あなたは、今から約41年前の京都・長岡京で起こった、恐ろしき未解決強姦殺人事件をご存じだろうか・・・
(※2020年、時点)
その恐ろしき未解決強姦殺人事件とは・・・
『長岡京ワラビ採り殺人事件・・・』
当時、京都・長岡京市内にあるスーパーで働いていた2人の主婦・・・
その2人の主婦が仕事終わり、近くの山にワラビ採りに出かけたあと、行方が解らなくなったが・・・
その2日後・・・
2人は凄惨な他殺体となって発見されたと言う恐ろしい殺人事件・・・
この事件の不可解で不気味なところはここ・・・
『殺害された主婦のうち、一人のポケットから謎のメモが発見された・・・』
殺害現場付近では過去にレイプ事件なども起こっており、事件発生当初から不審な人物の目撃証言なども多数あがっていた・・・
現場に残された物証は少なかったが、疑わしい容疑者はかなり早い段階から浮上していたこともあり、事件はすぐに解決するかに思われていた・・・
しかし結局、時効が成立してしまい、未解決事件となってしまった・・・
『長岡京ワラビ採り殺人事件』
この事件について伝えていくぞい!
事件当日、犠牲となった2人の主婦に一体、何が起こっていたと言うのか?!
当時の様子や事件発覚までの経緯、その後の目撃証言、さらに事件の真相ではないかと噂される説などについても詳しく伝えていくぞい?!
これを見ているみんなも、一緒に推理して見てね!
それと!この記事に関しては、当サイトオリジナル動画もあるよ!
読むのが面倒な人は動画でどうぞだよ~!
※WARNING※
※『長岡京ワラビ採り殺人事件』の記事は少々、長くなってしまうので、これから数回に渡ってお送りいたします。
これは第1回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
※逆に記事を気に入り、下記のアイコンをポチっとすると、今度はうれし涙を流す著者が夢に出てくると言うオカルト好きにはたまらない不気味な体験をすることができるかも知れません。(適当)
【長岡京ワラビ採り殺人事件1】残虐なる未解決暴行強姦殺人事件【序章】
事件が起こったのは、1979年5月23日正午頃・・・
事件現場は京都府長岡京市奥海印寺と呼ばれるエリアにある山の山頂付近・・・
地元の住民からは通称、野山と呼ばれている山の中じゃ・・・
『明石英子さん(当時43歳)』
※長岡京市金ケ原平井在住
『水野恵子さん(当時32歳)』
※同市長岡在住
下記、画像の女性が、殺されてしまった明石英子さんと水野恵子さん本人じゃ・・・
事件当日の5月23日・・・
この日、2人はスーパーでの仕事が終わったあと、連れだって付近の山にピクニックをかねてワラビ採りに出かけたと言うが・・・
なぜかその日、2人は帰宅しなかった・・・
翌日になっても2人は一向に帰って来ず、そのまま消息が解らなくなってしまった・・・
心配した明石英子さんと水野恵子さんの夫らは、それぞれの妻を野山まで探しにいったそうだが、見つけることが出来なかった・・・
その後、ついに自力での捜索をあきらめた夫たちは、翌日の5月24日に地域を管轄する京都府警向日町警察署に捜索願を出した・・・
そこで警察は、すぐに向日町署員30人あまりを動員して捜索を開始した・・・
しかし、その日は2人を見つけることが出来ず、翌日の5月25日に再度、山での捜索がおこなわれた・・・
その結果、ちょうど山の山頂付近の少し先にある開けた空間の脇、傾斜45度ほどの斜面に明石英子さんが変わり果てた姿で倒れているのが発見された・・・
さらに、その斜面を約10メートル程度登ったところで、今度は水野恵子さんが無残な姿で横たわっているのが発見された・・・
遺体の状況から警察は他殺と判断し、殺人事件として捜査を開始した・・・
事件を担当した京都府警はその後、地区を管轄する向日町署に捜査本部を設置・・・
捜査員延べ約25000人を動員し、必死の捜査がおこなわれた・・・
その地域一帯の変質者207名をリストアップし、地道に事件当日のアリバイを調べるなど、かなり徹底した捜査もおこなわれたと言うが・・・
結局、事件から15年後の1994年5月24日に公訴時効が成立し、未解決事件となってしまった・・・
これが『長岡京ワラビ採り殺人事件』のざっくりとした概要じゃな・・・
スーパーでの仕事終わりに近くの山へワラビ採りに出かけ、その山で何者かの手によって、2人とも殺害されてしまったわけか~・・・
一体、2人の身に何が起こったのか・・・?
