世界の航空史上でも、まれに見る最悪の事故と言われた・・・
『日本航空123便墜落事故』
あなたは、この事故にまつわる恐ろしい都市伝説を知っているだろうか・・・
日本人ならば誰でも、一度は耳にしたことのある、この事故の原因・・・
それは最終的に航空機の後部圧力隔壁を接続している金属の疲労によって引き起こされたと結論づけられた・・・
しかし、それは表向きだけの話で実際には別の原因があったのでは?!とまことしやかに噂されています・・・
はたして?!それは真実なのか?!
それとも、ただの都市伝説なのか?!
日航機墜落事故の闇についての記事が始めての人は、第1回目の記事から見ていった方が解りやすいかも知れないぞい!
↓↓↓ 第1回目の記事はこちら! ↓↓↓
※WARNING※
※『日航機墜落事故の闇として噂される都市伝説』の記事は少々、長くなってしまうので複数回に分けてお送りしています。
これは第8回目の記事です。
※なお、途中でブラウザーのバックボタンを押すと、あなたの夢に悲しげに泣く仏さまが出て来て眠れぬ夜を過ごすことになりますので、ご注意ください。(適当)
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※なお、ややショッキングな画像も一部、含まれていますのでご注意ください。
【日航機墜落事故の闇8】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【推理・考察・後編】
と言う仮説の元に考察していった・・・
今回は、その最初の異常が発生した後に一体、何が起こっていたのか・・・?
日航機墜落事故の闇として語られる都市伝説の内容を続きから、振り返りながら考察していくぞい?!
また個人的に少々、不可解な点が残ると感じているアントヌーチ証言・・・
これが表に出て来た背景には何があるのか・・・?
その辺についての考察・・・
そして仮に事故の真相が隠蔽されたのだとすれば、そこには一体、どのような背景があり、またなぜそのようなことをしなければならなかったのか・・・?
その動機についても考察して見たいと思うぞい?!
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【日航機墜落事故の闇】異常事態発生後のJAL123便に一体、何が・・・?不審過ぎる国の対応から察するに・・やはり噂される疑惑は・・・
この日航機墜落事故の闇として語られる都市伝説の内容を振り返りながら、ひとつひとつ考察して見たいと思うぞい?!
まずJAL123便が相模湾上空で異常が発生し、コントロールを失いながら飛行したルートを確認しておこう・・・
【JAL123便墜落までの飛行ルート】
相模湾上空で最初の異常事態が発生した・・・
あくまでひとつの仮説に基づく推論ではあるが・・・
この異常が起こった原因はJAL123便が飛行していたルート付近で、航空自衛隊の訓練機が本来、訓練をおこなうべき空域から外れ、123便の飛行ルート付近で訓練を実施してしまったのではないか・・・?
その際、何らかのミスによって訓練機に装備されていた機銃、あるいはミサイルを発射してしまいJAL123便に当ててしまったのではないか・・・?
それにより123便は垂直尾翼や方向舵など機体後部のどこかに何らかのダメージを負ってしまい、コントロールを失うことになったのではないか・・・?
前回の記事では、このような仮説に至ったことを伝え、なぜそう思ったのか・・・
その理由についても伝えた・・・
まあ、この仮説には残念ながら明確な証拠があるわけではなく、また少々、情報が足りない部分や矛盾もあるため、あくまで推論の域を出ることが出来ず、おそらく違っている部分もあるとは思うがの~(汗)
まあ、とりあえず、それはそれとして続けていくが、その後、JAL123便はコントロールを失いながらも伊豆半島から駿河湾を抜けて、静岡県上空へと入っていく・・・
そして静岡上空を抜けて山梨へと入っていくわけだが、この静岡上空から山梨へと抜けていくまでの飛行時間は最初の異常が起こってからわずか10分・・・せいぜい15分ほどであった・・・
しかし、その程度のわずかな時間のあいだに早くも123便を追尾するかのように飛んでいたと言う、正体不明のジェット機2機が目撃されている・・・
この都市伝説では、この時に追尾していたジェット機2機は、そのまま墜落まで見届けた可能性が高いとも言われている・・・
そしてこの間、JAL123便が横田基地飛行場へ最接近した際には、この追尾していた正体不明のジェット機2機が同基地飛行場への緊急着陸を阻止して、わざと反対の方向へと誘導したのではないかと言う疑惑を持たれている・・・
この疑惑について実際、どうだったのか・・・?
ハッキリしたことは解らないと言うのが、正直なところじゃ・・・
しかし、すでに伝えている通り、この時点のボイスレコーダーの音声データを聞くと、あからさまに改ざんしたような痕跡があるように感じられる・・・
また肝心の部分については文章で説明されているだけで、実際にそれが本当なのかどうかを確認出来る、オリジナルの音声データの公開・・・
この公開をなぜか不可解なことに、事故調査委員会は頑ななまでに拒否し続けていた・・・
おおやけにはこの時、風の影響を受けたために、横田飛行場とは反対の方向へ流されてしまったのだろうと結論付けられたわけだが・・・
しかし、この時の風向きは南南西の風であった・・・
過去の気象データを確認して見ると、たしかに風向きは南南西であったのだから、それを考慮すれば横田基地方面・・・
少なくとも埼玉や栃木方面へ流されていなければ、おかしいことになってしまうからの~・・・
この指摘は、至極真っ当なものであると言わざるをえないだろうの~・・・
それにJAL123便が墜落するまでの間に辿った進路を確認した限りでは、123便はどう見ても横田基地方面へ向かい、そこへ着陸をしようとしていたとしか思えない飛び方をしている・・・
つまり、この時のJAL123便は風をも味方につけて横田基地飛行場へ緊急着陸し、助かると言う道へと向かいつつあったわけじゃ・・・
しかし、なぜか不可解なことに風向きに逆らってまで反対方向へと急旋回し、最後は御巣鷹山の尾根に墜落してしまった・・・
一体、なぜ横田基地飛行場への緊急着陸と言う選択肢を捨て、反対方向へ急旋回してしまったのか・・・?
そこに至るまでの音声データには明らかに改ざんの痕跡が見られ、しかも遺族が求めていたにも関わらず、最後までオリジナルの音声データを事故調査委員会は公表しようとしなかった・・・
これらの事実を考慮すると、何かを隠そうとしていたのは明らかではないかと思われる・・・
つまり追尾していた自衛隊機と見られるジェット機2機が横田基地飛行場への緊急着陸を阻止し、わざと御巣鷹山方面へ誘導したのではないかと言う疑惑も可能性としてはある得る気がするの~・・・
しかし、そうなると、そこまでして隠蔽しようとした理由は何だったのか・・・?
