・・
実はこれによってさらにJAL123便の垂直尾翼が破壊されたのは、自衛隊の無人標的機が原因だったのではという疑惑が深まることになったようじゃ?!
その写真とは下記のものじゃ・・・
JAL123便の塗装は基本的に黒と白と赤がベースとなっており、オレンジ色は使われていない・・・
しかし、この写真に写っている残骸は、どうもオレンジ色のようにも見える・・・
下記の写真はJAL123便と同型の当時の旅客機じゃな(汗)
事故後に回収されたと言う残骸の写真がハッキリとしないためイマイチ解りづらいが、これによってネット上では自衛隊の無人標的機が接触したのではと言う疑惑が深まったようじゃ・・・
これは何とも言えない感じかなぁ(汗)
だが、これ以外にもまだ自衛隊の無人標的機の衝突説を裏付ける話があるぞい(汗)
【日航機墜落事故の闇】自衛隊幹部から漏洩?!これにより明らかになった衝撃の事実とは?!
その内容とは・・・
「えらいことをした・・・」
「民間機に標的機を当ててしまった・・・」
「今、戦闘偵察機2基を発進させた・・・」
もしかしたら、この司令官はこの時、かなり動揺していたのかも知れないの(汗)
気持ちを落ち着かせるために、苦楽をともにした戦友に話を聞いてもらいたかったのかも知れん・・・
なにかあった時、誰かに話を聞いてもらうだけで、妙に落ち着くこともあるからの(汗)
まあ、このようなことからも墜落にいたったJAL123便の垂直尾翼破損の原因が自衛隊の無人標的機の衝突にあったとする疑惑が深まることになったと言うわけじゃな・・・
何とも言えないところではあるけど、これだけ次々に証言やらなんやらが出て来てしまうと、なにかあったんじゃないかって気がして来るね(汗)
たしかにちょっと不可解な点が多すぎるな(汗)
だが、実はまだまだ疑惑の根拠となる話があるぞい(汗)
ちょっと長くなってしまったから、この続きはまた次回、お伝えしていくぞい!
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【日航機墜落事故の闇1】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【序章】:あとがき
この都市伝説は実際に被害者遺族も絡んでおり、著者の個人的な感想だがかなり信憑性が高いのではと感じている・・・
なので、まずはこう言った疑惑も存在していると言うことを知って欲しいかの(汗)
しかもまだ、これ以外にも不可解な点があるわけでしょ?!
これはさすがに何かあると感じざる負えないね(汗)
正直、この日航機墜落事故に関しては闇の深さを感じるの~(汗)
とりあえず次回も引き続き、この話の続きを詳しく伝えていくぞい!
と言うことでいつものように・・・
「信じるか信じないかはあなた次第です!」
と言った感じじゃの(汗)
次回はさらに日航機墜落事故にまつわる衝撃的なお話をお伝えしていくよ!
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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