これだけじゃ、何とも言えない感じだねぇ・・・
もう少し、詳しく事件当日の状況を教えてよ!
【長岡京ワラビ採り殺人事件】事件当日、被害者の足取り・・・2人の主婦の身に何が起こっていたのか?!
それでは、さらに詳しく事件の経緯について、伝えていこうかの・・・
まずは殺された主婦2人の足取り・・・
事件当日、明石英子さんと水野恵子さん、2人の主婦がどのような経路を辿り山に入ったのか・・・
その辺について解りやすく地図でまとめたから、それを見ながら伝えていくぞい?!
その後、仕事終わりの午前10時過ぎに勤務先のスーパーで弁当を購入・・・
そのまま、そこから直線距離で約2.5キロ離れた・・・
「寂照院(じゃくしょういん)」
と言う仏教寺院まで自転車で向かい、その寺院の前にある畑に自転車をとめて、そこから徒歩で山に入った・・・
下記は1975年時点の長岡京・河陽が丘上空を撮影した国土地理院の航空写真じゃ!
事件当日、宅地造成現場のガードマンや登山道入り口近くの竹林で作業をしていた夫婦が・・・
「23日の午前11時過ぎに、2人が入山していくのを見た・・・」
と言う目撃証言を残しており、どうやら2人は事件当日、午前11時過ぎ頃に山に入っていったようじゃ・・・
そこから、おそらく約1時間ほど山の中でワラビを採り、正午頃に勤務先スーパーで購入した弁当を食べたと推察されているが・・・
どうやらその直後、正午から14時半までの間に、2人は何者かによって殺害されてしまったようじゃ・・・
明石さんと水野さんの2人が殺された通称、野山と呼ばれるこの山は、山菜やタケノコ狩りでよく知られた場所で家族連れがお弁当を持って散策するなど、地元住民の憩いの場となっていたと言う・・・
しかし、奥に入ると人気の少ない寂しい場所もあり、過去には強姦などの事件も発生していたそうじゃ・・・
殺された明石英子さんは、この山には何度かワラビ採りに来ており、この時、水野恵子さんは初めて来たようじゃ・・・
そのことから、おそらく明石さんが水野さんを誘って、ワラビ採りに来たのだと思うぞい!
事件当日の被害者2人の足取りは、そんな感じだったわけか~・・・
途中で持参したお弁当を食べ、楽しいはずのワラビ採りで最後には殺されてしまったと・・・
殺された本人たちは、そんなことになるなんて、夢にも思わなかっただろうね・・・
それじゃあ、その後に事件が発覚するまでの経緯を教えてよ!