これはまた、のちほど詳しく考察していこうと思うが、この事故が起こった当時は中曽根康弘氏が首相を務める中曽根内閣が政権を担っていた・・・
この政権が当時、どのような政策を実施していたか・・・
またアメリカとの関係で何が起こっていたのか・・・?
この辺の経緯を考慮すると、もしも事故原因を作ったのが自衛隊だったのだとすれば、事実を隠蔽しようとしたのも頷ける話のような気がするの~・・・
次に墜落後に起こった出来事として、事故から約10年後に表に出て来たアントヌーチ証言・・・
この証言によれば、墜落から2時間後にはJAL123便がどこに墜ちたのか・・・
その正確な位置を特定することに成功していたと言う・・・
そして、その位置情報はすぐに日本側にも伝えられ、驚くべきことにアントヌーチ氏は日本側の救難機も墜落現場上空に到着していたと証言していた・・・
これが事実だとすれば、墜落現場の発見が困難を極めることなどあり得ない・・・
それを言い訳として救助開始が翌日の朝に、ずれ込んでしまったと言う話もまったくのデタラメ・・・
完全な嘘と言うことになる・・・
これはすなわち、この日航機墜落事故の闇として語られる都市伝説で噂されている通り、追尾していたと言うジェット機2機が横田基地飛行場への緊急着陸を阻止したのち、わざと御巣鷹山方面へ誘導・・・
墜落するのを確認していた可能性も出て来ることを意味する・・・
さらにわざと墜落現場が発見できないかのように偽装し、その間、証拠隠滅を図っていたと言う可能性も大いにあり得る気がするぞい・・・
これってアントヌーチ証言が事実ならって、前提での話だよねぇ?
そうなると気になるのが、そもそもアントヌーチ証言には、どこまで信憑性があるのかって部分だと思うけど?
この証言の信憑性自体が疑わしいのであれば、そもそもこの部分に関する疑惑そのものの前提が崩れてくると思うんだけど・・・?
その辺、どうなのかなぁ?
前に少し触れた時には、この証言には信憑性があるのではないかって話だったけど、本当にアントヌーチ証言には信憑性があるのかなぁ?
【日航機墜落事故の闇】考察・アントヌーチ証言に信憑性はあるのか・・ないのか・・・?
そうじゃの~・・・
それでは改めて今一度、その辺について考察してみたいと思うが・・・
結論から言ってしまえば、やはりこのアントヌーチ証言には信憑性があるのではないかと感じているぞい!
なぜ信憑性があると思ったのか・・・
ここから、その辺の理由について伝えていこうと思うぞい?!
まず、このアントヌーチ証言が掲載されていた新聞・・・
スターズ・アンド・ストライプス紙・・・
調べてみると、この新聞の編集権は一応、独立はしているが、基本的にはアメリカ国防省内で運営されている新聞じゃ・・・
このことは動画版の方ですでに伝えていることだが、これはつまり見方を変えれば、アメリカ政府の管轄下にある新聞紙面に証言が掲載されていたと言うことじゃ・・・
このアントヌーチ証言が、どこぞの民間紙面やタブロイド紙、あるいはゴシップ紙など、一般向けに書かれた大衆紙や雑誌に掲載されていただけと言うのであれば、その信憑性を疑わしくも感じてしまうところじゃ・・・
しかし証言が掲載されたのは、ある意味、アメリカ政府の監督下にあると思われる新聞紙面じゃ・・・
そのようなところにまったくのデタラメな内容が掲載されるとは、どうにも思えないわけじゃ・・・
当然、記事が掲載される前には当時の米軍上層部、少なくとも幹部クラスの人間の何人かは内容を事前に把握していたのではないかとも思えるしの~・・・
そんな新聞紙面にまったくの事実無根であるにも関わらず、アントヌーチ氏の証言が掲載されたとなれば最悪は外交問題にも発展しかねない・・・
アメリカ側に日本との関係を悪化させようと言うような思惑でもない限り、まったくのデタラメなのであれば正式に否定する発表のひとつも出そうなものじゃ・・・
しかし、公式にそのような証言を否定する発表は一切、なされていないようじゃ・・・
それに日本側としてもアメリカ政府の管轄下にあると言う見方も出来る新聞紙面に、まったくの事実無根の内容が掲載されたのであれば、そちらについても正式に外交ルートを通じて、抗議のひとつもするのではないかと思われる・・・
しかし、そのような抗議がなされたと言うような事実は、どうやら無いようじゃ・・・
しかも、おかしなことにこの証言に関して、日本側は・・・
「アントヌーチ証言が事実だとは認識していない・・・」
「(事故当日)アメリカ側の航空機が墜落現場上空にいたことも確認していない・・・」
などと言う、実に曖昧な物言いをしていたようじゃ・・・
これも何やらおかしな感じがする・・・
つまり、もしもまったくの事実無根なのであれば、もっとハッキリと否定するのではないかとも思うわけじゃ・・・
その当時から普通にレーダーと言うものが存在していたわけだからの~・・・
実際にアントヌーチ氏の乗った米空軍輸送機が事故当日、墜落現場上空にいたかいなかったくらいは把握出来ていたはず・・・
それであれば、もっとハッキリとアントヌーチ証言にあるような米空軍輸送機など、事故の当日には存在していなかったと証拠を付けた上で、明確に否定することも出来たはずじゃ・・・
しかし、奇妙なことにそれが事実かどうかすら曖昧なまま、認識していないだの確認していないだのと、まるで否定も肯定もせずに言い逃れているとも思える物言いをするにとどまっている・・・
確認していないなら、さっさと確認すれば良いだけの話だと思うのじゃがの~(汗)
こうなってくると、ますます疑念が深まらざるを得なくなってくる・・・
つまり、実はこの証言が事実であることを日本側も知っていたが、ハッキリと肯定してしまえば、そのことを発端として自分たちが捏造した嘘がおおやけになってしまうかも知れない・・・
少なくとも、激しい批判に晒されることは免れない・・・
とは言えハッキリと否定してしまえば、もしも万が一、事実であることが発覚した場合、完全に嘘をついていたことになり言い逃れることが出来なくなってしまう・・・
だから、こんな歯切れの悪い言い逃れをしたのではないかと言うわけじゃな(汗)
そして、これはのちほど詳しく伝えるが、もしかしたらアメリカ側も実は事故の真相を知っていたのではないかとも感じるしの~・・・
場合によっては、そのアメリカ側から証拠と共に真実が暴露されるかも知れない・・・
だからこのような肯定しているわけではないが、ハッキリと否定もしないと言うような曖昧な物言いをして逃げたのではないかと言う疑いも出て来る気がするの~・・・
さらに過去にアントヌーチ証言に関するニュースを扱った番組の映像を見ると、そこではなんとアントヌーチ氏のみならず、彼が乗っていたC-130輸送機の機長だったと言うジョン・グリフィン氏と副操縦士だったと言うゲーリー・ブレイ氏・・・
この2人の人物もインタビューに答え、アントヌーチ証言が事実である旨の内容を語っている・・・
下記の画像に写る人物がジョン・グリフィン氏とゲーリー・ブレイ氏、本人じゃ・・・
【ジョン・グリフィン氏】
【ゲーリー・ブレイ氏】
そんな彼らが果たして、おおやけに多くの人が見るであろうことが明らかなテレビ番組のインタビューで、まったく事実無根な内容を答えるものだろうか・・・?
