世界の航空史上でも、まれに見る最悪の事故と言われた・・・
『日本航空123便墜落事故』
あなたは、この事故にまつわる恐ろしい都市伝説を知っているだろうか・・・
日本人ならば誰でも、一度は耳にしたことのある、この事故の原因・・・
それは最終的に航空機の後部圧力隔壁を接続している金属の疲労によって引き起こされたと結論づけられた・・・
しかし、それは表向きだけの話で実際には別の原因があったのでは?!とまことしやかに噂されています・・・
はたして?!それは真実なのか?!
それとも、ただの都市伝説なのか?!
まずはこの記事をお読みいただき、世界の航空史上でもまれに見る最悪の事故である『日航機墜落事故』がどのようなもので、この事故の裏に潜む闇として噂されている、恐ろしい都市伝説の全貌をご確認ください・・・
日航機墜落事故の闇についての記事が始めての人は、第1回目の記事から見ていった方が解りやすいかも知れないぞい!
↓↓↓ 第1回目の記事はこちら! ↓↓↓
※WARNING※
※『日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説』の記事は少々、長くなってしまうのでこれから全5回に分けてお送りいたします。
これは第3回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
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※なお、ややショッキングな画像も一部、含まれていますのでご注意ください。
【日航機墜落事故の闇3】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【隠蔽】
まずは簡単に前回までのおさらいをしておこうかの!
この日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説では、大きく分けると3つの疑惑がささやかれている・・・
1つ目の疑惑は・・・
「垂直尾翼が破損してしまった本当の原因は、後部圧力隔壁の接続部金属疲労ではないのではないか?!」
「本当は事故当日に相模湾海上で訓練中だった自衛隊艦船から放たれた無人標的機が誤ってJAL123便の垂直尾翼にぶつかってしまったのではないか?!」
そして、2つ目の疑惑は・・・
「コントロールを失ったJAL123便は横田基地飛行場へ緊急着陸をしようとしていたが、追尾していた自衛隊機により阻止されたのではないか?!」
前回までの記事では、おもにこの2つの疑惑についての根拠として語られている内容・・・
そして、それ裏付けるかのような状況証拠や事実、証言などについて、詳しく伝えしてきたが・・・
今回はさらにJAL123便が墜落したあとに起こっていたのでは?!
と噂される3つ目の疑惑についての話から続けていくぞい?!
【日航機墜落事故の闇】証拠隠滅?!隠蔽?!謎の墜落現場発見の遅れ・・・それにより巻き起こった3つ目の疑惑とは?!
それは・・・
「JAL123便が墜落してから、救助活動が開始されるまで約14時間もの長い時間が掛かったのは、なぜなのか?!」
と言うことじゃ・・・
JAL123便が墜落した当時は、かなりの数の目撃証言があり、また墜落直前まではしっかりとレーダーにも捉えられていた・・・
しかも、前回でも触れた元米軍中尉『マイケル・アントヌーチ氏』の証言によれば、彼の乗っていた米軍輸送機はJAL123便墜落のわずか20分後には緯度経度の割り出しもして、正確に墜落位置を特定していたと言う・・・
その後、彼はその正確な位置を報告し、米海兵隊のヘリを墜落現場まで誘導することに成功していた・・・
さらに、その約2時間後には日本側の救難機が墜落現場上空で旋回しているのも確認したそうじゃ・・・
つまり、墜落現場がどこであるかは、この時には日本側にも正確に伝わっていたと言うことになる・・・
この証言を鑑みるに墜落現場の発見が困難を極めることなど、ありえないと言うわけじゃな(汗)
そして、これらの事実から、この日航機墜落事故の闇とされる都市伝説において、3つ目の疑惑がささやかれることになった・・・
その疑惑とは?!
「もしかしたらJAL123便の墜落現場は発見できなかったのではなく、あたかも発見が困難であるかのように偽装したのではないか?!」
「そうしなければならなかった理由は、本当の事故原因を隠蔽するために、墜落現場で証拠隠滅の時間稼ぎをしなければならなかったからではないか?!」
この都市伝説では、こんな疑惑がささやかれているのじゃ(汗)
それってつまり、1つ目の疑惑で出て来た・・・
「自衛隊艦船から放たれた無人標的機が誤ってJAL123便の垂直尾翼にぶつかってしまった」
と言うことを隠蔽するためだったって言うの?!