【長岡京ワラビ採り殺人事件】事件発覚の経緯・・・夜になっても帰らぬ妻の身を案じた夫は、その日の夜、山に探しに出かけたと言うが・・・
それでは事件が発覚するまでの経緯を伝えていこう・・・
事件当日の5月23日・・・
山に入った主婦の一人、水野恵子さんは、この日、ワラビ採りが終わったあとの15時半ごろに保育所に子供を迎えに行くことになっていたようだが、この時、彼女は保育園には現れなかった・・・
その後、夜になっても帰って来なかったため、心配になった恵子さんの夫が、その日すぐに暗い中を一人で「野山」に捜索しにいったそうじゃ・・・
しかし、この日は見つけることが出来ず、翌日の24日の朝からは明石英子さんの夫も加わり、山の中を2人で探したようじゃ・・・
だが、探し始めてから数時間しても見つけることが出来なかったため、ついに夫らは自力での捜索を諦め、同日14時50分に地域を管轄する向日町警察署に捜索願を提出した・・・
向日町署はすぐに署員30人を投入して捜索を開始・・・
その結果、まず登山道入り口近くにある「寂照院」前の畑で2人の自転車を発見した・・・
同時にこの時、工事中の宅地造成現場のガードマンから2人が午前11時過ぎに山に入ったと言う目撃情報を得たようじゃ・・・
その日の捜索は深夜にまで及んだようだが、主婦2人の行方は解らずじまい・・・
再度、翌日の25日、午前9時から捜索が開始された・・・
この時には向日町警察署員のほか、行方不明となった明石英子さんと水野恵子さんの家族や同僚たち、さらに地元の消防団員なども加わり、総勢約120名体制、警察犬3頭も動員して捜索がおこなわれたと言う・・・
その結果、同日午前10時30分頃、「野山」の山頂付近にある雑木林の獣道・・・
その行き止まり辺りで警察犬が反応し、その下の斜面で明石英子さんの遺体が発見された・・・
さらに明石英子さんの遺体発見場所から斜面を約10メートル程登ったところにある小さく開けた場所で、水野恵子さんの遺体も発見されたようじゃ・・・
発見された2人の遺体の状況から、警察は他殺と判断し、殺人事件として捜査を開始したと言うわけじゃ・・・
行方不明から2日後にようやく発見されたわけか~・・・
それじゃあ発見された明石英子さんと水野恵子さんは、どんな状態だったのかな?
この時点ですぐに殺人事件として、警察が捜査していたと言うことは、明らかに他殺とわかる状況だったと思うけど・・・?
その辺の、殺害現場の状況についても詳しく教えてよ!
【長岡京ワラビ採り殺人事件】殺害現場の様子・・・2人の遺体には強い恨みを感じさせる、無数の殴られた痕があった・・・
それでは、ここから発見された明石英子さんと水野恵子さんの殺害現場の状況を伝えていくぞい!
まず最初に発見された明石英子さんは、山の山頂付近にある雑木林の斜面に・・・
「頭を下に向け、仰向けになった状態」
で発見された・・・
この斜面の上には、少し開けた場所があるのだが、おそらく英子さんは、その場所から犯人によって殺害後、突き落とされたもののようじゃ・・・
英子さんの遺体には・・・
「身体中に30カ所もの皮下出血のあとがあり、あばら骨は9本折られ肝臓も破裂・・・」
していたそうじゃ・・・
これらの痕跡は拳での殴打や、足で蹴り上げられたような激しい暴行のあとと推測されている・・・
身体中に残る暴行のキズは皮下出血、いわゆる青あざの状態となっていることから、どうやら英子さんは殺害される前に激しい暴行を受けていたようじゃ・・・
また首には両手で絞められたあとがあり、のちの司法解剖の結果、直接の死因は・・・
「首を絞められたことによる窒息死・・・」
と判明したようじゃ・・・
遺体のそばには、英子さんの物と思われるリュックサックが放置されており、その中には所持金2000円ほどが入っていた・・・
また明石英子さんの体内からは、犯人のものと思われる体液が検出されており、このことから、どうやら彼女は殺害される前に犯人に強姦されていたようじゃ・・・