単に元米軍関係者と言うことならば、もしかしたら何かしらの思惑・・・
たとえば、まあどことは言わないが、自衛隊の存在は憲法に違反していると主張する政党や団体などから、裏でそれなりに高額な謝礼をもらって嘘の証言をしたと言った可能性も考えられる・・・
しかし、インタビューに答えた当時、現役の米軍関係者であった彼らまでもが自らの職場・・・つまり米軍・・・
下手をするとアメリカ政府まで巻き込んだ外交問題にまで発展しかねないような内容で、まったくの事実無根な嘘をつくものなのか・・・
問題が大きくなれば、場合によっては犯罪者として裁かれてしまう可能性もある・・・
そんなリスクを犯してまで、たかが金のために彼らが嘘をついたとは思えない・・・
そしてこれはアントヌーチ証言の信憑性について語られる際に、多くの人が指摘している点だが・・・
この日航機墜落事故の生存者が残した手記の内容と、アントヌーチ氏の証言で語られる墜落時の状況が矛盾なく一致していると言う事実もある・・・
アントヌーチ証言では墜落後、C-130輸送機の搭乗員たちはJAL123便がどこに墜落したのかを特定し、その後、米軍の救難ヘリをその地点まで誘導することに成功していたと述べている・・・
さらにその救難ヘリは現場上空でホバリングし、2人の乗員をホイスト(ウインチで吊り下げ)で地上に降ろすつもりでおり、あとは司令部からの降下許可を受け次第、救助を開始するだけと言う段階まできていたと言う・・・
しかし、その後、無情にも司令部から・・・
「ただちに基地へ帰還せよ」
「日本側が向かっている」
と言う命令を受けてしまい、やむなく基地に帰還したと証言している・・・
そして生存者のひとりである川上慶子さんは、墜落時の様子を次のように証言している・・・
・事故の生存者・川上慶子さんの証言、一部抜粋
墜落した時は、大分多くの人が生きてはって、お父さんも咲子ちゃん(妹)も未だ生きてて、お話しててね。
あっちでもこっちでも、がやがやと話し声が聞こえて来て・・・
(残骸から)抜け出そうとして動くと足が痛くなる。
そう言うたらお父さんは動かん様になった。
段々動かなく、物を言わない様になった。
咲子ちゃんも吐いた物が喉に詰まる様な感じになった。
『お婆ちゃんと、又皆で元気に仲良く暮らそうな』と言ってあげたけど、げえげえと言い出したと思ったら静かになって、咲子ちゃんも死んだみたいやと・・・
廻りで皆が話してはった声も、段々聞こえなくなって・・・
(暗闇の中)ヘリコプターの音が聞こえて来て、赤い明かりも見えて、真上迄来て止まってホバリングみたいにして・・・
『ああーこれで助かるわ。』って皆で言ってたら、ヘリは引き返した。
『これで場所が判ったから、又皆で沢山、来て助けてくれる』と話したけど、それきりで来ん様になった。
その内、皆話さなくなった・・・
引用:週刊朝日2005年7月15日号、記事「育ての母が語った 川上慶子さん その後の人生」(幸せを掴んだ川上慶子さん)より
・事故の生存者・落合由美さんの証言、一部抜粋
やがて真暗な中に、ヘリコプターの音が聞こえました。
あかりは見えないのですが、音ははっきり聞こえていました。
それもすぐ近くです。
これで助かると、私は夢中で右手を伸ばし振りました。
けれど、ヘリコプターはだんだん遠くへ行ってしまうんです。
帰っちゃいやって、一生懸命振りました。
「助けて」「だれか来て」と、声も出したと思います。
ああ、帰って行く・・・
このときもまだ、何人もの荒い息遣いが聞こえていたのです。
しかし、男の子や若い女の人の声は、もう聞こえてはいませんでした。
引用:吉岡忍著『墜落の夏―日航123便事故全記録 』(新潮文庫)より
そして川上慶子さんと落合由美さん、2人の生存者の証言内容を比べて見てどう思うかの~・・・
生存者の川上慶子さんは暗闇の中で、ヘリコプターが真上まで来てホバリングしていたと証言している・・・
同じくもう1人の生存者、落合由美さんも同様に、真暗な中にヘリコプターの音が聞こえ、すぐ近くまで来ていたと証言している・・・
アントヌーチ氏の証言でも現場まで誘導した米軍の救難ヘリが、墜落現場の地上付近まで降下した地点でホバリングし、救助しようとしていたと証言している・・・
つまり、これらの証言を比べて見るとアントヌーチ氏と生存者の川上慶子さん、そして落合由美さんの証言・・・
この3人の証言でなされた墜落現場の状況は、まったく矛盾なくピタリと一致していると言うわけじゃ・・・
これはかなり極めつけだと思うが、ここまで矛盾なく証言の内容が一致していると言う事実を鑑みるに、やはりアントヌーチ証言で語られている内容には信憑性があるのではないかと思わざるをえなくなる・・・
ここで、まとめて見たいと思うが・・・
アントヌーチ証言がアメリカ政府の管轄下にあると言う見方も出来る、新聞の紙面に掲載されていたと言う事実・・・
さらに新聞に掲載された内容を否定すらしなかった、米軍やアメリカ政府・・・
それはおろか日本側ですら、抗議のひとつもおこなっていないと言う事実・・・
そして日本側の肯定はしないまでも、明確に否定しているとは言えない不可解な物言いの仕方・・・
さらに証言をしたアントヌーチ氏のみならず当時、現役の米軍関係者であったジョン・グリフィン氏やゲーリー・ブレイ氏までもが、アントヌーチ証言が本当のことであると言う旨をテレビ番組のインタビューで答えていたと言う事実・・・
極めつけは生存者、川上慶子さんと落合由美さんの証言で語られた墜落時の状況・・・
この状況とアントヌーチ氏の証言で語られる墜落時の状況が、まるでその内容を裏付けるかのように矛盾なくピタリと一致していると言う事実・・・
このような様々な事実を鑑みるに、やはりこのアントヌーチ証言には信憑性があるのではないかと思えて来る・・・
これはたしかに、信憑性があると判断せざるをえなくなるねぇ(汗)
特に最後の生存者、川上慶子さんと落合由美さんの証言・・・
この生存者2人の証言がアントヌーチ証言と矛盾なく、内容的に一致しているとなると・・・
やはりアントヌーチ証言で語られる内容は、実際に起こっていた真実だったのではないかって気もするね~・・・
でもさ~・・・
ちょっと疑問なんだけど、何でアントヌーチ証言は日航機墜落事故が起こってから約10年も経過してから表に出て来たのかなぁ?