そんなの信じられないし、信じたくもない話だけど、やっぱり1つ目と2つ目の疑惑のように、何か根拠になる話があったりするのかな?(汗)
そうじゃな・・・
この3つ目の疑惑についても、やはり根拠があるようじゃぞ(汗)
ここからひとつづつ、その辺について詳しく伝えていくぞい(汗)
【日航機墜落事故の闇】元米軍中尉アントヌーチ氏の証言から発覚した驚愕の事実とは?!証言の内容を詳しく紹介・・・
いわゆる・・・
「アントヌーチ証言」
前回、このアントヌーチ証言の内容で伝えたことは・・・
「横田基地管制はJAL123便の着陸を許可していた。」
「(JAL123便の)乗員も米軍基地への着陸を希望していた」
と言うことだったが、実はさらにこのあとも証言は続いているのじゃ(汗)
このアントヌーチ証言では、彼があの晩に体験したことを語っている・・・
JAL123便墜落当時のあの晩、アントヌーチ氏は東京から西に35マイル離れた横田基地に向かう米空軍輸送機C-130にナビゲーターとして乗り込んでいたそうじゃ・・・
JAL123便墜落当時の8月12日18時30分頃、彼の乗った輸送機は沖縄から横田に向けて飛行中であったと言う・・・
その輸送機が伊豆大島上空にさしかかった辺りで、JAL123便の機長が管制塔に緊急事態を宣言する無線の声を聞いたそうじゃ・・・
緊急事態の宣言を聞いた当初は、軍隊では緊急事態を宣言し、エンジンを止めて平穏無事に着陸することはよくあることだから特に気にしていなかったそうじゃ・・・
しかし、それから10分後の18時40分頃・・・
再度、JAL123便の機長の声を聞いた・・・
その時の声は非常に動揺しており、管制とのやりとりは航空の標準語である英語ではなく日本語だった?!
こんなことは几帳面な東京管制官の通常の離陸管制では考えられないほど異常なことであったため、ここでアントヌーチ氏らは事態の深刻さを認識したそうじゃ・・・
そして、彼らはここから真剣に事態を注視するようにもなったそうじゃぞ?!
さらに無線から流れてくるJAL123便の様子から、この緊急事態は相当に深刻で目的地に到着できそうにないことがわかったそうじゃ?!
そして、滅多にないことと前置きを入れつつ語ったアントヌーチ氏の証言によれば、このJAL123便の乗員は米軍基地(横田基地)への着陸を希望していたと言う?!
この要請を受けた横田基地管制は、このあとJAL123便の希望通り、着陸許可を出していたそうじゃ!
だが、その後、なぜかJAL123便は横田基地飛行場方面には向かわず、まったく逆方向へ向かってしまい、最後は御巣鷹山の尾根へ墜落してしまったのじゃ・・・
その辺までは、何となくだけど前回も聞いたよ(汗)
この横田管制とJAL123便のやり取りから、この都市伝説で言われてる、追尾していた自衛隊機に阻止されてしまったため、反対の方角へ向かわされてしまったんじゃないかって疑惑が深まったんだよね?!
さらにそのことがバレないように、この間のやり取りが記録されたフライトレコーダーの音声データものちに改ざんされたんじゃないかって疑惑もあるんだよね?!
【日航機墜落事故の闇】JAL123便の墜落を確認した米空軍輸送機?!この時、何が起こっていたのか?!
そうじゃな(汗)
そこまでの話は前回も簡単に伝えたが、ここからはその続きを話していくぞい!
アントヌーチ氏の乗る米空軍輸送機も横田基地管制と無線連絡を取っており、ちょうど19時過ぎ辺りの横田基地管制からの交信でJAL123便がレーダーから消えたことがわかったそうじゃ?!
おそらくこの時、横田基地管制の方もJAL123便が墜落した可能性もあると考えたのだろう・・・
アントヌーチ氏の乗った米空軍輸送機に対して、JAL123便のゆくえを捜索できないかと聞いてきたそうじゃ・・・
あと2時間ほどは飛べるだけの燃料があった米空軍輸送機は、すぐにJAL123便の捜索のため進路を北北西に向けたそうじゃ・・・
そして、19時15分頃、米空軍輸送機の航空機関士が高度1万フィートの雲の下に煙のようなものが見えるのを発見した?!