彼女の当時の服装は、ボタンの付いたスポーツシャツにジーンズと言う身軽な格好で、シャツのボタンは一部ちぎれ、現場に落ちていた・・・
そして靴は脱げていたがジーンズはきちんとはいており、全体の印象としては自分で身づくろいしたかのように整った様子だったと言う・・・
次にもう一方の主婦、水野恵子さんだが、彼女は明石英子さんが倒れていた場所から10メートルほど、登った斜面の上で発見された・・・
おそらく明石英子さん同様に、水野恵子さんも殺害後、突き落とされたのだと思われるが、こちらは斜面を下まで転げ落ちずにいたのだろう・・・
発見された恵子さんは・・・
「うつ伏せの状態でリュックサックを背負ったまま、下半身は露出しており、パンティストッキングと下着が脚に絡まりついていた・・・」
と言う状態で発見されたようじゃ・・・
遺体の周りには、彼女が履いていたと思われるジーンズと靴が散乱しており、明石英子さん同様、水野恵子さんの方にも激しい暴行のあとがあった・・・
その数は・・・
「身体中、50カ所にも及び、皮下出血の痕もあった・・・」
どうやら、彼女も殺害前に殴る蹴るなどの暴行を受けていたようじゃ・・・
彼女の遺体を発見した者が、身体を起こすと左胸には文化包丁が突き刺さったままになっていた・・・
その包丁は彼女の着衣をまくり上げた上で直接、素肌に突き刺さっており、左第四肋骨を切断し、心臓から肺にまで到達していたと言う・・・
英子さん同様、恵子さんにも手で首を絞められたようなあとが残されていたようだが、直接の死因は・・・
「胸を包丁で刺されたことによる失血死・・・」
と推測されたようじゃ・・・
そして恵子さんも強姦をされたような形跡があったようだが、体内からは犯人の物と思われる体液などは検出されなかった・・・
しかし、彼女の性器の内壁には剥離が見られ、そのことから犯人によって強姦、あるいは異物をもちいて陵辱されたものと推測された・・・
2人のリュックサックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビの束、財布が残されていたそうじゃ・・・
このことからも、おそらく2人はワラビ採りが終わったあと、正午頃に弁当を食べ、その後に犯人によって暴行の末に殺害されたものと推測されているようじゃ・・・
また胃の内容物である米粒、ノリなどの消化状態から食後1時間以内に殺害されたと見られ、その後に犯行時刻はおおむね午後13時半~14時の間と推測されたそうじゃ・・・
※この事件に関して、被害者2人の遺体のアキレス腱が切断されていたと言う話が一部にはありますが、当時の新聞や週刊誌などの記事を見ても、そのような事実があったと言う記述は一切ないため、おそらくこれは誤情報だと思われます。
それほど目立つ外傷があれば、警察の捜査ですぐに発見され発表されるでしょうし、アキレス腱切断が事実なら当時の新聞や週刊誌が書かないはずがないですしね(汗)
おそらく別事件の被害者と混同してしまった誰かが誤った情報として流してしまい、それが広がってしまったものと思われます。
2人には激しい暴行のあとがあり、明石英子さんに至ってはあばら骨が9本折れていた上に内臓も破裂していたと・・・
相当、激しい暴行だったみたいだね・・・
財布が残されていたってことは、犯人の目的は金銭ではなく強姦することだったって気もするけど・・・
それじゃあ殺害現場には、犯人に繋がりそうな何か有力な手がかりは残されていなかったのかなぁ?
【長岡京ワラビ採り殺人事件】殺害現場に残された痕跡・・・犯人のものと思われる体液に体毛・・・そして凶器・・・犯人に繋がりそうな手掛かりが残されてはいたが・・・
現場に残されていた犯人の痕跡は、それほど多くはなかったようだが、いくつか犯人に繋がりそうな手掛かりが残されていたようじゃぞい?!
ここから、その辺の殺害現場に残された痕跡について、伝えていこうかの!