もう少し早く証言しても、良かったんじゃないかなぁって気もするけど・・・?
【日航機墜落事故の闇】考察・アントヌーチ証言公表のタイミング・・・それは反米左派政権が誕生したまさにその時であった・・・
そうじゃの~・・・
たしかにワシも、それについてはなぜなのだろうと疑問を感じる点じゃった・・・
まあ普通に考えれば、米軍の上層部に他言無用との命令を受けていたわけだから、おいそれとは公表出来なかったとは思うがの~・・・
となると、所属していた米軍を除隊したタイミングで公表したのではないかとも考えられる・・・
しかしいくら辞めたとは言え、これだけの衝撃的な内容の証言をおいそれとは話せないのではないかとも思える・・・
守秘義務のようなものもあるかも知れないしの~(汗)
下手をすると口止めされていた秘密を暴露したことで、何らかのペナルティーをアントヌーチ氏自身が受けてしまう可能性もある・・・
にも関わらず彼は、そのようなリスクを犯してまで自らの体験を証言した・・・
その結果、この日航機墜落事故には何か隠された闇があるであろうことが、ますます疑われる結果になったわけだが・・・
ここで関係はないかも知れないが、少し気になる点がある・・・
その気になる点とは・・・
『アントヌーチ証言が表に出て来た1995年当時は、日本社会党のトップである村山富市氏が首相を務める村山内閣が政権を取っていた時代であった・・・』
と言う点じゃ・・・
そして、このことがもしかしたらアンヌーチ証言が表に出て来たことの背景と、何か繋がりがあるのではないかと邪推してしまったぞい(汗)
一体、どう言うことなのか・・・?
ここから、その辺のアンヌーチ証言が表に出てきたタイミング・・・
その背景について少々、ぶっ飛んだ感じの推理ではあるが伝えてみたいと思うぞい?!
まず、この村山内閣と言うのが、どう言った政権だったのか・・・?
それについて簡単に説明するところから始めていこうかの~・・・
この村山内閣はアントヌーチ証言がなされる前年の1994年6月30日、その前の羽田孜氏が首相を務める内閣が総辞職し、その後紆余曲折の末に当時、野党の立場に甘んじていた自民党と、それまでの政権与党ではあったが、そことはやや距離を取っていた感のある新党さきがけ、そして日本社会党が連立を組み、その後、社会党のトップであった村山富市氏が首相に就任したことで誕生した内閣じゃ・・・
この連立政権3党の内のひとつである日本社会党と言うのは、それまでかなり強硬な反米姿勢を取っており、また日米安保についても強行に反対の立場を取っていた政党でもあったようじゃ・・・
また自民・さきがけ・社会の3党連立政権が成立していく過程では『護憲リベラルの会』と言う、社会党はもちろんのこと自民党内からも、かなり左翼的な政治家らが参加する会が後押しをしていたという経緯もあると言う・・・
そして最終的に出来上がったのが、超リベラル思考の反米左派政権と言うわけじゃな(汗)
これはアメリカに取ってみれば、実に都合の悪い思想を持った政権であったとも言われていたようで、この村山内閣の時代には、なんと一度もアメリカの大統領が日本に訪問することはなかったそうじゃ・・・
そんな反米・反安保の社会党が加わっていた、だいぶ左寄りの村山政権だったわけだが・・・
ここで支持者・・・
特に社会党支持者たちが当初、予想もしていなかったことが、この政権発足後に突然起こっていたようじゃ・・・
その予想もしていなかったこととは・・・
驚くべきことに、なぜかこれまで取ってきた反安保・反米の姿勢を社会党が180度転換させていたことじゃ・・・
そのことから村山内閣は後世、戦後の55年体制下で続いてきた保守と革新の対立、いわゆる保革対立に終止符を打った政権だったとも言われている・・・
また、これに関して読売新聞の代表を務める渡邉恒雄氏、通称:ナベツネ氏は2000年に・・・
「よい意味で進歩的内閣で、社会党の反安保・反米、国歌・国旗反対を潰して、国論統一の幅をぐんと広げてくれたことが最大の功績・・・」
と、村山富市氏とその内閣を称している・・・
社会党の中ではこれらの反米姿勢を転換したことについて、内部からかなり反発の声が上がっていたと言う・・・
しかし、この反米思想を捨てた社会党の劇的な方針転換により、村山氏が首相の座を退いた後も自民・さきがけ・社会の3党連立政権の枠組みは、しばらく維持されることにもなったようじゃ・・・
ここで不思議なのは一体、なぜ当時の社会党トップであった村山氏が突然、これまで貫いていた反安保・反米の姿勢を捨て、アメリカに対する態度を軟化させたのか・・・?
これには少々、謎が残る感じだが、ここで少しぶっ飛んだ推理をして見ると・・・
これはもしかしたら、このアントヌーチ証言は、それまで反米的な態度を取っていた社会党、そのトップにいた村山氏が総理になったことで危機感を覚えたアメリカ側が、ひとつの圧力の手段として、この日航機墜落事故の真相暴露をちらつかせたのではないか・・・?
その最初の揺さぶりとしてアントヌーチ証言は、当時のアメリカ政府の画策により、わざと表に出されたのではないか・・・?
つまり日本の反米政権誕生に危機感を覚えたアメリカ側が・・・
「日本が反米的な政策を打ち出し、日米安保をも破棄するような動きに出たら、お前たちが隠蔽した日航機墜落事故の真相を暴露するぞ・・・」
と言う脅しの意味で、わざとアントヌーチ証言を表に出したのではないかと言うわけじゃ・・・
もちろんトップである村山富市氏によって、社会党がこれまで掲げていた反米・反安保の姿勢を転換させた背景には、政権内で連立を組んでいた自民党親米派からの説得などもあったとは思うがの~・・・
しかし、それにしてもこれほどの急激な方針転換は、どうにも不自然な感じもする・・・
この背景には何か、自民・さきがけ・社会の3党が連立して運営される政権が、一気に吹き飛んでしまうほどのスキャンダルのようなものが、ウィークポイントとして裏にあったのではないかとも感じる・・・
そのウィークポイントと言うのが、日航機墜落事故の真相暴露であったとしたら・・・?