そこでゆっくり左に旋回し、そちらへ方向を向け、ちょうど地表から高度2000フィート辺りに降下した時・・・
御巣鷹山の斜面で大規模な森林火災が起こり、黒煙が空を覆っているのを発見した?!
その地表には航空機の残骸も多数、確認されたことから、アントヌーチ氏たち米空軍輸送機搭乗員は、ここにJAL123便が墜落したのだと確信したそうじゃ・・・
時刻は大体、19時20分頃・・・
墜落からわずか20~25分後のことであった・・・
その後、アントヌーチ氏らの輸送機は墜落機残骸の上空2000フィートで旋回し、地上との高度をモニターして、横田基地までの位置関係を確認したと言う・・・
さらにそこで事故現場から横田基地までの緯度、経度、方向と距離を正確に割り出し、すぐに連絡もしたそうじゃ・・・
つまり墜落後、およそ20分で日本を含めた関係当局は墜落機残骸の位置を正確につかんでいたと言うわけじゃな(汗)
さらにその後の横田管制からもたらされた情報によれば、この墜落現場から約40マイル離れた厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてることを聞いたと言う・・・
実際、その後の20時50分頃までに米海兵隊の救援ヘリのライトを視認し、そのヘリが偵察のために降下するところを確認したそうじゃ・・・
さらに21時5分には、煙と炎がひどくてとても着陸できないと米海兵隊ヘリから連絡がきたと言う・・・
その連絡では位置を少し移動して2人の乗員をホイスト(ウインチで吊り下げ)で地上に降ろすつもりでいるのでアントヌーチ氏たちから、そのことを司令部に連絡してくれと頼んできたそうじゃ?!
そこで彼らはすぐにそのことを司令部に連絡した?!
つまり、この時点であとは司令部からの降下許可を受け次第、米海兵隊による救助を開始するだけと言う段階まできていたと言うことじゃ!
そんなに早い段階から、救助活動を開始しようとしてたわけ~?
でも、この日航機墜落事故では、墜落場所の正確な位置がつかめなくって、結局、救助が開始されたのは、翌日の早朝になってからになったんだよね?!
なんか凄い矛盾するんだけど、一体どう言うこと?!
まあ、ここで降下して救助活動に移れれば良かったのだが・・・
アントヌーチ氏の証言によれば、このあとに受けた司令部からの返答は驚くべきものであったそうじゃ(汗)
なんと司令部は・・・
「ただちに基地へ帰還せよ」
「日本側が向かっている」
と言ったそうじゃ・・・
すぐにでも救助活動を開始できる状態であったため、さすがにこの指令に対し、アントヌーチ氏たちは・・・
「司令部、海兵隊は救助続行を希望している」
と言う意見を述べたそうだが、結局、司令部からは・・・
「繰り返す。即刻、基地に帰還せよ。海兵隊も同様」
と命令されてしまったようじゃ・・・
アントヌーチ氏ら米空軍輸送機の乗員は、その命令に対し、最初はどうにも納得できなかったそうじゃ・・・
しかし到着から約2時間後の21時20分には最初の日本の飛行機が現れ、横田基地管制から、それが日本の救難機だと知らされたので、安心してそのまま引き上げた・・・
横田基地に引き返しあと、アントヌーチ氏ら米空軍輸送機の乗員はただちに司令部に報告をおこなうように指令を受けたそうじゃ・・・
そしてそこに待っていたのは米軍第861戦術飛行隊副司令官のジョエル・シルズ大佐・・・
アントヌーチ氏が乗った米空軍輸送機のグリフィン機長は経過を簡単に報告したが、そこでシルズ大佐からこんなひと言をいわれたそうじゃ・・・
「ご苦労だった。今回のことについてマスコミには一切他言無用」
この時は特に疑問を持たずにいたアントヌーチ氏であったが、その後に伝わってくる日本の報道を見て、その言葉の意味を理解したのだろう・・・
その時のことをアントヌーチ氏はこう証言している・・・
少々、長いが目を通して見て欲しいぞい?!