まず殺された明石英子さんの体内に残されていた、犯人のものと思われる体液・・・
この体液はのちの警察の捜査によると・・・
「A型、またはO型の血液型の人物のもの・・・」
であることが判明したそうじゃ・・・
またもう1人の被害者、水野恵子さんの遺体からは体液ではないが、犯人のものと思われる体毛が発見されたようじゃ・・・
この体毛についても、のちに警察が捜査したところ、こちらは・・・
「O型の人物のもの・・・」
と判明したそうじゃ・・・
唯一、犯人の遺留品と思われるものは・・・
「水野恵子さんの胸に突き刺さっていた包丁・・・」
となるが、のちの警察の捜査によるとこの包丁は・・・
「ステンレス製、全長30センチ、刃渡り18センチ、最大幅4.5センチ、柄は茶色の木製・・・」
「岐阜県関市で製造された約7万本のうちの1本・・・」
であることが判明したそうじゃ・・・
警察の発表によると、この包丁は事件の数年前に製造中止になっていた型のようで、メーカーの刻印はなく、無銘のままアウトレット品として流通させられたものと推測されたようじゃ・・・
また、この包丁には刃に対して垂直方向に多数の傷が付いていたことから、付近でワラビやタケノコを取るために砂利や小石混じりの土中に横向きで突っ込む形で使用されていたのではないかとも推測されたようじゃ・・・
包丁から指紋は検出されず、どうやら犯人は水野恵子さんを殺害する際、軍手など何か手袋をはめて犯行に及んだものと推測されている・・・
また包丁の流通ルートの解明に期待がかけられたが、そこから犯人に繋がる手掛かりは得られなかったと言う・・・
殺害現場ではその後、何か足跡が残されていないかの捜査もおこなわれたようだが・・・
その結果、殺害現場付近に残された足跡の中から登山靴やレザーシューズの靴裏とは違い、溝も模様も無く、その場所での使用には不向きな靴の足跡が2つだけ発見されたそうじゃ・・・
この足跡は革靴の可能性が高いと推測されたようだが、これが犯人のものであるかどうかは解らず、靴のメーカーなどの特定にも至らなかったこともあり、結局、この靴跡からは犯人を特定することが出来なかったようじゃ・・・
犯人の血液型はA型あるいはO型の人物と判明したわけか~・・・
包丁のキズから犯行現場となった野山では、犯人もワラビやタケノコを採っていた可能性が高いと・・・
そうなると犯人は、この辺りの土地勘がある人物だった気もするねぇ・・・
靴跡に関しては何とも言えない感じだけど、革靴の可能性が高いって言うのは不可解だねぇ・・・
そんな靴で山道を歩くのは、大変そうな気がするけど・・・?
何だか、どんどん謎が深まる感じだけど、これ以外に何か有力な手掛かりになりそうなものはなかったのかなぁ?
【長岡京ワラビ採り殺人事件】現場に残された謎のメモ・・・被害者は殺される前、誰かに助けを求めようとしていたのだろうか・・・
実はの~・・・
殺害現場にはその後に様々な憶測を呼ぶことになる、ある奇妙なメモが残されており・・・
このメモには、こんなことが書かれていた・・・
『オワレている たすけて下さい この男の人わるい人』
下記の画像は、実際に事件現場に残されてたい奇妙なメモの現物じゃ・・・
その文字は「ひらがな」「カタカナ」「漢字」が混じっており、「たすけて」の「す」の文字は、最初に「く」と書かれた上に二重書きした上で、さらに横に「す」と書き加えていた・・・
そして字体がだいぶ乱れていることから、被害者が殺害直前にかなり切迫した状況で書いたものと警察は見ていたようじゃ・・・
メモの現物は殺された明石英子さんが履いていたジーンズの右ポケットの底から、くしゃくしゃに丸まった状態で発見されていたそうじゃ・・・
またメモに使用された紙は明石英子さんのパート先である「いずみや長岡店」で事件当日の2日前、5月21日付けで発行されたレシートの裏面を利用して書かれていた・・・
事件後におこなわれた筆跡鑑定の結果、これは明石英子さんの手によって書かれたものであることが判明しており、これにより、どうやら被害者の2人は殺害前に犯人に追われていたのだろうと推測されたようじゃ・・・