アントヌーチ証言が表に出て来たタイミング・・・
それはこれまで反米・反安保の姿勢を貫いていた日本社会党のトップである村山富市氏が首相を務める、村山内閣が政権を取っていた時期であったと言う事実・・・
そして、この村山内閣では、それまで強行に貫いてきた反米姿勢を、社会党内では激しい反発があったにも関わらず、急激な転換をさせていたと言う事実・・・
これらの事実がアンヌーチ証言が表に出て来た背景に、何やら関係があるのではないかと言う気もするわけだが・・・
どうじゃろうの~?
まあ、もちろん単に考えすぎなだけで、まったく関係がないかも知れないがの~(汗)
いかにも怪しげな感じの陰謀論だけど・・・
反米思想だった政党のトップが君臨する政権が権力を握っていたタイミングで、アントヌーチ証言が出て来たと言うのは、たしかに少し気になる感じだねぇ(汗)
しかも、なぜか今まで貫いてきた反米姿勢を転換し突然、アメリカに対する態度を軟化させたと・・・
これはいかにも、何かありそうな感じがしないでもないねぇ(汗)
まあ、何とも言えないけどね・・・
それじゃあさあ、そもそもこの日航機墜落事故の原因が、この都市伝説で疑惑を持たれている通り、仮に自衛隊にあったとした場合、何で隠蔽しようってことになったのかなぁ?
素直に公表すれば、今にいたるまで疑惑が持たれ続けることもなかったはずだよねぇ?
もしも隠蔽がおこなわれたのだとしたら、その背景には一体、どう言う事情があったのかなぁ?
【日航機墜落事故の闇】考察・なぜ事実が隠されなければならなかったのか?その背景や動機とは一体・・・?
そうじゃの~・・・
これは様々な人が憶測として良く語っている話だが、隠蔽をおこなわなければならなかった背景には、おそらく1985年当時に政権を握っていた中曽根康弘氏が首相を務める中曽根内閣の思惑があったのではないかと言われているぞい?!
そしてワシの方でも、なぜ隠蔽などがおこなわれたのか・・・?
その動機や背景を考察して見たのだが、やはりこの中曽根内閣が目指した当時の政策に深く関わりがあるのではないかと言う結論にいたった・・・
動機として考えられるものが、他には見当たらないしの~(汗)
とりあえず、ここから仮にJAL123便墜落の原因に自衛隊が関わっていたとした場合、一体、なぜ隠蔽がなされることになったのか・・・?
その動機について、考察した結果を伝えていきたいと思うぞい?!
まず日航機墜落事故が起こった1985年当時、政権を握っていた中曽根内閣が、どのようなものであったのかを簡単に伝えておこう・・・
この中曽根内閣は1982年11月、それまで続いていた鈴木善幸首相率いる内閣が退陣後に、時の実力者田中角栄氏などの後押しもあり、自民党員による総裁予備選挙において圧倒的な得票を得た、中曽根康弘氏が自民党総裁の地位を獲得・・・
その後、第71代内閣総理大臣に彼が就任することで誕生した内閣じゃ・・・
「行政改革の推進」と「戦後政治の総決算」を掲げトップに上り詰めた中曽根氏は最終的に1987年まで首相の座に在任し、その在任期間は歴代第7位と言う長期政権となった・・・
そして、これは仮に日航機墜落事故において隠蔽がおこなわれたとした場合、なぜそのようなことをしたのか・・・?
その動機とも繋がってくる点だが、中曽根氏が首相在任中におこなった功績のひとつには、アメリカとの関係を大幅に好転させたと言う点が挙げられる・・・
実は中曽根内閣が発足した1982年当時の日米関係は、最悪と呼べる状態だったと言う・・・
この時代はソ連、現在のロシアが大陸間弾道ミサイルをヨーロッパに配備し、それに対抗する形でアメリカも同じくミサイル配備を計画するなどしており、いわゆる東側諸国と西側諸国が争う東西の冷戦構造が一段と厳しさを増していた時期でもあったようじゃ・・・
このようなまさに一触即発の事態にもなりかねない世界情勢の中で、西側の首脳達は厳しい外交の舵取りを行っていたそうじゃ・・・
そんな中、時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン氏は、この情勢においてアジアが全く軍事的に無防備であることを指摘・・・
それを念頭において、1981年・・・
中曽根氏の前の首相である鈴木善幸氏と共におこなった日米共同声明の中で・・・
「日米で価値観を一体にして防衛にあたる」
と宣言したようじゃ・・・
しかし、この宣言がおこなわれた直後、共同声明を出した一方の当事者である鈴木善幸氏は・・・
「日米安保条約には軍事的協力は含まれない・・・」
「日米同盟に軍事的側面はない・・・」
などと発言し、アメリカとの共同声明に対する不満を表明してしまった・・・
さらに鈴木善幸内閣で防衛庁長官であった大村襄治氏がアメリカのワシントンで、当時の米国防長官ワインバーガー氏と会談した際に・・・
「武器技術供与に関して、日本が定める同盟国に対しての『武器輸出三原則』の枠外にアメリカをおいてほしい・・・」
と頼まれた件に対して、鈴木善幸首相は具体的な対応をまるでしなかった・・・
そのこともあり、この当時のアメリカは日本に対して激怒していたと言う・・・
まあ、これに関してはアメリカが怒るのも当然、だろうの~(汗)
東西冷戦構造の中で危機が大幅に高まっている最中に、解りやすく言えば・・・
「日本はいざとなったらアメリカ人の血を流すことになっても助けて欲しいが、(金は払うが)自分では何もせず血も流しません・・・」
と宣言しているようなものだからの~(汗)
そんな自分に都合の良いことばかり言っていれば、相手が怒るのも当然じゃ(汗)
まあ、そんな感じで中曽根内閣が発足した当初の1982年当時、日本とアメリカの関係は、まさに最悪と呼べる状態となっていたわけじゃ・・・
しかし、その後、中曽根康弘氏が首相となり発足した、中曽根内閣に政権が移ったのちには、最悪だった日米関係は大きく好転することになった・・・
彼は内閣発足後の1983年1月に予定されていた訪米に先立ち、アメリカが執心していた日本の防衛費増加と対米武器技術供与の問題・・・
これらの問題を中曽根氏の判断で、反対の声をあげていた旧大蔵省や法制局の意向を押し切って承諾させ、半ば強引にこの問題に決着をつけた・・・
この成果を手土産に、中曽根氏は首相になって初めての訪米に赴いたわけだが・・・
彼がアメリカを訪れた際には・・・
「日米は運命共同体・・・」
「日本列島不沈空母化・・・」
「三海峡(千島・津軽・対馬)封鎖・・・」
などなどの発言をした・・・
これらの発言の裏には要するに日米の安全保障体制の強化を目的として、それを実現するために防衛費の増加など、数々の防衛力強化政策の実行を約束していたことが背景にあったものと思われる・・・
そして一連の日本の防衛力強化政策の仕上げとなったのは、日航機墜落事故後の1987年度の予算審議・・・
そこで中曽根内閣は「防衛費1%枠」の撤廃をおこなった・・・
これにより1974年の三木内閣以来、これまで定められていた・・・
「防衛費予算計上額は、日本の国民総生産の1%以内にとどめる・・・」
とする方針を放棄することになった・・・