その内容は驚くべきものじゃぞ?!(汗)
・アントヌーチ氏の証言内容の一部・・・
翌日のニュースや新聞を見て、われわれは愕然とした。
ニュースは日本の捜索隊が墜落地点を発見するのが、いかに困難をきわめたかを伝える報道であふれていた。
事実、まだ事故機残骸に到着していなかった。
私はすぐに地図のところへ行って昨日の航跡を確認した。
私には正確な位置を示したという自信があった。
私は海兵隊のヘリコプターに墜落地点までの飛行を無線で誘導(に成功)したのだし、日本の救難機が墜落現場上空に到着して旋回しているのを確認したあとに帰還したのだから・・・
あの『事故機発見がそれほど困難をきわめるような問題が日本側にあったのだろうか?』
墜落から2週間経ってタイの首都、バンコクにいたとき、私は墜落の写真が表紙になった『タイム』と『ニューズウィーク』を買った。
これで4人の生存者がいたことを初めて知った。
4人のうちの落合由美さんの記事を読んでゾッとさせられた。
彼女は墜落後、意識があったときのことを語っている。
残骸の下で動けなかった彼女はヘリコプターを発見し、手を振って合図したが、すぐには返答がなかった。
「次第に私は眠くなった」
「気がつくと男の人の話し声が聞こえ、もう朝だった」
と彼女はいっている。
落合さんはまた、看護師に数人の子どもたちの声を聞いたが闇の中でその声は次第に途絶えていったと話している。
私は打ちのめされたような気がした。
海兵隊が吊り上げによる救助を許可されていたならば、さらに数人の生存者を救出できたのにと考えざるを得なかった。
海兵隊のヘリコプターは落合由美さんが見つけられるところまで接近していたのだ。
『ニューズウィーク』誌によると、日本の当局は捜索開始命令が午後9時30分まで出されなかったと述べている。
(しかし)その時刻はわれわれが墜落地点を確認した2時間後だった。
(記事に書かれた内容によれば)最初の日本のヘリコプターが現場にやっと到着したのは、翌日の午前4時40分だった。
午前7時15分になって日本の捜索隊は、レンジャー部隊をヘリコプターで吊り下ろすことを決断した。
海兵隊のヘリコプターが同じことをやろうとして許可されなかったときから、11時間もたってのことだった。
こういう大惨事での米国の役割については『タイム』や『ニューズウィーク』誌でも、われわれのC-130(米空軍輸送機)や海兵隊の行動を報道することはなく、記者たちは日本の当局が公表したことを鵜呑みにしている。
『ニューズウィーク』は日本のF4戦闘機が午後7時21分に山の中の炎上地点を確認したと伝えていた。
当時の日本はF4を持っていなかったし、在日米軍基地にもF4は配備されていなかったという事実を除けば、これはよくできた話である。
また『タイム』は、日本の航空自衛隊が派遣した2機の航空機が、炎上地点を確認したと伝えている。
このことは午後9時30分まで捜索命令が出されなかったという軍(自衛隊)の前述の言明と矛盾している。
夜から朝にかけて、いったい何が起こっていたのだろうか。
日本の救助隊は墜落現場から4.2マイル離れた上野村に対策本部を設置しつつあった。
あとになって、日本の緊急事態対策問題に精通しているある人から、彼らが1機ではなく2機の米軍機が自分たちよりも2時間も早く現場に到着していたことにびっくりしていたと聞かされた。
この人物は・・・
「日本の乗員は、あなた方が行ったようにとっさに捜索を実行するなんてことは絶対できないだろう」
「彼らの救助活動のやり方といえば、マニュアルなど文字になっているものでしかできないのだ」
「しかし、あなたたち(空軍と海兵隊)はそれを見事にやってのけた」
と私に語った。
私が日本に戻ってきた頃には、この話は立ち消えになっていた。
われわれ乗員たちは、ある連絡を受け取ったが、われわれの期待とは、ずいぶんかけ離れていた。
われわれは日本の新聞に残骸の写真を売るための、空軍特別調査活動の任務にあったということにされた。
しかし、この調査は当然のことながらあっという間に終わった。
なぜならフィルムを持っている者など誰一人いなかったし、写真を取れるような明かりも十分なかったのだから。
(※この部分に関して、おそらくアントヌーチ氏は、そのような任務は存在していなかったと言いたかったのだと思われます。)