そして、この文字は鉛筆を使って書かれていたようだが、なぜか使用された鉛筆自体は見つからなかった・・・
そこで警察は遺体発見現場付近の表層にある土砂をふるいにかけ、鉛筆が落ちていないか探したようじゃ・・・
その結果、鉛筆本体は見つからなかったが、水野恵子さんの遺体発見場所から南に約17メートルの地点で、長さ約1センチほどの鉛筆の芯の部分を発見したと言う・・・
警察は当初、2人の主婦が同じ場所で、ほぼ同時に殺害されていると言う状況から、単独犯なのか複数犯なのかを決めかねていたと言うが、このメモが見つかったことにより・・・
「明石英子さんは助けを求めるメモを書く時間とすきがあった・・・」
と言う理由から、この事件は単独犯による犯行と断定したようじゃ・・・
さらに警察はメモの内容から2人の殺害の状況について、こんな見解を示したそうじゃ・・・
・メモ発見後、明石英子さんと水野恵子さんの殺害状況における警察の見解
犯人は一人で水野さんに包丁を突きつけ、次に明石さんに・・・
「逃げたら、こいつ(水野さん)を殺すぞ」
と脅しながら、水野さんに乱暴をして殺害・・・
この後、恐怖のあまり現場に座りこんでいた明石さんにも肋骨を9本も折るなどの暴行を加えた上、首を絞めて殺した・・・
引用:中日新聞紙面1979年5月28日(月)夕刊記事より
たしかにメモに書かれた内容から殺害の状況を推測すると、単独犯による犯行だったようにも感じるけど・・・
でも、たったひとつのメモだけで、警察は単独犯による犯行と断定しちゃって良かったのかな?
初動捜査の段階で単独犯と決めつけてしまうと、その後にグループや同僚など、何らかの繋がりがある複数の疑わしい人物が現れても見逃しちゃいそうな気もするけど、どうなんだろねぇ・・・?
逆にこの事件に関して、複数犯だった可能性を示唆するような情報はなかったのかなぁ?
実は事件が起こったのちには、警察のこの時の見解はおかしいと異論を唱える者もおり、どちらかと言えば複数犯の可能性の方が高いのではないかと言う意見も根強くあったりもするのじゃ・・・
その理由としては、それぞれの被害者から検出された犯人のものを思われる体液と体毛の血液型が、A型とO型の人物に分かれる可能性もあると言うこと・・・
そして何より、その後に殺害現場周辺で目撃された不審人物に関する情報の中に、複数人で行動していたと言うものが多くあったこと・・・
実際に疑わしい人物として、警察に取り調べを受けた者の中には事件当日に、その人物ともう1人、別の人間と複数で山に入っていったのを見たとの目撃証言もあり、そんなところから複数犯だった可能性の方が高いのではないかと言われているわけじゃ(汗)
それではここから、事件後に寄せられた、その辺の不審な人物に関する目撃情報についても伝えていこうと思うが・・・
今回は一旦、ここで切らせてもらい、それについてはまた次回、伝えていくぞい?!
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【長岡京ワラビ採り殺人事件1】残虐なる未解決暴行強姦殺人事件【序章】:あとがき
この『長岡京ワラビ採り殺人事件』はかなり謎だらけの事件だが・・・
現時点でもっとも不可解なのは・・・
「犯人は本当に単独犯なのか・・・?」
と言う点だと思うぞい?!(汗)
警察が単独犯と断定したのも、ちょっと解せない感じだし(汗)
とりあえず、もう少し詳しい情報を教えてよ!
まずは不審な人物の目撃情報からね!
わかっておる!
次回はその辺の情報について、じっくり説明していくからの!
次回も引き続き『長岡京ワラビ採り殺人事件』について記事にしていくよ!
事件直前に目撃された不審な人物とはいかなるものか?!
さらに事件後、警察による取り調べを受けた人物じゃなぜ疑わしいと思われたのか?!
これらの点についても、詳しく伝えていくよ!
と言うことで!
次回も絶対、見に来てくれよな!
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