この決定によって日本政府は、より積極的な防衛政策の立案が可能となり、米軍との協力関係はさらに緊密となった・・・
そして、これら数々の防衛力強化政策を実現したことで、日本はアメリカとの信頼関係を取り戻し、中曽根氏は当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガン氏との間で『ロン・ヤス』と愛称で呼び合うほど、個人的にも親密な関係を築くことに成功した・・・
これについては米国への隷従の強化と取る向きも、当時はあったようで・・・
『ヤスはロンの使い走りだ・・・」
と批判されることもあったようだが、おおむね世間からの評判は良かったようじゃ・・・
とまあ、こんな感じで日航機墜落事故当時、政権を担っていた中曽根内閣で起こっていた、当時の外交や防衛政策の状況を伝えたわけだが・・・
ここまで聞いて、勘の良い人はすでに気付いたと思う・・・
つまり日航機墜落事故の真相を隠蔽した、その理由・・・動機は・・・
「当時の中曽根内閣で目指していた、一連の防衛力強化政策を実現するためだったのではないか・・・?」
と言うわけじゃ・・・(汗)
当時は今とは違い、インターネットもない時代・・・
そんな時代の自衛隊は・・・
「戦前の日本の軍国主義を再来させる存在だ!」
「平和国家である日本が、自衛隊などと言う軍事力を持つ意味があるはずがない・・・」
「自衛隊の存在は、平和を実現してきた憲法第9条に違反している・・・」
「自衛隊みたいなものがあるから、近隣諸国との軋轢を生んでしまうのだ!」
などなど、その存在を批判する声も大きく、人によっては自衛隊の存在そのものを嫌悪する者も少なくなかったようじゃ・・・
さすがにこれらの考え方は少々、現実が見えていないのではないかとも感じるが、どうやら日航機墜落事故が起こった当時は、このような考え方がまだまだ強く残っていた時代だったと言う・・・
そんな時代に、もしも520名と言う大量の人間が犠牲となった最悪の航空事故の原因を作ったのが、自衛隊であったとしたらどうなるか・・・?
当然、自衛隊は世論からの激しい批判に晒されることになり、当時の中曽根内閣で目指していた一連の防衛力強化政策など実現するはずもなく、頓挫することになる・・・
そうなればアメリカとの関係も悪くなり、東西冷戦構造の中において危機が高まる状況で、いざ何かあった際には助けてもらうことも出来ず、日本が危機的な状況に陥る可能性も出て来る・・・
だから当時の中曽根内閣では一連の防衛力強化政策実現のために自衛隊をかばい、日航機墜落事故の真相を隠蔽したのではないかと言うわけじゃな(汗)
これはたしかに隠蔽をおこなう動機として、十分、考えられる感じがするねぇ(汗)
当時、日本とアメリカの関係は最悪だった・・・
その関係を改善させるため・・・
そして東西冷戦構造の中において、危機が高まる状況に備える必要性から、中曽根内閣では一連の防衛力強化政策を実現する必要があった・・・
そんな中、起こった日航機墜落事故の原因が、もしも自衛隊による何らかのミスにあったとすれば・・・
たしかに激しい批判に自衛隊は晒されてしまいだろうし・・・
そうなれば防衛力の強化を目的とした、政策の実現など出来る気がしないねぇ(汗)
それじゃあ、とりあえず動機はそれだったとして、この日航機墜落事故に関する疑惑の真相が明らかになる日はやってくるのかなぁ?
それとどうも聞いてると、この話には否定派と肯定派が存在しているようだけども、最終的に彼らの論争に決着が付く日は来るのかなぁ?
【日航機墜落事故の闇】考察・真相が明らかになる日は訪れるのか?長らく続く否定派肯定派の論争に決着が付く日は来るのか・・・?
そうじゃの~(汗)
結論から言ってしまうと、残念ながらこの問題が解決するのはかなり難しいのではないかと思うの~・・・
そして実はこの都市伝説で語られる疑惑は、何十年も前から否定派と肯定派の間で激しい論争が巻き起こっていたりもするわけだが・・・
この論争に決着が付くこともない気がするぞい(汗)
少々、被害者遺族の方々には残酷かも知れないが、ここからなぜ解決が難しいのか・・・
その理由について、伝えていこうと思うぞい・・・
まず事故の被害者遺族を含めた一部の人たちは、どうやら事故原因について再調査がおこなわれることを今も望んでいるようじゃ・・・
しかし仮に再調査が実施されたとしても、その調査が国主導であったとすれば、おおやけに結論付けられている後部圧力隔壁破壊説を補完するものにしかならないものと思われるぞい(汗)
つまり事故原因はあくまで修理ミスによる後部圧力隔壁の破壊にあったのだと言うことを、言葉巧みに説得しようとしているだけの再調査報告書しか挙がっては来ないだろうと言うことじゃ・・・
実はこの日航機墜落事故に関して、民主党政権だった時代に再調査とまではいかないようだが、過去の事故報告書について再度洗い直しがおこなわれたことがあったようじゃ・・・
その際に『日本航空123便の御巣鷹山墜落事故に係る航空事故調査報告書についての解説』と言う文章が作成されたのだが、その中身は酷いもので、これまで揉めに揉めていた矛盾点に対する指摘をまるで解消しようとする意思が感じられないものだった・・・
たとえば、JAL123便の機内で急減圧が起こったとする事故報告書の内容には矛盾があると言う指摘・・・
もしも機内で急減圧が起こっていたのであれば、急激な気圧の低下から耳に激痛が走ったり、機内に強い風が流れ込んで来たり、濃い霧が発生し続ける、さらには急激な気温の低下も見られるはずだと指摘されている・・・
しかし、残されたボイスレコーダーの音声データや機内を撮影した写真、さらに生存者の証言などから推察するにJAL123便の機内で急減圧が起こっていたとは思えない・・・
その点の矛盾を指摘されているわけだが、それに対して、国は新たに作ったこの解説書で2009年に米国のサウスウエスト航空が引き起こした客室の天井に約0.135㎡の穴が空いてしまった事故を例に挙げて・・・
「急減圧が起こっていたとしても、耳に激痛が走ることはない・・・」
「強い風が流れ込むこともなく、風を感じることもない・・・」
「霧が発生したとしても、ほんの数分程度で収まるのだ・・・」
「気温についても、やや冷える程度である・・・」
「だからJAL123便で起こっていた状況と事故調査報告書に記載される後部圧力隔壁破壊説で想定される状況に、矛盾する点などないのだ!」
と言う感じの解説がなされていた・・・
これはまったくバカにしていると言うか、何というか(汗)
この解説書を作成した人物は、少しバカなのではないかと思ってしまったぞい(汗)
と言うのも、そもそも日航機墜落事故と天井に0.135㎡程度の小さな穴が空いただけの事故とを比較する時点で間違っているとしか思えない状態だからじゃ(汗)
そりゃあ、0.135㎡程度の小さな穴が空いただけなのであれば、機内で一瞬急減圧が起こっていたとしても、そこまで風も強くならず、耳の激痛もおこならず、霧が発生したとしてもすぐに収まり、気温の低下もそれほどでもないだろう・・・
航空機には一応、機内の気圧を一定に保つための装置も付いており、またエアコンもついているわけだからの~(汗)