その上、マスコミは、われわれがそこを飛んでいたことなど誰も知らないのだから報道されるはずもなかった。
1987年3月、私は横田基地を離れサクラメントのマザー空軍基地で航法教育に携わる大尉として着任したが、その時、空軍表彰メダルを授与された。
そこにはこう書いてある・・・
「アントヌッチ大尉とその乗務員は、日航機の捜索を決定し、直ちに捜索計画をたて、墜落現場を発見し救助隊を現地に誘導した」
私は空軍が私たちの行動を認めてくれたことは嬉しかったが、表彰を喜ぶ気になれない。
私は「まだ、生存していた人たちを救出できなかった」と付け加えたかった。
日航123便事故は、実際2つの惨事がある。
第一は墜落事故の衝撃で人々が死亡したことである。
第二には、遺体収容を援助した医師たちの証言に表れている。
つまり、もっと早く救助隊が到着していれば、負傷者、または致命的でなかった乗客を発見できただろうということだ。
ある医師の証言は私の体の心まで震え上がらせた。
彼は・・・
「もし発見がもう10時間早ければ、われわれはもっと多くの生存者を発見できたであろう」
といっている。
引用元:米軍人コミュニティ向けの新聞「スターズ・アンド・ストライプス」の1995年8月27日記事より
https://newspaperarchive.com/pacific-stars-and-stripes-aug-27-1995-p-1/
念のため、貼っておくから、興味があればどうぞじゃぞ!
【日航機墜落時の闇】日米で食い違う主張の違い?!なぜこれほどまでに矛盾した見解がなされたのか?!真実はどこにあるのだろうか?!
「(米軍側からの)救助を断ったと言うことは聞いていないし、(米軍が救助に向かったヘリ)UH-1が現場に向かったことも聞いていない」
と語っている・・・
つまりこれらの証言からわかることは、日本とアメリカ側の主張がまるっきり食い違っていると言うことじゃな(汗)
※この時の松永貞昭氏の発言にある「聞いていない」と言う表現に違和感を覚えたと言う人が多数見受けられました。
つまり、そのような事実がないのであれば、もっとハッキリ否定するのではないか?
それをしないと言うのは、この証言が事実であることがわかっているからこそ、わざと(自分は)「聞いていない」と言う微妙な表現で逃げたのではないかと言うことのようです。
松永貞昭氏のこの時の逃げともとれる言い回しによって、アントヌーチ証言の信憑性は高まったとも言われています。
「当時の日本政府関係当局のあいだ、おもに自衛隊や警察とのあいだで主導権争いがあったが、そこで米軍にいち早く救助を開始されてしまったら、警察と自衛隊双方ともに立つ瀬が無い」
「だから、米軍の救助活動を断ったのだろう」
と、こんな風に結論づけている・・・
これだけでもかなり、衝撃的な酷い話だが、実はこの日航機墜落事故の闇として語られる都市伝説では、さらにとんでもない疑惑が巻き起こっているようじゃぞ?!(汗)
その疑惑とは何度も伝えている通り・・・
「米軍側の救助を断ったのは、墜落現場で証拠隠滅をしなければならなかったからではないか?!」
つまり、この都市伝説で語られている1つ目の疑惑・・・
「自衛隊の無人標的機がJAL123便の垂直尾翼に誤って衝突してしまったことの証拠隠滅をしようとしていたのではないか?!」
と言うことじゃな(汗)
それもぶっ飛んだ話過ぎて、にわかには信じられないんだけど、何かそう思えてくるような根拠となる話でもあったりするわけ?!(汗)
【日航機墜落事故の闇】JAL123便墜落現場には特殊部隊がいた?!いち早く現場を目撃したと言うM氏の証言とは?!
実はこの都市伝説では、さらにM氏と名乗る人物による目撃証言が根拠として語られているのじゃ(汗)
そのM氏の証言によれば、まだこの時は特定されていないはずの墜落現場に、明らかにあとからきた一般の自衛隊員とは異なるいでたちの謎の部隊がいたと言うのじゃ?!
ちなみに、この謎の部隊は暗視ゴーグルまで付けていたそうじゃぞ(汗)
一体、この都市伝説で言われているM氏の証言なる話がどこから出てきたのか調べたところ、どうやらそれは1993年に出版された下記の書籍に書かれていたことが元になったようだぞい(汗)
その書籍に書かれている内容を抜粋して載せておくぞい!
