とある村と村の、いにしえより続く怖ろしい話・・・
『十九地蔵』
広島の片田舎にある隣接した村と村・・・
昔からなぜか村同士の仲が悪かったが・・・その理由は不明。
だが、ある時、発見された古い文献にその理由が記されており・・・
今回は怖ろしい怪談話『十九地蔵』をお伝えします。
毎度おなじみ心霊界の石原さとみこと、コワイキョウコです・・・
お地蔵様は何の為に建てられるのかなぁ・・・?
守り神?祟られないように?
何かを供養するために建てられることもありますよね?
供養・・・
一体、何を供養するのか・・・
それでは怖い怖い怪談話・・・
『十九地蔵』
どうぞお楽しみください・・・
※このお話は3分ほどで読むことができます。
『十九地蔵』怖い話シリーズ68
俺の家は広島のど田舎なのだが、なぜか隣村と仲が悪い。
俺の村をA村、隣村をB村としよう。
不思議な事に、なぜ仲が悪いのかは不明なのだ。
A村の住人に聞いてもB村の住人に聞いても、明確な理由は解らない。
理由不明。
しいて言えば、ご先祖様の代から互いに敵対していたと言う理由。
つまり先祖の遺恨しかない。
A村、B村の人間は、結婚など御法度である。
そればかりではない。
俺のじいさんなどは「B村へは決して行くな」と言う。
別にB村は部落民と言う訳では決してないし、A村も同様である。
「なんで行っちゃいけないの」と子供の頃の俺が聞くと・・・
「それは、B村の呪いで災いを被るからだ」等と言う。
じいさん曰く・・・
「A村、B村の境の道祖神を越えてA村の者がB村へ行くと、必ず禍を受ける。例えば、B村○○の四つ角では事故を起こす者が多いが、決まってA村の者だ」
「反対を押し切って結婚し、B村へ嫁いだ△△の娘が早死にした」
「B村の□□川は流れが急で深いから、5年か10年に一度事故が起こる。それが不思議にA村の者ばかりだ」
と言ったものだった。
勿論、本当かどうかは知らない。
正直なところ、俺は祟りなぞ信じていない。
じいさんに、B村へ行くと何でA村の人に危害が出るのか聞いてみた。
「十九地蔵が呪うからだ」とじいさんは答えた。
十九地蔵と言うのは、B村の××神社にある十九体の地蔵で、俺も見た事があるが、歴史を感じさせる古さがあるものの、ごく普通の地蔵である。
「なんで、お地蔵様が人を呪うの?」
「それは知らん」等と適当な事を言う。
こう言う因習については、若い世代ほど気にしない。
俺なども事実、B村の友達もでき、一緒に遊んだほどだ。
B村の友達に「B村ではA村に行くなとか、言われた事ある?」と聞いてみたが、友達は「そんなこと言われた事はない」と答えた。
ますます俺はじいさんの古臭さを馬鹿にして、じいさんの言ってることは気にも留めなかった。
ある日、俺は兄貴とB村にある□□川へ泳ぎに行った。
じいさんには禁止されていたが、もちろん気にしない。
所が、泳いで10分もしない内に、兄貴が「出るぞ」と言いだす。
俺がまったく霊感が無いのとは対照的に、兄貴は子どもの頃から非常に霊感の強い男だった。
「なんで、いま泳ぎ始めたばっかだよ」
「いいから、かえるぞ!!」
俺は兄貴の真剣な形相に驚き、着変えもせず短パン姿のまま衣服を持って走って帰る。
「なあ、なんで帰るん」
「お前、見えなかったのか」
「えっ、何が」
「なんだが良く解らんが、黒い影の様なもんが20人近くいて、それが俺らにものすごい敵意を向けてたぞ」
俺は20人近い影と言う事と、十九地蔵と言う事が頭の中でリンクして、とてつもない嫌な予感を感じた。
なぜ両村の仲が理由もなく悪いのか。
これに納得がいったのは、俺が大学院に進学した頃である。
A村の神社より、ある文献が発見されたのだった。
それは、室町時代後期、A村とB村が××川の水利権を巡り争いを起こし、A村がB村との戦いに勝ったと言う内容である。
豊臣秀吉の刀狩りが示している様に刀狩りされていない時代の農民は、決して後世のイメージ通りひ弱な存在ではなく、武装していたのである。
兵農分離も進んでおらず、農民と武士の境目は曖昧である。
だから戦に勝った記憶は大変名誉なこととして、誇らしげに記述されたものだった。
けれども、時代が下って平和な江戸時代。
この様な不穏な文献は、誇らしい記憶から忌わしい記憶となった。
よって、A村の神社へこっそりと隠されたのである。
この文献は中世史を語る上でも重要な文献らしく・・・
(つまり、農民=弱者というマルクス主義史観を覆すと言う意味でね)
地方紙ではニュースになったし、大学から学者がかなり来た。
その内容から一部要約して抜粋すると以下の通り。
A村とB村が××川の水利権を巡り争った。
A村が奇襲をかけることにより、戦に勝ち権利を治めた。
A村の戦での被害は軽微であり、軽傷者5名。
B村の者を16名打倒した。
また、戦の巻き添えに女2名、子供1名が死んだ。
計19名の内には、B村庄屋であり××神社宮司を務める●●家当主、宗衛門義直を含む・・・
十九地蔵が呪うと言うのは、じいさんの勘違いだった。
十九地蔵は、この時の死者を弔うためB村で建てられたものだった。
けれども、地蔵にさえ癒し得ない、抑えきれないほどの深い深いA村への恨みが、まだこの地には残っていたのである。
『十九地蔵』怖い話シリーズ68
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