なので小さな穴が空いた程度なら、解説書でなされた主張にも当てはまるだろう・・・
しかしJAL123便で、もしも機体後部の垂直尾翼や方向舵を一気に吹き飛ばしてしまうレベルの大きな破損が後部圧力隔壁に起こっていたのであれば、穴の大きさがたったの0.135㎡で済むはずがない(汗)
それこそ後部圧力隔壁全体、少なくとも半分が吹き飛ぶくらいの勢いがなければ、とても垂直尾翼や方向舵までをも破壊することは出来ないだろう(汗)
つまり機体に空いた穴の大きさは、もっと巨大なものなっていなければ、おかしいことになると言うわけじゃ(汗)
そんなことは少し考えれば、素人でもすぐに察しが付くと思うが、そう言ったことすらも出来ない、レベルの低い人物が文章を作成しているわけじゃ・・・
被害者遺族に対して、こんな愚かでバカな文章を提出してしまうところから察するに、国はこの問題について本気で取り組む気などないことが解る(汗)
なので仮に努力を重ねて国を動かし、再調査実施までこぎ着けたとしても、また、人をバカにしたような論法で過去の事故調査報告書の内容・・・
つまり事故原因は、あくまで後部圧力隔壁の破損によるものだと言う主張がなされるだけの報告書が、ロクに再調査されることもなく作られるのみで終わるだろうと言うわけじゃ(汗)
そうなると民間レベルでの独自の再調査を実施するしかなくなるわけだが、それは経済的な面などから見て、とても厳しいイバラの道となるだろう・・・
相模湾に沈んだJAL123便機体後部の遺物を引き揚げるだけでも、おそらく数千万・・・
下手をすると数億円規模の費用が掛かるかも知れない・・・
それだけの費用を捻出するだけでも、かなり難しいと思われる・・・
また暴挙とも思える国の決定によって、それまで保管されていた日航機墜落事故の遺物や残されたボイスレコーダー音声データなどは、すべて廃棄処分されている・・・
これはつまり事故原因がこれであると証明するための証拠が、すべて失われていることを意味する・・・
こうなると仮にかなり疑わしい有力な事故原因を特定出来たとしても、それを証明するだけの証拠が揃わないため、結局は憶測の域を出ることが出来なくなってしまう・・・
もちろん国が、その事故原因を認めることもないだろう・・・
これらのことから仮に裁判を起こしたとしても、敗訴する可能性の方が高くなる・・・
あとは相模湾海底に沈んだ、JAL123便の遺物に明確な証拠が残されていることを期待するしかないわけだが・・・
その遺物は2020年時点で、すでに35年と言う長い時間が海底に沈んだ状態で経過している・・・
そのような非常に保存状態の悪い環境に置かれた遺物に、仮に何らかの疑わしい痕跡が残っていたとしても、それが裁判で証拠として通用するほど、鮮明に残っている可能性は低いのではないかとも思われる・・・
そうなればどんなに有力な事故原因を仮説として特定出来たとしても、結局は都市伝説、あるいは単なる陰謀論として片付けられるだけで終わってしまう・・・
なので、この問題を誰もが納得できる形で解決することは難しく、永遠に疑惑として残り続けるだけで終わってしまう気がするぞい(汗)
次にこれまでに伝えて来た、日航機墜落事故の闇についての疑惑・・・
この疑惑に関しての否定派と肯定派の論争に、決着が付く日は来るのかについてだが・・・
残念ながら、この論争に決着が付く日は訪れないのではないかと思うの~・・・
まず否定派に関してだが、彼らは疑惑肯定派が出す、最初の異常事態発生の原因がなんであるのかについての仮説には、割と説得力のありそうな根拠を示した上で否定したりはしている・・・
しかし、その他の事故にまつわる不可解な出来事に関しては、まるで説得力のないことばかりを並べ立ててしまっているため、それによりあからさまに彼ら否定派に対する周りの支持を失っているように感じる・・・
その中でも特筆して、否定派が大きく支持を失ってしまった点としては・・・
「なぜ国は日航機墜落事故後に残された遺物・・・特にボイスレコーダーの音声データを公表しなかったのか・・・?」
この点について、まったく納得のいく説明が出来ていないことが挙げられる・・・
その点について、否定派がどう言った主張をしているか、解りやすく簡単に言うと・・・
「ボイスレコーダー音声は、すでに文章に起こして説明されているから、オリジナルの音声データまで公表する必要はないのだ!」
「それら事故の遺物を公表してしまうと国家の安全保障に関わる機密までおおやけになってしまう可能性があるため、公表することが出来ないのだ!」
「そもそも国に、それらを公表する義務はない!だから公表しないのだ!」
挙げ句の果てには・・・
「そんなに知りたいなら、おまえら肯定派はタイムマシーンでも発明して、勝手に中身を見てくればいいだろ!バーカ、バーカ!」
と悔し紛れに、こんなアホな悪態をつく者まで現れる始末じゃ(汗)
最後の、この否定派の発言には、そのアホさかげんに思わず爆笑してしまったぞい(笑)
まあいずれにしても否定派は、こんな感じの説明を手を変え、品を変え、聞いている者がなるべく理解しづらいように、やたら小難しく説明し、最後は大抵・・・
「理解出来ないおまえがバカなだけだ!」
「これ以上、バカには付き合ってられん!」
などと悪態をついて、シッポを巻いて逃げて終わってしまうわけじゃな(汗)
そしてさらに、それまで保管されていた日航機墜落事故に関するボイスレコーダー音声データを含む遺物を、情報公開法が成立する直前に廃棄処分されてしまったと言う事実を受けて、それまで疑惑を否定する立場だった者までもが・・・
「やはり、何か隠された真相があるのではないか・・・?」
と感じてしまう事態に発展し、疑惑否定の立場から、肯定の立場に鞍替えする者も少なくなかったようじゃ・・・
実は日航機墜落事故に関する遺物、特にボイスレコーダー音声データについては、否定派の中でも「すべて公表すべきだ!」と言う考えを持っていた者も多かったようじゃ・・・
まあ否定派に取ってみれば、これらの遺物が一般に公開され、さらにその中身が事故調査委員会が結論付けた後部圧力隔壁破壊説を証明するものであれば、完膚なきまでに疑惑を否定することが出来るわけだからの~(汗)
いずれ公表されることを望み、それに期待をかけるのも当然じゃ(汗)
だが、そんな否定派の期待とは裏腹に、それらが公表されることなく廃棄処分されてしまったことで、「なぜ公表せずに捨ててしまったのだ!」と怒りをあらわにする者も多く現れたようじゃ(汗)
そして、それにより否定派は大きく支持を失ってしまい、疑惑否定の立場から肯定の立場へと移る者が続出したと言うわけじゃ(汗)
こうなると疑惑否定派の立場で論争に決着をつけるには、むしろ否定派の方こそ、タイムマシーンでも発明し、過去に遡って真相を見てくることくらいしか手段は残っていないだろうの~(汗)
なので、否定派の皆さんにひと言エールを送るとすれば・・・
「タイムマシーンの発明!ガンバ♪(💖)」
と言ってあげるくらいしかないの~(汗)
と言うわけで、疑惑否定派が勝利するのは、ほぼ不可能と言っても過言ではないだろうの~(汗)
では逆に疑惑肯定派はどうか・・・?