・M氏の証言部分、一部抜粋・・・
夏休みの帰省先で123便の墜落を知ったM氏はオフロードバイクに乗り、友人と2人で現場に向かった。
山と尾根を超えた、現場近くでは上空のヘリの音や光を目標に走り続けた。
6、7時間も走り抜いて墜落現場にたどり着いたのは早朝4時頃のことだ。
そこで彼は100人ほどの自衛隊員を目撃している。
(※ブログ著者注釈:早朝4時頃はまだ、墜落現場の特定は出来ていない時間帯です。)
暗視ゴーグルを装着し、片手には抜き身のアーミーナイフ、足に履いているのは急峻な山での作業に適した短靴。
あとにやってきた一般の自衛隊員とは明らかに異なるいでたちだった。
彼らはしきりに何かを回収し、大きな袋に詰めている。
上空にはヘリがホバリングし、集めた袋をつり上げているのがわかった。
M氏はたどり着いた現場で40人か50人ほどのうめき声を聞いている。
ところが現場に居合わせた大勢の自衛隊員たちは何かの回収作業には熱心だが、生存者には手当ても声かけもしない。
それを見て、M氏は不審に思った。
「自衛隊の人たちがいる以上、自分ができることは負傷者のいる場所を教え、早く救助してもらうことだと思い、うめき声のするあたりを探してはその場所を隊員さんに伝え、早い手当てを頼んでいました。」
「ただ自衛隊員さんの対応には不信感を覚えました。」
「『(その自衛隊員さんは)下手に動かすと危険なので、あとから来る部隊が手当てをすることになっている』と言うだけで何もしようとしないんです・・・」
やがて山を下りる頃、M氏は先ほど聞こえていた大勢の生存者のうめき声がひとつも聞こえなくなっているのに気づいたという・・・
引用:角田四郎著/疑惑 JAL123便墜落事故より
これってつまり、アントヌーチ証言にある・・・
「日本の救難機が墜落現場上空に到着して旋回しているのを確認した」
と言う部分を裏付けるような内容じゃないか(汗)
にわかには信じられないけど、M氏とアントヌーチ氏の証言は表に出て来た時期がズレているにも関わらず、まったく矛盾なくつじつまがあって来ちゃうわけか(汗)
つまり、口裏合わせが出来ない状況にも関わらず、まるでお互いの証言を裏付けるような内容になったと・・・
これはかなり、信憑性が高いんじゃないかって気がしてきたよ(汗)
そうじゃな(汗)
この日航機墜落事故の闇と噂される都市伝説では、このような何も工作が出来ない状況にあった2つの証言の奇妙な一致によっても・・・
「もしかしたらJAL123便の墜落現場は発見できなかったのではなく、あたかも発見が困難であるかのように偽装したのではないか?!」
「そうしなければならなかった理由は、本当の事故原因を隠蔽するために、墜落現場で証拠隠滅をするための時間稼ぎをしなければならなかったからではないか?!」
と言う3つ目の疑惑が深まることになったわけじゃ(汗)
これだけでもかなり衝撃的な感じだが、この都市伝説ではさらにこの疑惑を裏付ける根拠として語られる話があるぞい?!(汗)
【日航機墜落事故の闇】意図的な情報の撹乱?!自衛隊から発せられた墜落位置の情報はなぜすべて間違っていたのか?!
実はここにはそうなってしまった原因として指摘される事実があるのじゃ・・・
その事実とは・・・
「何度も繰り返された自衛隊からの誤報によって、墜落現場の特定が困難を極めてしまった」
と言うものじゃ(汗)
実際にそれが本当かどうか調べて見たが、どうやら自衛隊が墜落場所の誤報を繰り返していたのは事実なようじゃ(汗)
下記の表はJAL123便の事故当日から翌日に掛けてもたらされた墜落現場の情報だぞい!