どうも否定派・肯定派の論争を見ていると、肯定派の方には、まだ勝利する可能性があるように感じるぞい(汗)
しかし残念なことに・・・
「いまだにJAL123便に起こった、最初の異常事態発生の原因を特定出来ていない・・・」
「仮説のレベルであったとしても、完璧に矛盾のない説を立てることが出来ないでいる・・・」
これらのことが足を引っ張ってしまい、どうにも肯定派が論争に決着をつけることが出来ずにいる状態じゃ(汗)
結局のところ疑惑否定派もこの点を突いて、肯定派のことを単なる陰謀論者扱いしている感じじゃ(汗)
ではなぜ、矛盾のない仮説を立てることが出来ないのか・・・?
その原因として、考えられることとしては・・・
「事故が起こった1985年当時の、自衛隊についての情報が圧倒的に不足している・・・」
と言うことが挙げられるのではないかと思われるの~・・・
いろいろと調べてみたが、どうにもこの自衛隊に関する情報・・・
特に1985年当時の情報が、ほとんど出ておらず不明な点が多い印象じゃ・・・
まあ、これについては今から調べると言っても、35年も前の記録がそうそう残っているはずもなく、やはり不明な部分が多くなってしまうのもしかたがないとは思うがの~(汗)
さらに国家防衛に関わる部分については、当時から機密とされるものも多かったのではないかとも思われる・・・
そうなると、ますます調べることが困難になる・・・
頑張れば、今現在の自衛隊に関する情報は、ある程度は集められるのではないかとは思う・・・
しかし今の情報ではほとんど参考にはならず、あくまで35年前の1985年時点での情報でなければ、あまり意味をなさないわけだが・・・
それを今から収集するのは、かなりの困難が予想される・・・
そして、それらの情報がなければ完璧に矛盾のない仮説を立てることすらも厳しくなるものと思われる・・・
前回、伝えたワシの仮説にも、どうしても矛盾した点や不明点・・・
特に当時の自衛隊に関する情報に不明な点が多いことから、自分でも自信を持てない部分が残ってしまったしの~(汗)
今現在は、それと同じことが肯定派の間にも起こっているように感じるぞい(汗)
それを打開するには、とにかく1985年時点での自衛隊の情報を、どんなに些細なものでも徹底的に集め、その情報を参考にして矛盾の少ない仮説を次々、立て続ける必要があると思う・・・
その結果、もしかしたら否定派からは、それらの仮説に対して反論がなされるものと思われるが、むしろ疑惑肯定派はそれをチャンスと捉えた方が良いだろう・・・
否定派から出される根拠が、適当なものではなく正しい情報なのであれば、それは有力な情報を肯定派がひとつ手に入れたことを意味する・・・
逆に否定派からまったく正しくない情報が根拠として出されたのではあれば、それが正しくないことを申し立て、逆にそれを利用して否定派が如何にいい加減なことを言っているかと言うことを主張してしまうのも良い手だと思うの~・・・
そうすることで否定派は貶められ、支持を失うことに繋がるだろう(笑)
とまあ、こんな感じで肯定派の皆さんに打開策をひとつ提示してみたわけだが、どうも観察していると、その辺のことがあまり出来ていない印象を受けるぞい(汗)
現状、疑惑肯定派はとっくの昔に否定派から論破されている、無人標的機衝突説などの説にこだわりすぎてしまい、あまり支持を広められない状況に陥っているようにも見えるの~(汗)
そして、この状態が長く続いているようにも見受けられ、疑惑否定派と肯定派の論争は完全に膠着状態となっているように見えるぞい(汗)
疑惑を肯定する側に、この膠着状態から抜け出そうとする意思もあまり感じられず、また視点を変えて新たな情報を加えた新しい仮説を次々と生み出し、なるべく多くの人に見てもらえるように拡散すると言う作業も、まるでなされていないように感じる・・・
これらのことから残念ながら、この論争に決着が付くのはかなり難しいように思うの~(汗)
【日航機墜落事故の闇8】最悪の航空事故に潜む黒い噂とは?!【推理・考察・後編】:あとがき
こうなるとたしかに、この問題が解決するのは相当、難しい気がするねぇ(汗)
これだけあからさまに不可解な点が多いとなると、どんなに否定派が頑張っても完璧に疑惑を否定することは出来ないだろうの~(汗)
逆に肯定派が完璧な証拠を見つけ出し、疑惑を証明することも難しい・・・
そうなると永遠に決着が付くことはないだろうの~(汗)
そして、これだけ興味深い話に決着が付かないとなると、この話は永遠に日本と言う国の闇として語られ続けることになるじゃろうな(汗)
それでは記事8本分に渡って、長々とこの日航機墜落事故の闇として語られる都市伝説について伝えて来たわけだが、この話についてはこれで終わりじゃ!
しかし、これについては実に興味深い話でもあるため、新たな情報が出て来た際には、その都度、お伝えして見たいと思うぞい?!
それでは最後に・・・
『信じるか信じないかは、あなた次第です!』
と言ったところで終わりじゃぞい!
なので!
次回もまた絶対、見に来てくれよな!
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