スマホからだと小さくて見にくいかも知れないから拡大して見ておくれの(汗)
この一覧を見れば解ると思うが、不可解なことになぜか当時、自衛隊からもたらされたJAL123便の墜落場所の情報のほとんどが間違っていたのじゃ(汗)
しかも、途中には長野県警からもたらされた・・・
「墜落位置は長野県ではない」と言った・・・
正しかった情報についても、わざわざ自衛隊側から否定する発表までしている(汗)
さらに事故の翌日の明け方5時37分に長野県警より発表された御巣鷹山を墜落現場とする正しい情報がもたらされたあとにも、陸上自衛隊によってまるで違う場所が発表されている(汗)
つまり、これらの自衛隊からもたらされる誤情報によって情報が錯綜してしまったため、墜落現場がなかなか特定できなかったのだと指摘されているのじゃ(汗)
さらに、このような自衛隊による誤情報の乱発がなければ、おそらくもっと助かる命があっただろうとも指摘されている(汗)
そして、このことからこの都市伝説では・・・
「自衛隊がこれだけの誤情報を乱発したのは、わざと墜落現場を特定させないようにしたんじゃないか?!」
「そんなことをした理由は、やっぱり墜落現場で証拠隠滅をするための時間稼ぎをしたかったからではないか?!」
と、このような疑惑を持たれることになったようじゃ(汗)
そして、この疑惑によりさらに1つ目の・・・
「垂直尾翼が破損してしまった本当の原因は、後部圧力隔壁の接続部金属疲労ではないのではないか?!」
「本当は事故当日に相模湾海上で訓練中だった自衛隊艦船から放たれた無人標的機が誤ってJAL123便の垂直尾翼にぶつかってしまったのではないか?!」
と言う疑惑が深まることになり、さらには3つ目の・・・
「もしかしたらJAL123便の墜落現場は発見できなかったのではなく、あたかも発見が困難であるかのように偽装したのではないか?!」
「そうしなければならなかった理由は、本当の事故原因を隠蔽するために、墜落現場で証拠隠滅をするための時間稼ぎをしなければならなかったからではないか?!」
と言う疑惑についても、ますます深めることになったわけじゃな(汗)
マジか・・・
最後の最後まで誤情報を流し続け、途中で長野県警から発表された正しい情報まで否定したのか・・・
疑いたくはないけど、これはたしかにわざと墜落現場を特定させずに時間稼ぎしてたんじゃないかって、疑惑を持たれても仕方ないようなぁ(汗)
そうなのじゃな~(汗)
この事実についてもそうだが、そのほかにも疑惑を深める事実や証言がこれでもかってくらいたくさんあるからの~(汗)
もう調べれば調べるほど、どんどん出てくる(汗)
正直、本当に信じたくない話だが・・・
状況証拠的には完全に『黒』
と感じざる負えないのじゃ(汗)
第1回目の記事でも言ったが、これはかつてないほど真実味を感じられる都市伝説なのじゃよ(汗)
子ザルは最初、ぷりぷりしておったがの(汗)
それじゃ~、今回も長くなってしまったから、ここらで一旦、切るぞい!
次回も引き続き、この日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説について、伝えていくからの!
↓↓↓ 続きはこちら! ↓↓↓
【日航機墜落事故の闇3】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【隠蔽】:あとがき
前回に引き続き、今回も日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説をお伝えしたわけだが・・・
ますます疑惑が深まったのではないかの?!
何も知らずにいれば、とても信じられないような話だが事実をひとつづつ確かめていくと、明らかに不可解な点が出て来てしまう(汗)
ホントに信じたくない話だが、ここまで来ると、何もないと思う方が無理じゃな(汗)
この事故の被害者遺族の多くも、事故調査委員会から発表された、まるで信憑性のない内容に納得していない人も多いそうじゃ(汗)
実際、被害者遺族側からは何十年も掛けて、何度も何度も国に再調査の要望を出し続けているようだしの~(汗)
さらに最近では、日本政府に言ってもらちが明かないから、国際的な場での裁判に打って出ようなんて話にもなっているらしいぞい(汗)
そりゃあ、被害者遺族からしたら納得できないに決まってるよ(汗)
これはたしかに何かしらあるだろうしね(汗)
仏の言う通り、疑うなって方が無理だわ(汗)
ホントにこの日航機墜落事故はどこまで闇が深いのか(汗)
これだけでもかなりお腹いっぱいだとは思うが、次回はさらにこの都市伝説を掘り下げていくぞい(汗)
と言うことでいつものように・・・
「信じるか信じないかはあなた次第です!」
と言った感じじゃの(汗)
次回はさらに日航機墜落事故にまつわる都市伝説をお伝えしていくよ!
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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